2012年05月14日

守るもの 変わるもの

少し時間が経ってしまったが、5月5日の子供の日、息子の初節句を無事に行うことができた。日本からは、妻の父母がゴールデンウィークの休暇を利用し、息子のための五月人形を抱えここローマを訪ねてくれた。近所の市場で買った魚を焼き、立派な兜を前に、家族揃って息子のすこやかな成長を祝った。こういう行事を通して、日本の伝統や文化を改めて見直し、そして自分自身も親のありがたみを再認識する。

僕は学者ではないから、正確な数字や割合は出せないが、日本は宗教を土台に祝日を制定していない世界でもまれな国だと思う。西欧諸国は、政教分離とうたっていても、必ずキリスト教の教えが軸となってイースターやクリスマスを祝日としているし、アラブ諸国はイスラムの戒律を元に、ラマダン後のイード・アルアドハーなどを祝日としている。日本は、そういった宗教の教えではなく、単に子供の成長を祝ったり、季節の移り変わり(春分、秋分)を祝ったり、憲法制定や建国を国の祝日としている。

そんな違いもある程度認識しながら、息子たちの次の世代に、日本の文化風習はしっかりと受け継いでいきたいと思っている。国際的な仕事をし、世界を動き回るような生活をしていても、自分の基礎となる場所や考え方を持っていることは重要だ。僕も、時々「日本ではこの件では、どんな風にしているの?」といった質問を受けるし、僕だけに限らず日本人職員それぞれが、担当部署で日本を代表する大使的役割を担っているはずだ。こういう環境にいれば、否が応でも自分の国について知っている必要がある。

さて話は少し変わるが、現在のヨーロッパの政治情勢。新たなフランスの大統領として選出されたフランソワ・オーランド氏、フランス建国以来、初めて社会党が政権を取る。また、ユーロ圏での一番の問題児ギリシャは、緊縮財政を反対する国民の声を反映し、連立政権を樹立できないでいる。

日本では、理想的に語られることの多いヨーロッパ連合。しかし、ユーロ通貨危機を発端として、日本でもとうとうこれらの経済協定に疑問を投げかける声が出てきている。新自由主義、グローバル経済からの見直しが声高に叫ばれ、とうとう民主主義および資本主義に修正を加える時期が来ているのだと思う。

世界経済は繋がれば繋がるほど、海千山千の競争相手と戦わなければいけなくなる土壌が広がっていく。これにより、価格低下が訪れ消費者としての自分たちは恩恵を受ける。ただ、人は消費者としての側面だけではなく、生産者であり労働者であるため、雇用を追われる憂き目にあう。ユーロ圏でもラテン系経済圏は深刻で、イタリア、スペイン、ギリシャなどは、失業率20%以上である。若年層に至っては、この数字はもっと高いはずだ。

しかし、こんな事実を前にしてもグローバル経済は既にあるものとして、うまく付き合っていくほか現在の対処法はないように思う。いきなりブロック経済を実行して、自国の雇用や産業を守っていくことなど到底できない。相応の輸出入は、どの国にとっても大切な経済活動の一環だからだ。ヨーロッパは、ある意味実験的な貨幣統一や経済協定を押し進めていって自ら理想郷に挑戦した。しかし、結果としていろんな問題が山積している。僕は、これらの流れを実際にヨーロッパで体験できている現状がとても貴重だと思っている。

日本という国で育った僕には、日本の文化風習を守っていく義務があると自分で思っている。どうしたら、次の世代に良い形でバトンタッチができるのか、最近よく考える。様々なニュースや書籍に接し、これが絶対などというものは本来存在しないのだと思う。でも、守っていきたい物もやはりあると感じている。

大切なのは、思考を止めないことだろう。
posted by atsushi at 05:59| Comment(2) | ひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月23日

人道支援家たちの訓練

私は今イタリアのブリンディジという町に来ている。ここは、ながくつの形をしたイタリア半島のかかとにあたる部分で、ローマより南に位置している。この町に来てから10日ほど経つのだが、この出張の理由はとある訓練に参加することだった。昨日でその訓練を終え、今日はこの町のホテルでのんびりと過ごしている。訓練はかなり密度の濃いもので、12人一部屋の団体生活で総勢70人ほどが参加した。とにかく今は、訓練後の疲れと頭の整理をしているところ。明日からはまた別の会議に参加するため、とにかく休む必要がある。

