2012年09月17日

ブログ休止

何か更新しなければと思いながらも、ダラダラと時間が過ぎていった。それなりの出来事もあったし、考えることもあったが、なによりもネット上で情報を発信する危険性を少し考え直しているところであった。

今の世の中は実に便利になり、素養も何もない言語であっても、簡単に翻訳ができてしまう。もちろん、その精度はまだまだのようだが、大まかな内容を読むのは問題ではない。だから、たとえ日本語で書いていたとしても、読者は日本人のみに限らず、簡単に翻訳して読み抜かれてしまう。書いている私が、読者を選ぶことはできず、知って欲しくない人たちに情報が流れてしまう危険性がある。

ごく最近も、私のブログについて、宣伝してもいない、シェアもしていない人から、口頭でのコメントを頂いた。もとより、ネットで公表している限り、そんな状況になることは織り込み済みである。不特定多数への発信は、自分自身への勉学のために始めたところもあったし、文章を書くことで物事を探求し推敲する癖がついたことは確かである。読み手だけでなく、書き手である私はこの場を通して随分成長してきたように思う。

しかし、それでもやはり再考することにした。

今は、静かに動くときである。特に今年は。だから、あまり自分のことを語ることができなくなった。

しかし、そうは言っても、このブログを開いた2009年1月1日からもう3年と9ヶ月が経過し、国連職員としての日々を公にしてきたつもりである。このブログを最初から最後まで読んでもらえれば、どのように私が思いをめぐらし、歩んできたかがお分かりになると思うし、国連職員に憧れている若者たちへの道標のひとつになったのではないかと考える。

これで終わりではないが、一旦ここで休止にしたい。

もし将来的に、新しいブログを立ち上げるようなことになれば、この場にて宣伝することもあると思う。

今まで、ご好意に私のブログを読んでいただいた読者の方々、深く御礼申し上げます。コメントを頂いたり、個別のメールを頂いたり、今までたくさんの応援メッセージを頂きました。また、再開することもあるかもしれませんし、違うブログでお目にかかるかもしれません、どうぞその節はよろしくお願いいたします。

ありがとうございました

atsushi
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2012年08月10日

オリンピック観戦から思うところ

我ながら物事を継続することの難しさを身に染みて感じている今日この頃。ブログの更新や今やってる第二言語の習得、継続させるためには強い意志の力が必要だ。物事を継続できる強い意志さえあれば、この世にあるほとんどのことができると僕は信じている。できないときは、それを自分で諦めるからであって、努力して継続すれば何らかの結果が出ると思っている。

往々にして、人は都合のよい言い訳を見付け自分自身を納得させるのだと思う。とは言っても、生まれ持った才能や体格で結果の決まってしまうものの存在を否定するつもりはないし、そうやって自分で理由付けをして止めることも人生におけるひとつの選択肢だと思う。努力だけじゃなく、周りのどうにもならない環境も影響するわけだろうし、継続させてもらえる環境もありがたいものだと思う。

現在ロンドン・オリンピックが行われている。ここローマではロンドンとはほぼ時差が無いため、日本の方々のように、深夜まで起きていたり早朝に起きたりする必要は無く、毎日日本人選手をテレビにかじりついて応援している。オリンピックでの結果はどうあれ、ここまで辿り着いた選手一人一人、並み並み成らぬ努力を何年にも渡って継続された方たちである。喜びの涙、悔しさの涙、そんな涙を流せられるのはそれだけの思いと努力を積み重ねたからだ。

彼らのそんな素晴らしい輝きを、テレビ越しに見ても、感動のあまりつられて涙が出て、また同時に羨ましく思う。自分は、これまでの人生でこれほどまでに何かに打ち込んだものはあるのだろうかと自己反省し、自分の意志薄弱さを悔いてしまう。そして、いつも学生時代にしていたサッカーを振り返る。もっとできたんじゃないか、自分で止めることを決めてしまったのではないか、と。

スポーツには勝ち負けがつきもので、それゆえの勝者の栄光がある。でも、負けた人たちにも言ってやりたい、僕は君たちも羨ましい、と。何かに本気で取り組まない限り、涙など流せない。

話は少し変わるが、オリンピックにおいて選手たちはそれぞれ自分の国、国旗を背に戦い、勝利後国旗をはためかせ喜びを身体全体で表現している。現在の世の中は、移民政策などを経ていろいろな人種が各地に移動している。フランスやイギリス、アメリカの国旗を持った黒人、アジア人の顔がある。日本選手団にはそんな多様性はないが、西欧諸国は人種の坩堝だ。

