2011年03月29日

NIPPON

宮城県沖で発生した地震は、東日本大震災と命名され、その発生から今日まで約2週間が経過しました。死者は、1万人を超え、不明者はまだ2万人以上も存在します。数字だけを見ても、この災害の規模が今までにないほどの大規模であったことがわかります。さらに、福島県の原子力発電所では、懸命の放水活動を自衛隊、消防、警察が実施し、冷却に努めていますが、放射能漏れはじわじわと厳しさを増しています。

僕は、いま日本へ向かう途中です。

カタール空港の中継地点、カタールのドーハで乗継便である関空行の飛行機を待っています。突然の日本帰国であったため、夕方の便は完全に抑えられていたため、ハルツームから昼の便に乗り込み、ここでこれから7時間ほどの待ち時間を過ごします。

その電話は、休日である金曜日の朝にかかってきました。ハルツームの上司からでした。「悪いがすぐに日本へ行ってくれ。」そういう内容でした。

そう聞いて、僕はやや混乱しました。なぜなら、日本行きはすでに合意のもとで、給料の支払われない1か月の休暇を取って、日本へ帰国し、地震災害復興支援のため、ボランティア活動にでも従事するように調整していたからです。その上司も当然知っていましたし、1週間後に当たる4月5日に飛行機をおさえていたのです。

話の内容は、それとは異なる形で日本へ送ることになったというものでした。WFPが日本政府から物資、食糧支援を要請されたのです、そして、その緊急メンバーの中に僕が選ばれたのです。WFPの職員として、日本へ行ってくれということです。

それからは、もうバタバタでした。航空券の突然の変更、仕事の受け渡し、書類申請のやり直し、考えられる2,3か月ほどの出張の準備、部屋が引っ越してもいいように自室の全ての荷物の荷造り、などなど、大変な2日間を乗り越え、頭が切り替わらないうちにドーハまでやってきました。

仕事のメールには、今までにメール交換をしたことのない人から続々とメールが送られてきます。WFPは、タイのバンコクにアジアの拠点を置いています。バンコク在住の多くの調達後方官が、日本へ送られているようです。数人の日本人職員の名前も見られます。東京から、業務を取りまとめ、出先仮事務所として、宮城県、岩手県に支援所を作り、後方支援をするようです。

僕は、今のところ仙台近郊に派遣されるようですが、とりあえずは、東京に行ってブリーフィングを受けます。まだ、自分の中でしっかりと反応できていない感じがしますが、この任務に参加できることが、とても嬉しく、頑張ろうという気持ちでいっぱいです。ダルフールにいて、ニュースだけを見ているのは苦痛でした。何かできることはないのか、そんなことばかりを思っていたので、とても幸せな思いです。

たくさんの人がこの寒さの中、大変な生活を強いられています。微力ながら、そんな人たちのために役に立てるなんて、こんな素晴らしい仕事はありません。忙しくなるでしょう。ストレスも抱えると思います。

この2日間で、いろんなことを考えました。そして、ここ国連機関での仕事をする上での重要なこと2つを実感しました。それは、1つ目にやりたいこと、欲しいものは言わないとだめだということです。自分の要求をしっかりと上司の訴えることです。2つ目は、そんな願いを聞いてもらうために、日ごろの仕事でしっかりと信頼を獲得しておくことです。僕のこの緊急チームへの参加は、偶然空から降ってきたわけではありません。

僕を押してくれるたくさんの人がいたことを知りました。

ニアラの事務所長、次長、ハルツームの航空局の部長、スーダンの国代表などなど、なかなか偉い人たちが、僕を押してくれたみたいでした。こんなことがあるのですね。そういうことを知ると、とても不思議な気持ちになりますが、日ごろの仕事ぶりが評価されていたということなのでしょう。

ものごとは、動くときは一気に動くものなのです。

ニアラの皆には、お別れを言ってきました。いつ戻ることができるのか、そして戻った時には、もう何人かは転勤していないかもしれないからです。

これからは、忙しくなります。慣れないこともたくさんやることになるでしょう。でも、これは僕の将来にも大きな影響を与えることです。ここで、自分の能力を向上できることでしょう。それに、日本の多くの人たちに支援をすることができるのです。嬉しい思いです。
posted by atsushi at 00:08| Comment(0) | 東日本大震災への緊急支援 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月12日

地震

宮城県沖で、日本時間の午後2時ごろ地震が発生したのを知りました。BBCニュースではひっきりなしに、同じような映像が流れています。

昔の同僚である、自衛隊の皆、今頃大変だろうけど、頑張っていると思います。

僕は、ここダルフールにいて、祈ることくらいしかできなく、憤りを感じますが、できるだけ多くの人命を救ってほしいと思います。様々なメディアで、地震発生からずっと映像が流れていますが、どれも恐ろしい状況を映し出しています。

天災は、本当に怖い。特に地震と、その後に続く津波は、どれだけ準備していても、防ぐことはできないし、対応への限界が存在します。

救助される側も、救助する側も、なんとか頑張ってほしいと思います。
posted by atsushi at 21:29| Comment(0) | 国際ニュースへのコメント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月11日