さて今回参加した訓練の内容は、災害に対する緊急対応能力を養うものだった。訓練シナリオは、仮想国において災害が発生し、外国から多くの国際人道支援機関が現地入りし、それをどのように取りまとめていくか、という内容であった。ここでの視点は、WFPが災害時にリードを取る物流(ロジステックス)に焦点を当ててのものだ。どこに、どのような物資が必要かを精査し、誰がどのようにどれほどの量を運ぶのかを調整する訓練だった。国際NGO、国連機関、現地政府と協力しながら、そのシナリオに用意されている様々な事件を乗り越え、対応していくというもの。よく練られていた訓練シナリオで、とてもうまく構成されていた。

私は、訓練を受けるほうではなく、訓練をサポートする側にいて、訓練生に自分の専門分野である航空物流に関する知識や考え方を与えながら、シナリオを進めていく役割だった。実際には、訓練を受ける人の数よりも、訓練をサポートする人の数のほうが多く、そこからでも十分にいろんな知識をもらえるものであった。訓練生を通して、会議の進め方、様々な分野における調整の仕方、情報管理などを学んだ。チームは、WFPを含めたいろんな機関のスタッフで構成されていて、皆それぞれ物流を担当している職員だった。彼らは、素人ではなく、フィールドで5年以上の経験を持つ人たちなので、傍で見ていてとてもいい勉強になった。

ここではいろんなことを学び、そして考えることがあった。

人道支援というこの分野の活動、やはり欧米人がリードを取っている現場なのだとしみじみと感じた。参加者総勢70人ほどの中、私だけがアジア人だったという現状がそれを如実に語っているし、アジアのNGOも全くいなかった。日本も、JICAを先頭に人道支援で活躍しているが、人的貢献はまだまだ少なく、財政的支援が多いのだろう。また、このようなネットワークに日本の機関や職員が参加していないことに少し疎外感を覚えた。

おそらく物流分野だけではなく、総じて人道支援は、同じようなメンバーで回されているのだろうと思う。こういった人道支援家は、災害があれば、空を飛んで現地入りし、次々に緊急援助の必要な国を移動している。アフガニスタンにいたかと思えば、ハイチに行き、スマトラへ出向き、リビアに入る。根無し草のごとく、海外を転々としながら緊急援助の活動を続けている。だから、初めて訓練に参加するものばかりでも、数人は顔見知りが初めからいる状況のようだ。私自身は、この分野ではまだまだ駆け出しのため、ネットワークはそれほどなく、新しい顔ぶればかりだった。

そして、みんな議論がとにかくうまい。過去の事例を出しながら話に深みを持たせ、説得力がある。筋道の通った話の中にジョークを交え、笑いをもって人をあきさせることなく、理論的に話ができる。他の人の意見も集約させながら、自分の思いも混ぜるその話しぶりは、やるなぁという思いだ。もちろん英語でやっているから、英語圏の人がリードを取りやすいのだが、英語を第2言語としているような人も、流暢に議論できていた。

日本人があまり知らないこの国際人道支援という業界、そして、議論に重きを置くすすめかた、以前から分かっていたこの現状に改めて考えさせられるものがあった。今のままの日本人では、これらの業界でやっていくのは相当根性がないと、続かないだろう。日本の教育は、今世界基準で考えないといけない瀬戸際に来ている気がする。

とまぁ、日本のことを思いつつ、自分自身の能力向上に役に立ったので、この訓練に参加できて嬉しく思う。それに、いろんな新しい人に会えたことは、とにかく財産だ。この業界、広いようで狭いのだからまた再会することもあるだろう。
posted by atsushi at 22:12| Comment(0) | 国連職員としての日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月09日

都市による差異の体験(ミラノ)

イタリアローマに転勤してきた理由は、何も本部勤務してみたかったというだけではない。仕事の面だけではなく、ここヨーロッパに拠点を置いて、ヨーロッパのいろんな国や都市を旅したいという思いがあったからだ。ここに転勤してきて4か月が経ち、今週は2度目の小旅行に出かけた。1度目は、先月にフェレンツェを訪ね、今回はさらに足を延ばして飛行機でミラノへの2泊3日旅行に出た。

日本から母が来ていたので、一緒にどこか旅行に出かけられないかと企画したものだ。イタリア国内なので、1時間も飛行機に乗ればミラノに到着。気温は、さすがに北に移動しただけあり、3度ほどローマより低かったと思う。到着時刻は午後8時を過ぎていたので、すでに日が落ちていて周りの様子はよくわからなかったが、近代的という第一印象を持つ。

旅は計画する時からすでに始まっている、と私は常々思っている。旅行ガイドブックに目を通し、全部は読めないまでも軽くその街の歴史背景なんかを頭に入れる。どこがきれいで、何が美味しくて、その街の特徴はいかなるものか。泊まる宿を決め、行きたいレストランの下調べ。街をどんな風に歩くかまで考え、ネットでその道を辿ったりすればもう完璧だ。