同じような人種の3カ国の選手が表彰台に上がる場面を何度か見たが、もともとはそれぞれ同じ国の出身ではないのかと思ってしまった。自分や親の世代が異国に移民しただけではないか、と。特にそれが顕著なのが、アフリカ系黒人が強い陸上競技である。短距離長距離関係なく、同じような顔をした選手と違う国旗が並ぶ。

国際化ってこういうところにも出てくるのだろう。ナショナリズムの高揚と同時に国境という垣根の流動性が融合されている。

日本人女子のレスリングには感動しました。素晴らしい闘志を見せて頂き、感謝です。
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2012年07月20日

国連インターンシップ

うちの部署に今インターンが2人、ボランティアが1人来ている。彼女たち(みんな女性)は、ある職員の下について働いている。毎日それなりの仕事を与えられているようで、パソコンの前に座りカタカタやっている。僕とは仕事上の接点がないので、いったい何をやっているのか知る由もない。

僕もニューヨークの国連事務局でインターンシップをしたからよく分かるが、周りがいったい何をしているのか分からなかったし、周りも僕のやっていることを知らなさそうであった。ある朝、突然インターンがやってきて、ある人の元で働き始める。特に紹介もなく、何をやるかも不明確なまま、ただ日が過ぎていく。フレンドリーに話しかけてきてくれて、お茶でも飲んだりして、突っ込んだ話をしない限り、さらっとした人間関係のまま通り過ぎていく風のような存在となる。

インターンシップは、時間とお金の投資である。少なくとも僕はそうやって考え、投資リターンを絞り込まなければいけないと戦略的に考えていた。実際にそこで得られる社会経験は、どれほどのものか、と疑問に思っていたし、履歴書を飾るためだけでであれば、戦略としては下等なものだと思う。少なくともただで働いているのだから、それなりのお土産(労働に対する対価)を持ち帰らなければもったいない。

しかし、基本的にはこのインターンシップという仕組み僕は反対である。受け入れ組織側、参加する個人側、いろんな理由付けはできるにしても、実際には確たる戦略の無いままやっているところがほとんどで、お互いにとてももったいない。組織としては、若い人の新しい知識を入れるなんて謳っていても、実際にそんな提案出されたらうっとおしいと思うだろうし、まともに取り合ってくれる人なんてあまりいないのが現状。

受け入れプログラムの確立はされてなく、自己紹介すらないまま空いている席に陣取り、人知れず毎日カタカタやっている。まぁ、ここまでひどいのは国連組織だけなのかもしれないが、これも社会経験といわれると首を傾げてしまう。経験は、あるものを任されて、責任を分担させられたときに、人は本気になってそこから学ぶものだと思う。人の経験を話を聞くだけで自分の経験に変えらるような聖人はいるかもしれないが、極めて稀なのが現状。人の過去の失敗を自分の糧に変えられたらどれだけいいだろう。しかし、「歴史は繰り返される」という言葉にあるとおり、同じようなことが起こるものなのだし、その原因は人が同じ過ちを犯すところにある。

とはいえ、今来ている人たちに僕の経験談を少しずつ話している、押し売りしないよう気をつけながら。社会的地位なんて関係なしに、「一期一会」の精神を大事にしたい。僕たちの世代も悩んできたが、今20代前半の若者も同じように悩んでいる。閉塞感漂う世の中だ、ブレークスルーなんて言葉が巷を駆け抜けるが、なかなか難しい。

今日は、金曜日。明日は、イタリアに来て初めてのアウトドア!隣の州の国立公園を歩いてくる。いい気分転換になるだろう。
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2012年07月02日

ユーロ圏内の初出張

私は今ドイツのハイデルベルグという町に来ている。ここは、交通の要所フランクフルトから、高速列車で1時間弱の小さな町である。天候のよさと地ビールの美味さ、そして古い町並みと古城に魅了され一年を通じて多くの観光客でにぎわっている。

今回のドイツ渡航は休暇旅行ではなく仕事の延長である。来週の火曜から木曜にフランクフルトで予定されている会議に出席するのがその理由。当初、会議開始一日前の月曜を移動日に設定していたが、その日は当然出勤できないのだから、前倒しで土曜に発っても同じことと思い、上司に許可をもらって早めの移動をしたのだ。

ローマに赴任してきてから8ヶ月ほど経つがこれまで2度の国外出張をしている。ケニアとアラブ首長国連邦。それに比べると今回のドイツは、先進国だし、旅行で訪れたかったということもあり、家族連れでやってきた。当然それにかかる追加料金は自己負担だが、こんな機会もめったにないのでありがたく活用させていただくことにした。