転勤前の動き

現在、おそらく国連組織のどこでも同じだと思うのですが、職員の転勤先を決める話し合いが各本部で行われています。翌年の空席ポストを年末12月に発表し、それを全職員が閲覧できるようになっています。もちろん、組織内のウェブサイトなので、外部の方には見ることができません。それを、転勤の時期に当てはまる職員が、選んで応募するのです。上限はなかったかと思いますが、3つのポストまでは、優先順位を決められたかと思います。

応募できる期間は、1か月間ほどだったと思いますが、それが集計されて、誰をどこへ配置するかの話し合いが行われています。これは、結構面白い仕組みだと思います。日本では、転勤などの配置の話は公になるようなことはありません。しかも、その配置ごとに、一定の勤務期間が決められているなんて、あまりないと思います。そういう点では、オープンな組織風土なんだなぁと思います。

去年の12月の時点で、僕はここでの勤務1年を過ぎていたのですが、応募しませんでした。2年は、ここに勤務しようと決めていたからです。もともと、契約書も2年と書いてありましたし、その気でいました。フィールド勤務は、通常2年間の勤務が奨励されています。何かの都合により、1年で去ることはできますが、まぁ2年のほうがいいのでしょう。

転勤、配置、役職、昇進、これらは組織で勤務する者にとっては、常に頭の中にもやもやと存在するものです。自分一人の進む道だけでなく、周りの歩んでいる道をも見回して、自分はどうなるかと考えるのです。

こういう時期は、どこか事務所内の雰囲気がそわそわしていて、仕事が手についていない感じです。もちろん、長期的なプロジェクトに関わっている人は、少しずつ手を抜き始めます。当然ですね、自分がいる間に結果が出せないものに、時間を費やすなら、終わらせられるところに神経を集中させたほうが生産的です。

しかし、その周りで働いている‘残る職員’は、結構大変です。責任の量が増えてくるからです。そして、去っていく人がどんどん無責任になっていきます。人として、理解できるし当然の振る舞いなのでしょうが、面倒なものです。無責任な発言も増えてきます。

あと1年頑張れるのでしょうか。夏には、妻の出産で帰国する予定なので、実質働いている期間は、それほど長くはないにしても、最近のストレスはちょっと度を越しています。ストレスの解消法を考えるというよりも、どのような立ち位置で仕事をするべきかをもう一度考え直さないといけないのかもしれません。
posted by atsushi at 15:45| Comment(0) | 国連職員としての日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月04日

静かな休日

かなり長いことブログを更新していませんでした。仕事で忙しかったあとには、大学院の勉強で忙しくなってしまって、このブログを時々覗いてくれた方々、すいませんでした。さて、10日間ほどのR&Rによる休暇を日本で過ごし、3日前にここニアラの街に戻ってきました。まぁ、相変わらずの感じです。

仕事の状況は同じで、確認事項や調整事項が多くありますが、もう手慣れた感じです。ちょこちょこっとメールを読めば、現状を把握することができますし、まったく新しいことが突然発生するということはありません。一人でこの業務全体を回すのは、移動が多くなるせいで疲れますが、同僚のイギリス人が昨日戻ってきたので、これからは少し楽に仕事ができることと思います。

昨日の昼過ぎから、ニアラの街全体でネットワークが不通になってしまいました。電話は通じず、インターネットも見ることができませんでした。コミュニケーションの手段は、VHFのトランシーバーだけ、これはかなり不便です。相手が、電源を入れて、同じチャンネルで待機していない限り会話ができないのです。まぁ、よっぽど段取りしていなければ、使えない機器です。

しかし、そんな状況は、電話が全くかかってこない状態を作り出し、今日という休日をとても平和で静かな日にしてくれます。金曜日は、僕にとっての唯一の休日、ゆっくりと身体を休めたいし、溜まった勉強もやりたい。そして、当然ブログも更新したいのです。2時間ほど前に、インターネットも電話も突然復旧しました。何が原因なのか全くわかりません。ただの機器の故障なのか、それとも政府が何かの目的でネットワークを止めていたのか。ここ、ダルフールは政府の裁量でネットワークを止めることができるようです。どうしたらそうなるのか、よくわかりませんが、考えれば恐ろしいことです。緊急事態に、通信手段が止められる可能性があるのです。

さて、日本から戻ってくるときに、たくさんの食糧を抱えて戻ってきました。お菓子、ラーメン、だしの素、みそ等々、こういったちょっとしたものが、ここでの生活の質を向上させてくれます。フィールド勤務のつらいところは、閉じ込められる空間だけではありません、手に入らないものが多くあるということも生活を苦しくさせます。この街には、緑の野菜がなかったり、しょうゆ等の調味料もなかったり、豚肉をはじめとする多くの蛋白源が存在しません。

まぁ、WFPが入ってくるようなところですから、物がたくさんあるわけないのですが。それだから、僕たちの仕事が存在し、ある意味その恩恵を受けているのです。そんな現実を理解していても、長期間に及ぶ生活は、いろんな不平不満が出てきます。これらをうまくコントロールすること、それがなにより求められるものです。あと1年は続くここでの生活、日数を数えることはしたくありませんが、少しでも意義のある生活を送りたいと思います。
posted by atsushi at 23:10| Comment(2) | 休暇の過ごし方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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