今回の旅行はそういう点においてかなり準備不足。なぜなら、その出発日の四日ほど前から体調を壊し仕事も休んで自宅で寝ていたからだ。本やネットが調べられるほど元気であればよかったのだが、そんな余裕は全くなく旅行当日になってしまった。そして当日もまだ本調子ではなかった。

そんな状況だったけど、とりあえずその土地に降り立った。

最初の日の晩は、ホテル近所の中国人経営のバイキングレストランへ。中国人は、本当にどこにでもいる。いろんな国の言語を操り、その土地に根を張り、街を作り上げ、商売を展開させる。ミラノもそんな彼らの餌食になっていた。そして、観光客である私たち一行もそんな彼らのイタリア料理ではない中華料理に魅せられて、店に吸い込まれた。なかなか良い味。決して安くはなかった料理だったけど、初日としては良好だった。

2日目、地下鉄の1日券を購入して、観光地の方へ移動。最初に到着したドーモ(大聖堂)はなかなか堂々たる建物だった。前面に広がる広場には、多くの観光客がカメラを構え、そんな観光客に物売りやわけのわからぬ鳩の餌を売り歩く商売人が群がる。当然彼らはイタリア人ではなく移民の人たち。この光景はローマでも多い。

ドーモは圧巻で内部のステンドグラスは日の光を通し色鮮やかで美しく、その中の細部に亘る造りがきめ細かく一見の価値ある教会であった。写真撮影禁止の札が出ていたけど、みんなパシャパシャ撮っていたので、自分たちも構わず撮りまくる。こういう時は人に流されるのが吉。

それから、有名なアーケードを通る。脇には道まではみ出して椅子を並べる喫茶店やらレストランが並んでいる。こんな所で寛いでいるのは観光客ばかりだろうけど、なかなか良い光景だ。私たちもお茶をしたり、軽食を摂ったりした。

街を小1時間散策した後、一旦ホテルに戻り休憩した。夕方再度同じように街に出て、雑誌に載っていた有名なレストランに向かう。出された何気ないパンが美味しく、前菜のサラダに、メインのステーキ、都会的でなかなか美味しい食事だった。

とまぁ、その時点でミラノに到着してから24時間ほど経過したことになる。

この時点で、ある点において皆の意見が出た。ミラノ人の違いについてである。街の公共交通機関やその他インフラはしっかりしており、ローマより近代的である。しかし人が優しくないのだ。ローマにいると赤ちゃんを抱いているだけで、いろんな人が話しかけてくるし、とても人懐っこく優しく接してくれる。レストランでも並ばずに入れ、とにかく特別待遇を受ける。

ここミラノは違う。赤ちゃんが泣いているとうるさいなぁという顔をされるし、結構無視に近い。まぁ、日本ではそんなところだから、冷たくて嫌だというところまでいかないまでも、この違いには24時間いただけで明確に感じた。そして次の日も観光するが、その違いはより確かに感じ取られた。

同じ国内でも街の雰囲気や人の性質が異なる。同じ言語であっても違いが出てくるのは、その元を辿ればどこに起因するものなのだろうか。都会と田舎という線引きが冷たさと優しさに直結しないのは、ローマの方が首都だし街であることから当てはまらない。

でもこんな形でローマに住むことができている現状に幸運を感じた。首都であっても、人の気質は優しくて田舎的なのだろうか。次は、来月ヴェネチアに向かう。また新たな発見があるだろうか。ヨーロッパのいろんな町を訪れ、見分を広めていきたいと思う。そして、その過程において過去の歴史も学んでいければ最高だろうと思っている。何事も百聞は一見にしかず。
posted by atsushi at 05:53| Comment(2) | イタリア生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月29日

転勤(官僚組織の人事制度)

WFPには、リアサインメントと呼ばれる転勤制度が存在する。というか、リアサインメントの日本語訳が配置転換という意味で、職員の移動による職務の変更をあらわしている。転勤における大きな取り組みが1年に2度あって、その中でも年末に空席が公表されるものが最大だ。

転勤のサイクルに当たる職員はそれぞれの希望に応募し、結果は今頃3月末あたりに発表される。実際の移動は、6月7月あたりまでずれ込む場合もあるので、国連機関らしく人事上の動きにはとても時間がかかる。まぁ、国境を跨ぐ移動を強いることになるので、これも仕方ないことなのかなぁともおもう。