ローマ生活を始めてから家庭内でいくつかの決め事をしている。そのひとつに、月に一度の家族旅行というものがある。とても贅沢に聞こえるかもしれないが、基本的には2泊3日程度の小旅行で、予算も家計に影響を及ぼさない範囲で概ね決めてある。せっかくヨーロッパに居を構えているわけだから、イタリアだけでなく、他のヨーロッパの国を訪れることにしている。知識見識を広めるという将来に対する自己投資という側面もあるし、まぁ、単に食べ歩きのストレス発散ということにもなり得るが、文化慣習を学ぶ上でも食は大事な要素だから、あながち馬鹿にできない。

そして、これまでイタリア国内の旅行ばかりだったが、今回は家族での初外国である。明日月曜には会議のあるフランクフルトに戻るのだが、とにかくここハイデルベルグはイタリアの今まで訪ねたどの町とも違いとても新鮮。町ではこの週末にお祭りが催されていたので、それにも便乗することができ、ステーキを食べ、地ビールを飲み、バンドの音楽を楽しんだ。下がそのときの模様。
GER.jpg

美しい自然、古い町並み、それらを保存しながら近代的なインフラが整備されているこの町と、イタリア人とはまた違う人種である彼らを見て、いろんな思いを抱いた。いわゆる日本人が羨ましがり、劣等感を抱いているのは、このての民族であり国なのだ、と。ドイツは、ユーロ圏の絶対的勝ち組で経済的豊かさがあり、それゆえに人や町全体からかもし出している余裕のオーラがある。イタリアは、住めば住むほど、ヨーロッパではなく北アフリカに属しているという感じがし、皆忙しなく余裕がない。

日本と同じ第2次世界大戦の敗者であるドイツ。しかし、日本のような閉塞感はなくとてもオープンに感じられた。わずかここ二日間で感じたことだが、ドイツと日本の違いについてしっかり自分の中で整理しようと思った。同じ敗戦国のイタリアについても同様だが、ずっと疑問に思ってきたことがある。たとえば、以下のようなこと、ドイツやイタリアも同じ現象が起きているのだろうか。

日本には、戦後占領軍が入ってきて、憲法を作り、軍隊を廃止し、駐留軍基地を建設した。日本国民は、戦争の惨禍を過去を全否定することによって修正しようとし、戦争に突き進んだ当時の日本は完全悪であり、戦争に行ったわれわれの先祖に当たる軍人さんを国家として供養する場を設けていない。歴史教育の中の「現代社会」という教科は教育現場から軽んじられ、現在の国際情勢にまるで無知な若者を多く輩出。「平和ボケ」と揶揄されながらも、国家として最も重要な事項のひとつである安全保障については拒否反応があり、しっかりとした議論をする場を設けられていないように感じる。そして、在留米軍に対しては、こう着状態で母国の領土内の出来事にもかかわらず、現在ならびに未来の方向性が決められない。また、子供への教育をする者達(学校教師)の組織である日教組が、日の丸という国旗を認めていない。

ざっとこんなことが戦後から今に至る日本の社会現象だが、ドイツやイタリアでも同様の社会現象が起きているのだろうか。ドイツが、国民投票によって、憲法を改正したのは知っている。そして、軍隊の存在をそのときに認めたというのは何かの本で読んだことがある。彼らには集団的自衛権はあるはずだ。そうでないと、NATOに入られないだろうし。

考えれば考えるほど、自分の無知に気付かされる。国際社会で働く身だ、もっと自分に関心を持ち他人に関心を払おうと思う。とまぁ堅いことばかりではなく、ここはドイツだ、美味いビールとソーセージを楽しもう!それに、ローマより涼しくて快適だし、なんといっても公共インフラがしっかりしている。
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2012年06月07日

異文化に暮らす子どもたち (海外子育て)

前回は、思考を止めることなく、またみんなの意見に同調するだけでなく、自分達でもそれを幾度となく検証し、考えていかなくてはいけないという趣旨のことを書いた。人は往々にして、一般常識やら学校で学んだことがあるものだから、それをさらに深めて考えてみるということをあまり経験していないように思う。

特に、記憶に重きを置く日本の教育では、伝えられたことを信じ、それを改めて検証する時間は乏しく、その根拠まで深く掘り下げていくという作業をあまりしてきていない気がする。もちろん、偉い学者さん方はその作業を日常的にやっておられると思うが、こと一般大衆に至っては、メディアで伝えられていることを盲目的に知識として吸収してしまっているという怖さがあるように思う。

さて、僕がどうしてこんなことを言っているかというと、先日とある本に出会い、その内容に衝撃を受け、なんとなく伝え聞いていたことが事実ではないということを知ったからだ。その本は、これである。

異文化に暮らす子どもたち―ことばと心をはぐくむ − 早津 邑子 (著)
異文化に暮らす子どもたち―ことばと心をはぐくむ [単行本] / 早津 邑子 (著); 内田 伸子 (監修); 金子書房 (刊)

大方の人がそう思っているように、僕自身も、外国語の習得は早ければ早いほどよい、幼少時に外国に暮らしている子供たちは、自然とバイリンガルに育っていくと思っていた。しかし、この本は、アメリカ・ニューヨークで「こどものくに幼稚園」を創立された早津先生がその外国での幼児教育30年をとおして、見てきてまた研究されてきたことを通じてそうとは言い切れない、いや更にはもっと大きな弊害が発生する恐れがあることを警告している。

早津先生曰く、幼児期は言葉を学ぶ時期でもなければ、知識を習得する時期でもない。人が社会で生きていくために必要不可欠な、人格形成の時期であって、知的、精神的発達において一生を左右する基本的な発育の時期である、と。家庭で日本語、外の環境で外国語では、十分な発育が望めないと警告している。集団の中でのしつけやリーダーシップなど、言葉の先にあるものが育たないのである。

また、単に外国語習得の観点から見ても、外国語に触れるのが早ければ早いほどよいというわけではないようである。一つの例として、外国に暮らす小学生の子供を比較しておられた。外国に住んでいる幼児(日本人)が、一人は現地の幼稚園(英語)に通い、もう片方は日本人幼稚園(日本語)に通う。幼稚園の後の小学校は、二人とも現地の学校(英語)に通う。これは、早津先生が「こどものくに幼稚園」を立ち上げた時には、日本人小学校がなかったため、仕方がなかった事実である。

私もそう思ったが、一般的には、幼稚園を英語の環境で行った子の方が、日本語の幼稚園に行った子よりも適応力は高く、問題なく現地の小学校に通えるのでは、と思うはずである。確かに初期の段階では、そうらしいのだが、そんなに時期を待つことなく、日本人幼稚園に行っていた子の方が、英語力が他方よりも優れるらしい。この理由は、頭の中でこれは日本語、これは英語というふうに分けることができ、外国語が耳に入ってきたときには集中して意味を分かろうとして、より深く認識できることに起因するようだ。

英語の幼稚園に通っていた子は、日常的に、分からない言葉が飛び交うので、特に注意して耳を傾けることができなく、元々その分別さえもできない。分からないことを何度聞いてもやはりわからないのである。なぜなら、その基準となる日本語が育っていないのだから、頭の中で変換することもできない。

私自身この事実をなんとなく認識していた。第一言語の確立なくして、第二言語の習得はありえない、と。ただ、それでもいったいいつの時期がいいのか、なぜ早ければ早いほどいいという一般的な考え方がこれほど世間に広がっているのかが分からなかった。

やはり英語を苦手だと認識している日本人が多いこと、また英語はこれからの世の中をよりよく生きていくために必須の道具だという意識が脳裏に刷り込まれているからだ。たしかに、私のような仕事をしていると、語学力は財産である。しかし、それを学ぶ時期は注意が必要だ。早津先生は、しっかりと人格形成を行い、その後の教育を滞りなくおくるためにも、せめて小学校の低学年までは、母国語一貫の教育をした方が良い結果が出ると言っている。

こどもを持つわが身、外国暮らしの我が家族、みんなを守るためにも、世間にやみくもに流れている話を盲目的に信じることなく、根拠を持って考えていかなくてはいけないと再認識した。外国暮らしの家族を持っているもしくは将来持つ方、また将来外国で暮らしたいと思っている方には、この本はなかなか興味深い事柄を扱っている良書だと思います。
posted by atsushi at 22:56| Comment(0) | 読んだ本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月14日

守るもの 変わるもの

少し時間が経ってしまったが、5月5日の子供の日、息子の初節句を無事に行うことができた。日本からは、妻の父母がゴールデンウィークの休暇を利用し、息子のための五月人形を抱えここローマを訪ねてくれた。近所の市場で買った魚を焼き、立派な兜を前に、家族揃って息子のすこやかな成長を祝った。こういう行事を通して、日本の伝統や文化を改めて見直し、そして自分自身も親のありがたみを再認識する。

僕は学者ではないから、正確な数字や割合は出せないが、日本は宗教を土台に祝日を制定していない世界でもまれな国だと思う。西欧諸国は、政教分離とうたっていても、必ずキリスト教の教えが軸となってイースターやクリスマスを祝日としているし、アラブ諸国はイスラムの戒律を元に、ラマダン後のイード・アルアドハーなどを祝日としている。日本は、そういった宗教の教えではなく、単に子供の成長を祝ったり、季節の移り変わり(春分、秋分)を祝ったり、憲法制定や建国を国の祝日としている。