正規職員は、その勤務地に応じて、ある程度決まったサイクルで勤務地を移動する。たとえば、勤務困難地はその任期を2年と定められており、本部ローマのような生活に全く支障のないところは4年とされ、その中間的なところは3年である。こういう官僚組織は、日本の公務員と同じだが、人事が一番の関心ごと。さまざまなゴシップや陰口が横行するのも、ポストや昇進等の人事に関することだ。

職員の移動は、何もこのリアサインメントに限ったことではない。それ以外の時期にも、空席は公表され、人は動いていく。もちろん規定の期間を終了しなくても、もっと早くに人が動く場合もあり、その逆で長くいることもある。世界の辺鄙なところで働けるのも、このようにローテーションで違うところに行くことができるからだと思う。ひとつのところにずっといなくてはいけない職場だと、外国から人は働きに来てくれないと思う。

以前の勤務地ダルフールも期間限定だからやれるのであって、永続的なものであればそもそもそこに入って行こうとも思わない。一喜一憂があり、一筋縄ではいかない人事の動きであるが、その存在意義は明確だ。紛争地、生活困難地、先進国、いろんな所を根無し草のように移動し、昇進し、経験をつんで、このような国連機関で力を発揮できる人材に育っていく。

とまぁ、制度の説明はこれくらいにして、この人の動きには非常に影なるものが付きまとっている。なんだか怪しい密室での話し合い、小さなグループでの会話が、物事を動かしている。組織上、一番上に立つ者が全ての権限を持っているのだが、物事はそこに行く前に大体決められて、後はサインをするだけという状態なのだろうと思う。まぁ、これは日本の官僚と政治家との間でも行われていることで、巨大な組織ではこれも相応の対応なのだろうと思う。

一般企業でもこういう動きはあるだろうから、人の介在する組織としては至極当然の現象なのかもしれない。そういってしまえば、国連機関も政府機関も一般企業もさほど違いはないのかもしれない。チャンスは平等にあっても、処遇は公平ではないのだろう。

組織の性格や仕組みをしっかりと認識して、自分なりの戦略を立てて、先を考えていくのが懸命な行いなのだろう。妬み、嫉みはこの世の中にはつきもの、人にひがまれても、自分がひがむことなく、平常心でいきたいものだ。幸せの基準は誰でもなく自分が決めるものだから。
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2012年03月26日

年に一度の表彰式

2日前の金曜日の早朝、1週間のナイロビ出張から帰ってきた。本来なら、あと1日ナイロビにいて、会議に最後までいなくてはいけなかった。しかし、WFP本部のローマで行われる2011年度の表彰式にどうしても参列したくて、早朝に到着する飛行機で戻ってきた。家に着いたのは、午前5時過ぎ、荷物の整理をしてシャワーを浴び、少しだけ眠った。10時には起きて、事務所へ向かう。

その日の午後の表彰式は、2011年度のWFPのプロジェクトや個人に対して、特に優秀な活動を行ったものを表彰するという式典である。この表彰式は、聞くところによると、7年ほど前から行われている行事であるらしい。今年は、私の参加した東日本大震災に対するJapanプロジェクトが表彰を受けることになっていた。誰とどのチームが表彰を受けるというのは、秘密にされていたが、こういう噂はすぐに回るもので、情報をコントロールすることの難しさを改めて、感じる。

自分が参加したそのプロジェクト、そして、一緒に働いた仲間がするスピーチ、それをこの目で見たくて早目に戻ってきたのだ。ナイロビのなんちゃってな出張よりもこっちの方がはるかに大事である。

Executive Director 通称その頭文字をとってのEDを自分の目で見たのはその日が初めてであった。WFPにとっての彼女は、国連事務局のバンギムン事務総長のような存在だ。彼女の事務所は、私の事務所のある同じ6階にありながら、ローマに赴任して来てから4か月も経つというのに一度もお目にかかったことはなかった。映像でない彼女を見て、少し感動を覚える。

式典はなかなか感動的で、日本のチームが表彰され、映像が流れスピーチを聞いた時には、感極まって涙が止まらなかった。このプロジェクトが立ち上がって、日本の方々に貢献できたこと、そしてそれに自分が参加できたことが、とにかく嬉しい。最後に、EDと表彰で頂いた盾を持ち、並んで写真を撮らせていただいた。大切な記念になることだろう。彼女の任期は、あと1か月で後任の人はもう決まっている。

この式典には、WFP職員の士気を高めるという目的があり、個人やチームの栄誉、功名心は二の次である。これに選ばれたからといって、昇任が約束されるわけでも、将来のポストが約束されるわけでもないらしい。その辺りは、全く別の競争原理と仕組みがこの組織には存在するようだ。