そんな違いもある程度認識しながら、息子たちの次の世代に、日本の文化風習はしっかりと受け継いでいきたいと思っている。国際的な仕事をし、世界を動き回るような生活をしていても、自分の基礎となる場所や考え方を持っていることは重要だ。僕も、時々「日本ではこの件では、どんな風にしているの?」といった質問を受けるし、僕だけに限らず日本人職員それぞれが、担当部署で日本を代表する大使的役割を担っているはずだ。こういう環境にいれば、否が応でも自分の国について知っている必要がある。

さて話は少し変わるが、現在のヨーロッパの政治情勢。新たなフランスの大統領として選出されたフランソワ・オーランド氏、フランス建国以来、初めて社会党が政権を取る。また、ユーロ圏での一番の問題児ギリシャは、緊縮財政を反対する国民の声を反映し、連立政権を樹立できないでいる。

日本では、理想的に語られることの多いヨーロッパ連合。しかし、ユーロ通貨危機を発端として、日本でもとうとうこれらの経済協定に疑問を投げかける声が出てきている。新自由主義、グローバル経済からの見直しが声高に叫ばれ、とうとう民主主義および資本主義に修正を加える時期が来ているのだと思う。

世界経済は繋がれば繋がるほど、海千山千の競争相手と戦わなければいけなくなる土壌が広がっていく。これにより、価格低下が訪れ消費者としての自分たちは恩恵を受ける。ただ、人は消費者としての側面だけではなく、生産者であり労働者であるため、雇用を追われる憂き目にあう。ユーロ圏でもラテン系経済圏は深刻で、イタリア、スペイン、ギリシャなどは、失業率20%以上である。若年層に至っては、この数字はもっと高いはずだ。

しかし、こんな事実を前にしてもグローバル経済は既にあるものとして、うまく付き合っていくほか現在の対処法はないように思う。いきなりブロック経済を実行して、自国の雇用や産業を守っていくことなど到底できない。相応の輸出入は、どの国にとっても大切な経済活動の一環だからだ。ヨーロッパは、ある意味実験的な貨幣統一や経済協定を押し進めていって自ら理想郷に挑戦した。しかし、結果としていろんな問題が山積している。僕は、これらの流れを実際にヨーロッパで体験できている現状がとても貴重だと思っている。

日本という国で育った僕には、日本の文化風習を守っていく義務があると自分で思っている。どうしたら、次の世代に良い形でバトンタッチができるのか、最近よく考える。様々なニュースや書籍に接し、これが絶対などというものは本来存在しないのだと思う。でも、守っていきたい物もやはりあると感じている。

大切なのは、思考を止めないことだろう。
posted by atsushi at 05:59| Comment(2) | ひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月23日

人道支援家たちの訓練

私は今イタリアのブリンディジという町に来ている。ここは、ながくつの形をしたイタリア半島のかかとにあたる部分で、ローマより南に位置している。この町に来てから10日ほど経つのだが、この出張の理由はとある訓練に参加することだった。昨日でその訓練を終え、今日はこの町のホテルでのんびりと過ごしている。訓練はかなり密度の濃いもので、12人一部屋の団体生活で総勢70人ほどが参加した。とにかく今は、訓練後の疲れと頭の整理をしているところ。明日からはまた別の会議に参加するため、とにかく休む必要がある。

さて今回参加した訓練の内容は、災害に対する緊急対応能力を養うものだった。訓練シナリオは、仮想国において災害が発生し、外国から多くの国際人道支援機関が現地入りし、それをどのように取りまとめていくか、という内容であった。ここでの視点は、WFPが災害時にリードを取る物流(ロジステックス)に焦点を当ててのものだ。どこに、どのような物資が必要かを精査し、誰がどのようにどれほどの量を運ぶのかを調整する訓練だった。国際NGO、国連機関、現地政府と協力しながら、そのシナリオに用意されている様々な事件を乗り越え、対応していくというもの。よく練られていた訓練シナリオで、とてもうまく構成されていた。

私は、訓練を受けるほうではなく、訓練をサポートする側にいて、訓練生に自分の専門分野である航空物流に関する知識や考え方を与えながら、シナリオを進めていく役割だった。実際には、訓練を受ける人の数よりも、訓練をサポートする人の数のほうが多く、そこからでも十分にいろんな知識をもらえるものであった。訓練生を通して、会議の進め方、様々な分野における調整の仕方、情報管理などを学んだ。チームは、WFPを含めたいろんな機関のスタッフで構成されていて、皆それぞれ物流を担当している職員だった。彼らは、素人ではなく、フィールドで5年以上の経験を持つ人たちなので、傍で見ていてとてもいい勉強になった。

ここではいろんなことを学び、そして考えることがあった。

人道支援というこの分野の活動、やはり欧米人がリードを取っている現場なのだとしみじみと感じた。参加者総勢70人ほどの中、私だけがアジア人だったという現状がそれを如実に語っているし、アジアのNGOも全くいなかった。日本も、JICAを先頭に人道支援で活躍しているが、人的貢献はまだまだ少なく、財政的支援が多いのだろう。また、このようなネットワークに日本の機関や職員が参加していないことに少し疎外感を覚えた。

おそらく物流分野だけではなく、総じて人道支援は、同じようなメンバーで回されているのだろうと思う。こういった人道支援家は、災害があれば、空を飛んで現地入りし、次々に緊急援助の必要な国を移動している。アフガニスタンにいたかと思えば、ハイチに行き、スマトラへ出向き、リビアに入る。根無し草のごとく、海外を転々としながら緊急援助の活動を続けている。だから、初めて訓練に参加するものばかりでも、数人は顔見知りが初めからいる状況のようだ。私自身は、この分野ではまだまだ駆け出しのため、ネットワークはそれほどなく、新しい顔ぶればかりだった。

そして、みんな議論がとにかくうまい。過去の事例を出しながら話に深みを持たせ、説得力がある。筋道の通った話の中にジョークを交え、笑いをもって人をあきさせることなく、理論的に話ができる。他の人の意見も集約させながら、自分の思いも混ぜるその話しぶりは、やるなぁという思いだ。もちろん英語でやっているから、英語圏の人がリードを取りやすいのだが、英語を第2言語としているような人も、流暢に議論できていた。

日本人があまり知らないこの国際人道支援という業界、そして、議論に重きを置くすすめかた、以前から分かっていたこの現状に改めて考えさせられるものがあった。今のままの日本人では、これらの業界でやっていくのは相当根性がないと、続かないだろう。日本の教育は、今世界基準で考えないといけない瀬戸際に来ている気がする。

とまぁ、日本のことを思いつつ、自分自身の能力向上に役に立ったので、この訓練に参加できて嬉しく思う。それに、いろんな新しい人に会えたことは、とにかく財産だ。この業界、広いようで狭いのだからまた再会することもあるだろう。
posted by atsushi at 22:12| Comment(0) | 国連職員としての日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月09日

都市による差異の体験(ミラノ)

イタリアローマに転勤してきた理由は、何も本部勤務してみたかったというだけではない。仕事の面だけではなく、ここヨーロッパに拠点を置いて、ヨーロッパのいろんな国や都市を旅したいという思いがあったからだ。ここに転勤してきて4か月が経ち、今週は2度目の小旅行に出かけた。1度目は、先月にフェレンツェを訪ね、今回はさらに足を延ばして飛行機でミラノへの2泊3日旅行に出た。

日本から母が来ていたので、一緒にどこか旅行に出かけられないかと企画したものだ。イタリア国内なので、1時間も飛行機に乗ればミラノに到着。気温は、さすがに北に移動しただけあり、3度ほどローマより低かったと思う。到着時刻は午後8時を過ぎていたので、すでに日が落ちていて周りの様子はよくわからなかったが、近代的という第一印象を持つ。

旅は計画する時からすでに始まっている、と私は常々思っている。旅行ガイドブックに目を通し、全部は読めないまでも軽くその街の歴史背景なんかを頭に入れる。どこがきれいで、何が美味しくて、その街の特徴はいかなるものか。泊まる宿を決め、行きたいレストランの下調べ。街をどんな風に歩くかまで考え、ネットでその道を辿ったりすればもう完璧だ。

今回の旅行はそういう点においてかなり準備不足。なぜなら、その出発日の四日ほど前から体調を壊し仕事も休んで自宅で寝ていたからだ。本やネットが調べられるほど元気であればよかったのだが、そんな余裕は全くなく旅行当日になってしまった。そして当日もまだ本調子ではなかった。

そんな状況だったけど、とりあえずその土地に降り立った。

最初の日の晩は、ホテル近所の中国人経営のバイキングレストランへ。中国人は、本当にどこにでもいる。いろんな国の言語を操り、その土地に根を張り、街を作り上げ、商売を展開させる。ミラノもそんな彼らの餌食になっていた。そして、観光客である私たち一行もそんな彼らのイタリア料理ではない中華料理に魅せられて、店に吸い込まれた。なかなか良い味。決して安くはなかった料理だったけど、初日としては良好だった。