以前所属していた自衛隊にも同じようなことがあったなぁ。目立つ式典には、別の意義や思惑があるものだ。お金をかけ、時間をかける式典には、それなりの説得できる意義が必要で、栄誉を讃えるだけでは理由として弱く、職員総員の士気向上というところが本来の目的になるのだ。

いやいや、単純に喜んでいた自分が若干恥ずかしく、まんまとその戦略に乗ってモチベーションが上がったなぁと感じた。正直「WFP、悪くないなぁ」と本気で思ってしまった。こういうことで、職員の士気が向上するものなのだ。

スピーチをした2人は、WFPの大先輩で、その後食事をご一緒させていただいて、いろんな話を聞く機会に恵まれた。まだまだ、この業界には学ぶべき点が多く、自分が成長できる材料が随所にある。

国連とは、冷めた目で見れば、ウソばかりかもしれないが、それがこの世の現実であり目を背けず学べるものは貪欲に吸収していかなくてはならない。
posted by atsushi at 05:43| Comment(0) | 国連職員としての日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月12日

東日本大震災より1年 ローマにて追悼

2011年3月11日より、今日で丸1年がたった。数日前から、あの時からもう1年だなぁとずっと考えていた。そして、今日は日曜日なので、珍しく朝からテレビを見る。

ここローマにおいても、日本のテレビ番組を一つだけ見ることができる。NHK Worldという番組で、基本的にはNHKのニュースやその他日本に関する事柄を英語でしている在日外国人向けと思われる番組だ。予想した通り、その番組では、大震災からの1年ということで大震災関連の特集や、今日の日本での追悼行事についての紹介が流れていた。

どの映像も感極まるものがある。災害発生時の救急救命活動、その後の被災者への支援活動、復旧復興活動、見ていると目に涙があふれてくる。それぞれに多くの問題を抱えながらも、それでも人々が必死の思いで助け合ってきた光景がそこにはある。「絆」がテーマになるほど、人との関係、地域共同体の意義がこの事件を境にこれほど見直されたことはない。

新聞等メディアを通してよく言われるのが、政治が機能していない、政治の怠慢で復興が遅れている、ということ。

話は少し逸れるが、日本人は、ダメ出しをするのが得意だ。小さな重箱の隅をつつくような行為をすることによって、より完璧で完成されたものを追求する。これは、日本の製品によっても見られることで、それぞれの製品の性能は他の外国製品の追随を許さないほどに完成されたものだが、その方向性が正しいのかどうかの議論は意外にも少なく、見落とされがちである。道を追求するのは、忍耐力が必要で、それ自体は素晴らしいことだが、方向が間違っていれば非常に効率が悪くなる。そして、もう少し褒めてもいいのではないか、自信を持ってもいいのではないかと常々思っている。

日本の政治というのは、日本人そのもののことだ。日本人の総意が政治のかたち。政治だけを悪いと批判し、自分達から切り離すことは本来できない。民主党を選んだのも、国民だし、原発の恩恵を受けてきたのも国民がそれが良いと決めたからだ。

テレビから流れる映像を見て、自分にはいったい何ができるだろうかと考える。日本人として、自分の国にどんな貢献ができるのだろうか、と。東北でWFPの職員として、支援活動をした4か月を通して、そしてその後もずっとこの想いを抱えている。

国連という箱を通して、自分はどうやって、自分の国の友人、家族、お世話になった人、地域に貢献できるのだろうか。答えはまだ出ていない。すぐに転職を考えるほど私は短絡的ではないけど、自分の今までの自衛官としての経験、国連職員としての経験を活かして、自分の能力を最大限活用できることで母国に何かできれば、と思っている。

今日の夕刻、ローマ市内のポポロ教会にて、大震災の追悼を目的としたコンサートが開かれた。多くの日本人もコーラスに並んでおり、前面のソプラノ、メゾ・ソプラノも日本の方だった。モーツァルトの鎮魂歌を1時間弱演奏されていたが、特に講話があったわけでもなく、黙祷があったわけでもなかったので、ややメッセージ性が欠け残念ではあったが、この機会に自分が参加できたことに心が安らいだ。これはその時の写真。
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復興までの道のりは遠く、問題が山積しているが、進む道を間違えないでほしい。不都合な事実を覆い隠さず、ムリ、ムダ、ムラの3ムを排除するよう念頭に置きながら進んでいかなくては、今の日本にそんなものを受け入れられる余裕はない。