2日目、地下鉄の1日券を購入して、観光地の方へ移動。最初に到着したドーモ(大聖堂)はなかなか堂々たる建物だった。前面に広がる広場には、多くの観光客がカメラを構え、そんな観光客に物売りやわけのわからぬ鳩の餌を売り歩く商売人が群がる。当然彼らはイタリア人ではなく移民の人たち。この光景はローマでも多い。

ドーモは圧巻で内部のステンドグラスは日の光を通し色鮮やかで美しく、その中の細部に亘る造りがきめ細かく一見の価値ある教会であった。写真撮影禁止の札が出ていたけど、みんなパシャパシャ撮っていたので、自分たちも構わず撮りまくる。こういう時は人に流されるのが吉。

それから、有名なアーケードを通る。脇には道まではみ出して椅子を並べる喫茶店やらレストランが並んでいる。こんな所で寛いでいるのは観光客ばかりだろうけど、なかなか良い光景だ。私たちもお茶をしたり、軽食を摂ったりした。

街を小1時間散策した後、一旦ホテルに戻り休憩した。夕方再度同じように街に出て、雑誌に載っていた有名なレストランに向かう。出された何気ないパンが美味しく、前菜のサラダに、メインのステーキ、都会的でなかなか美味しい食事だった。

とまぁ、その時点でミラノに到着してから24時間ほど経過したことになる。

この時点で、ある点において皆の意見が出た。ミラノ人の違いについてである。街の公共交通機関やその他インフラはしっかりしており、ローマより近代的である。しかし人が優しくないのだ。ローマにいると赤ちゃんを抱いているだけで、いろんな人が話しかけてくるし、とても人懐っこく優しく接してくれる。レストランでも並ばずに入れ、とにかく特別待遇を受ける。

ここミラノは違う。赤ちゃんが泣いているとうるさいなぁという顔をされるし、結構無視に近い。まぁ、日本ではそんなところだから、冷たくて嫌だというところまでいかないまでも、この違いには24時間いただけで明確に感じた。そして次の日も観光するが、その違いはより確かに感じ取られた。

同じ国内でも街の雰囲気や人の性質が異なる。同じ言語であっても違いが出てくるのは、その元を辿ればどこに起因するものなのだろうか。都会と田舎という線引きが冷たさと優しさに直結しないのは、ローマの方が首都だし街であることから当てはまらない。

でもこんな形でローマに住むことができている現状に幸運を感じた。首都であっても、人の気質は優しくて田舎的なのだろうか。次は、来月ヴェネチアに向かう。また新たな発見があるだろうか。ヨーロッパのいろんな町を訪れ、見分を広めていきたいと思う。そして、その過程において過去の歴史も学んでいければ最高だろうと思っている。何事も百聞は一見にしかず。
posted by atsushi at 05:53| Comment(2) | イタリア生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月29日

転勤(官僚組織の人事制度)

WFPには、リアサインメントと呼ばれる転勤制度が存在する。というか、リアサインメントの日本語訳が配置転換という意味で、職員の移動による職務の変更をあらわしている。転勤における大きな取り組みが1年に2度あって、その中でも年末に空席が公表されるものが最大だ。

転勤のサイクルに当たる職員はそれぞれの希望に応募し、結果は今頃3月末あたりに発表される。実際の移動は、6月7月あたりまでずれ込む場合もあるので、国連機関らしく人事上の動きにはとても時間がかかる。まぁ、国境を跨ぐ移動を強いることになるので、これも仕方ないことなのかなぁともおもう。

正規職員は、その勤務地に応じて、ある程度決まったサイクルで勤務地を移動する。たとえば、勤務困難地はその任期を2年と定められており、本部ローマのような生活に全く支障のないところは4年とされ、その中間的なところは3年である。こういう官僚組織は、日本の公務員と同じだが、人事が一番の関心ごと。さまざまなゴシップや陰口が横行するのも、ポストや昇進等の人事に関することだ。

職員の移動は、何もこのリアサインメントに限ったことではない。それ以外の時期にも、空席は公表され、人は動いていく。もちろん規定の期間を終了しなくても、もっと早くに人が動く場合もあり、その逆で長くいることもある。世界の辺鄙なところで働けるのも、このようにローテーションで違うところに行くことができるからだと思う。ひとつのところにずっといなくてはいけない職場だと、外国から人は働きに来てくれないと思う。

以前の勤務地ダルフールも期間限定だからやれるのであって、永続的なものであればそもそもそこに入って行こうとも思わない。一喜一憂があり、一筋縄ではいかない人事の動きであるが、その存在意義は明確だ。紛争地、生活困難地、先進国、いろんな所を根無し草のように移動し、昇進し、経験をつんで、このような国連機関で力を発揮できる人材に育っていく。