東北はまだまだ寒そうだったなぁ。雪の降る中、数がとても減ったボランティアの人たちだけで、よく頑張っていた光景がテレビに流れていた。

まだまだ終わりではない。
posted by atsushi at 07:25| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月09日

悲しい事件

1か月近くブログを更新できなかったのは、忙しかったからという単純な理由からではない。引っ越しによる新しい生活の組み立て、新しい職場環境での慣れない作業、いろんな雑務によってこの場から遠ざかっていた。20分もあれば、更新できる日記調のこのブログでさえも、継続させるにはそれなりに意志の力が必要だ。

仕事に関する悩みは、次回のブログ更新に回すとして、今日久しぶりに更新しようと思ったのは、悲しいニュースを人づてに聞いたからだ。

ここローマの前の勤務地、南ダルフール州の州都ニアラで、僕の昔の同僚が2日前に武力集団に誘拐されたということを知ったからだ。朝の通勤時、彼はドライバーと一緒に事務所へ向かう。2日前のその時に、2人ともさらわれた。しかし、現地人であるドライバーは、ニアラの街から1時間ほど車で走ったところ辺りで解放された。そして、イギリス人である彼は、武力集団のアジトと目されているジャブラマラという地域まで連れ去られ、行方が分からなくなってしまった。

詳しく調べていないが、どうやら事件の後ろにはスーダンとイギリス政府との政治的いざこざがあったようなのだが、そんなことに彼はイギリス人だという事実以外は全く関与していない。

彼とは、1年近く仕事を一緒にした仲間だ。宿舎でも隣の部屋だったので、家族構成などのプライベートなこともよく話し合ったとても気の合う仲間だ。ここローマに転勤してきてからも、時々スカイプで連絡を取っていた。そんな彼が、誘拐されたと知って、半ば信じがたく、インターネットで調べたがそのニュースは、多少の間違いは含まれていても、名前や職業などは記されていて確認が取れた。

1年ほど前に僕のスタッフが誘拐された時には、1か月近くも拘留されていた。それでも、生きて帰って来られたので、なによりだが、今回も同様に無事であってほしい。家族は、彼のことを心配していることだろう。娘さんが2人いるのだが、家族のことを考えると、とても胸が痛む。

そして、今ニアラの事務所では、引き渡し交渉の対策本部が作られていることだろう。通常業務そっちのけで、忙しくしているに違いない。誘拐された彼本人、その周りにいる同僚たち、そして彼の家族、それぞれが今後どんどん疲弊していく。

何よりも無事であってほしいし、拘留がなるべく短くあってほしいことを祈る。

フィールド勤務には、こういう危険と隣り合わせなのだ。
posted by atsushi at 05:51| Comment(0) | 国連職員としての日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月04日

ローマの公共サービスと職場環境

昨日のローマでの出来事。その前日の木曜日から、明日は天気が悪くなると言われていた。予報では、気温が0℃以下になり、雪が降ると発表されていた。それを受けて、なんとローマ市長が金曜日の学校を休みにすると宣言。こんな場面でローマ市長が出てくることに驚いたが、たかが0℃で!という過剰な反応に、2重の驚き。

そして、当日金曜日は、職場に多くの子供たちがいた。急きょ休みになってしまった学校によって家にいないといけない子供たち、それに合わせたベビーシッターを見付けられなかった職員や、その他子供の面倒を見る人が家にいない職員が、自分の子供たちと一緒に出勤してきたのだ。そうしなければいけない背景は明確だが、これは日本では見られない光景である。ふーん、こんなこともあるのだ、こんなことが許されるのだ、とカルチャーショックと共に感心してしまった。

実際の天気は、なんてことはないちょっと寒いくらいの天気。雪だって降ってはいなかった。ローマ市長のお触れが効いたのか、公共交通機関も全く頼りにならない感じだった。それを予想して、朝の出勤時いつもより1本速い列車に合わせて駅に向かったので、うまく職場に来ることができた。しかし、ほとんどの職員はその後の列車の遅れでプラットホームに1時間近く待たされるという災難に遭っていたようだ。

まぁ、こんな遅れは別段理由なんかなくても、日常茶飯事のことではある。もういい加減待たされることには慣れてきたが、交通機関に頼っての通勤はとてもストレスが溜まる。だからといって、自分の車で、となると尋常じゃない交通渋滞に頭を悩まされるし、ガソリンスタンドも時折ストに入ることがあり、常に気を張り詰めていないといけない現状なのだ。

さて、昨日の気温、確かにちょっと寒い。でも、外は雪でなく雨。昼ごろのこと、職員が騒ぎ出した。事務所の近辺では雨だけど、ローマ市内は雪が降っているという情報が流れだしたためだ。雪を見たことがないわけではないが、非常に稀な現象らしく、一時職場が喧騒な雰囲気となった。

ほどなく一斉送信のメールが上層部より流れてきた。職員は上司の許可を得て、帰宅してもよい、と。え、こんなんで!と驚く。冗談でしょ、と。

それから、どんどん職員が事務所を後にする。「良い週末を!」、なんて言いながら
笑顔を振りまいて出ていく。

たったこれだけの気象の変化で、こんな混乱を生むなんて、日本であれば考えられない。東北で僕が働いていた状況を思い起こすと、早くに帰宅できる状況には喜べても、なんとなく失望感を覚える。でも、後々早目に帰ったほうがいい、その理由が少しわかる状況に自分が巻き込まれる。

僕には、まだ仕事があったので、引き続き業務に。でも、当然人がいなくなれば停滞してしまう業務もたくさんある。ある程度のところ3時くらいで帰ろうかなぁと身支度をし始める。もうこれ以上いても、周りにあまりにも人がいなさすぎて、どうにもならないからだ。

そして同僚から今列車がほぼ止まっていて、1時間に1本来るかどうかわからないということを知らされる。どうやったら、そんな情報を知ることができるのか不明だが、自分が帰宅難民になってしまったことに気が付いた。列車だけでなく、事務所からシャトルバスと地下鉄を乗り継いで、ローマの中心部に移動できるのだが、どういうわけかシャトルバスが止まってしまっていた。

さて、残りはタクシーという手段。イタリア人の同僚に電話をかけてもらう。僕はまだイタリア語ができない。そして、その混み具合を知る。タクシーがつかまらない、と。

ビルの入り口の、守衛事務所に行けば、契約しているタクシー会社へ直接連絡ができると教えられたため、とりあえず事務所を後にする。そこにいったら、たくさんの職員が並んでいた。そして、待たされようやくタクシーが来たころにはいつもの帰宅時刻と変わらない時間になっていた。

やっぱり自分の車を持った方がいいのだろうか。交通渋滞とその他煩雑な事務手続きに悩まされながらも、自分で動けるようになるべきなのだろうか。

When in Rome, do as Romans do. 郷に入らば郷に従え

やっぱりみんなが帰るときに、帰ったほうがよかったのだ。皆がしていることを同じようにやるべきなのだ。しかし、たったこれだけのことに混乱してしまうローマの行政って。ますますこの町から離れたくなる。
posted by atsushi at 22:17| Comment(0) | イタリア生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月23日

ローマに戻ってきての1週間

明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

日本で年末年始を過ごし、1週間ほど前にローマに戻ってきた。ローマは相変わらず日本よりも暖かいが、それでも以前と比べいくらか気温が下がっている。戻ってきて直ぐの数日間は、長旅の疲れと気の緩みで体調を壊してしまった。完全に風邪の症状があって、最初の1週間の勤務はつらかった。ただでさえ休みボケでモチベーションが低下していたのだから、仕事に行くのがとても苦痛な1週間だった。

今は、観光客や在留外国人に比較的人気のTrastevereという地区のアパートに暮らしている。40uのアパートでは、3人で住んでみるとやはり手狭で、もっと広い場所に引っ越すことにした。ローマでは(イタリア全般に言えることかもしれないが)、住居を設定するのがとても大変な作業だ。家の設備などに責任を持つ大家さんがとても重要な存在で、その人の人格や対応の仕方で、住み心地は大きく左右される。設備が充実していても、そこにはメンテナンスが必要で、また地元業者との契約が外国人にはとても難しいため、どうしても大家さんがそこに介入しなくてはいけない。

イタリア人の英語力は、他のヨーロッパ諸国と比較し、かなり劣っていると思う(日本人のことを棚に上げて言えないけど)。しかも、出来ないことに劣等感はまるでなく(ここは日本人と異なる)、どんどんイタリア語で攻めてくるし、イタリア語ができないことに対して邪険に扱われたりする場面も時々ある。だから、大家さんという自分の味方になってくれ、第3者とイタリア語で折衝をしてくれる人が重要な存在になるのだ。

現在のアパートは、勤務先国連機関のイントラネットの掲示板で見つけた。職場の同僚から借りていることになっているが、その当人はここローマにはいない。イタリア語を操れるスペイン人なのだが、彼女は北朝鮮の事務所に勤務している。日々の問題点は、メールを通して連絡を取っているが、やはりローマにいないのは、なにかあった時に頼る人がいなくて、不便に感じていた。