とまぁ、制度の説明はこれくらいにして、この人の動きには非常に影なるものが付きまとっている。なんだか怪しい密室での話し合い、小さなグループでの会話が、物事を動かしている。組織上、一番上に立つ者が全ての権限を持っているのだが、物事はそこに行く前に大体決められて、後はサインをするだけという状態なのだろうと思う。まぁ、これは日本の官僚と政治家との間でも行われていることで、巨大な組織ではこれも相応の対応なのだろうと思う。

一般企業でもこういう動きはあるだろうから、人の介在する組織としては至極当然の現象なのかもしれない。そういってしまえば、国連機関も政府機関も一般企業もさほど違いはないのかもしれない。チャンスは平等にあっても、処遇は公平ではないのだろう。

組織の性格や仕組みをしっかりと認識して、自分なりの戦略を立てて、先を考えていくのが懸命な行いなのだろう。妬み、嫉みはこの世の中にはつきもの、人にひがまれても、自分がひがむことなく、平常心でいきたいものだ。幸せの基準は誰でもなく自分が決めるものだから。
posted by atsushi at 23:31| Comment(0) | 国連職員としての日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月26日

年に一度の表彰式

2日前の金曜日の早朝、1週間のナイロビ出張から帰ってきた。本来なら、あと1日ナイロビにいて、会議に最後までいなくてはいけなかった。しかし、WFP本部のローマで行われる2011年度の表彰式にどうしても参列したくて、早朝に到着する飛行機で戻ってきた。家に着いたのは、午前5時過ぎ、荷物の整理をしてシャワーを浴び、少しだけ眠った。10時には起きて、事務所へ向かう。

その日の午後の表彰式は、2011年度のWFPのプロジェクトや個人に対して、特に優秀な活動を行ったものを表彰するという式典である。この表彰式は、聞くところによると、7年ほど前から行われている行事であるらしい。今年は、私の参加した東日本大震災に対するJapanプロジェクトが表彰を受けることになっていた。誰とどのチームが表彰を受けるというのは、秘密にされていたが、こういう噂はすぐに回るもので、情報をコントロールすることの難しさを改めて、感じる。

自分が参加したそのプロジェクト、そして、一緒に働いた仲間がするスピーチ、それをこの目で見たくて早目に戻ってきたのだ。ナイロビのなんちゃってな出張よりもこっちの方がはるかに大事である。

Executive Director 通称その頭文字をとってのEDを自分の目で見たのはその日が初めてであった。WFPにとっての彼女は、国連事務局のバンギムン事務総長のような存在だ。彼女の事務所は、私の事務所のある同じ6階にありながら、ローマに赴任して来てから4か月も経つというのに一度もお目にかかったことはなかった。映像でない彼女を見て、少し感動を覚える。

式典はなかなか感動的で、日本のチームが表彰され、映像が流れスピーチを聞いた時には、感極まって涙が止まらなかった。このプロジェクトが立ち上がって、日本の方々に貢献できたこと、そしてそれに自分が参加できたことが、とにかく嬉しい。最後に、EDと表彰で頂いた盾を持ち、並んで写真を撮らせていただいた。大切な記念になることだろう。彼女の任期は、あと1か月で後任の人はもう決まっている。

この式典には、WFP職員の士気を高めるという目的があり、個人やチームの栄誉、功名心は二の次である。これに選ばれたからといって、昇任が約束されるわけでも、将来のポストが約束されるわけでもないらしい。その辺りは、全く別の競争原理と仕組みがこの組織には存在するようだ。

以前所属していた自衛隊にも同じようなことがあったなぁ。目立つ式典には、別の意義や思惑があるものだ。お金をかけ、時間をかける式典には、それなりの説得できる意義が必要で、栄誉を讃えるだけでは理由として弱く、職員総員の士気向上というところが本来の目的になるのだ。

いやいや、単純に喜んでいた自分が若干恥ずかしく、まんまとその戦略に乗ってモチベーションが上がったなぁと感じた。正直「WFP、悪くないなぁ」と本気で思ってしまった。こういうことで、職員の士気が向上するものなのだ。

スピーチをした2人は、WFPの大先輩で、その後食事をご一緒させていただいて、いろんな話を聞く機会に恵まれた。まだまだ、この業界には学ぶべき点が多く、自分が成長できる材料が随所にある。

国連とは、冷めた目で見れば、ウソばかりかもしれないが、それがこの世の現実であり目を背けず学べるものは貪欲に吸収していかなくてはならない。
posted by atsushi at 05:43| Comment(0) | 国連職員としての日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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