そういった住環境と手狭さのため、もっと大きくそして便利の良い所に引っ越すことに決めた。次の場所はAventinoという地区で、WFPの生みの親Food and Agricultural Organization (FAO)から徒歩圏の場所だ。広さは、今のところの倍の80u。国連の健康保険が直接使える病院にも近く、地下鉄、列車へのアクセスもいい。この場所は、ローマに駐在する日本人の国連職員で構成される日本人会で紹介されたものだ。ローマでは、不動産屋からの紹介で住むところをみつけることもできるのだけど、この様に人づてで住居を探すのもとても一般的な方法だ。

大家さんは、イタリア人の60歳を超えるおばあちゃんだけど、英語がとても上手だし、非常に優しい人だ。僕たち夫婦が入るにあたって、お客さんが泊まってもいいように、ベッドをもう一つ買ってくれると言ってくれている。部屋は完全家具付きで、食器なんかも含まれているため、身体一つで入ってもすぐに生活ができる。このような、Full furnished なアパートがここローマには結構多い。今まで身軽に生きてきた僕にはピッタリ。

リビングルームは、ローマによくある大理石ではなく板張りのため部屋に温かみがある。息子がこれから、お座りをして、歩き回るようになっても十分遊ぶスペースは確保できる。なにより、病院に近く、FAOに近いのはとても便利だ。WFPの職員は、その身分証でFAOにも行き来できる。あの庁舎には、大きな免税店が入っていて、そこではヨーロッパで通常かかるVAT ( Value Added Tax付加価値税)21%が免除されるので、とてもお得に食材から衣類、酒類、化粧品まで購入できる。

ローマに来て思うことは、国連職員というのは、給料以外のところで本当にたくさんの恩恵を受けられるということだ。まぁ、しかしここローマでの生活はとにかく高い。次のアパートは、月2100ユーロ、日本円では22万円ほどだ。こんな高級なアパートには未だかつて暮らしたことはない。でも決して贅沢をしているわけではなく、ローマでは一般的なようだ。家賃補助が出なければ、とても暮らせない。

とりあえず、今日はこの辺で
posted by atsushi at 05:28| Comment(0) | イタリア生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月15日

日々の反省

なかなかブログの更新ができていない。毎日、このブログにアクセス下さる方がいる中で、一向に新しい話を提供できないのが、こういうものを始めてしまった者にかかるプレッシャーだ。全く話がないわけではないが、やはり新しい土地に来て、自分のペースがつかめないでいる。

さらには、2週間ほど前に日本から家族が合流している。3か月の赤ちゃんがいることだし、そちらに神経が向いているので、たかだか30分のブログ更新の時間も嬉しいことに難しい。

好きな人と過ごす時間は何をしていても楽しいし、一人でやっていく時間よりもはるかに充実している。一人の生活は悪くはないけど、特に海外生活において物事を人と共有できない状況は、孤独を感じるもの。それが家族といるだけで、ずいぶん守られた感じがする。あらためて、物事や思考を共有することの重要性を考えさせられる。

国連職員には、それなりの年齢になっても独身でいる方が実に多い。数年ごとに国を跨ぐ転勤があり、海外出張も多い中、さらにはキャリア志向なども重なり、家族という枠組みをなかなか持ちにくい(または持ちたくない)人が多く存在しているのだと思う。多言語を操り、国際情勢・国際政治を相手にしながら、それ相応のお給料をもらう中で、やはり国連職員というのは特殊な職業である。そのため、職員にはわけのわからぬ必要のないプライドが存在し、その人そのものを不思議な枠に収めている。

私の常に思っていることは、「普通の人」であり続けたいということである。「一目置かれる存在」という言葉があるが、そんな側面があったとしても、一般的な感性をもち、何人とも共有できる柔軟性を維持しておきたいと思っている。国際人として生きる、というテーマに沿ってブログを構成していても、特殊な人ではないむしろごく一般にありふれた普通の人がこうやって生きている、そして、海外に出て働いたり、生きていったりすることを普通に生きる道としてみんなに広げていきたいという思いがある。

しかし、そんなきれいごとばかりでないことも往々にあるのは事実。私にも、時折邪魔する要らないプライドが思考を硬直化させたり、ほぼ停止気味にさせたりしている。そんな時は、一人反省している。でも、自分でも気付かないところも多くあるに違いないと思う。

さて、話はかわって昨日で今年の仕事は終了。今日の午後には飛行機で日本へ帰国する。久しぶりの日本である。ゆっくり休んで、美味しいものをたくさん食べたい。
posted by atsushi at 16:10| Comment(0) | 方針 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする