2012年03月29日

転勤(官僚組織の人事制度)

WFPには、リアサインメントと呼ばれる転勤制度が存在する。というか、リアサインメントの日本語訳が配置転換という意味で、職員の移動による職務の変更をあらわしている。転勤における大きな取り組みが1年に2度あって、その中でも年末に空席が公表されるものが最大だ。

転勤のサイクルに当たる職員はそれぞれの希望に応募し、結果は今頃3月末あたりに発表される。実際の移動は、6月7月あたりまでずれ込む場合もあるので、国連機関らしく人事上の動きにはとても時間がかかる。まぁ、国境を跨ぐ移動を強いることになるので、これも仕方ないことなのかなぁともおもう。

正規職員は、その勤務地に応じて、ある程度決まったサイクルで勤務地を移動する。たとえば、勤務困難地はその任期を2年と定められており、本部ローマのような生活に全く支障のないところは4年とされ、その中間的なところは3年である。こういう官僚組織は、日本の公務員と同じだが、人事が一番の関心ごと。さまざまなゴシップや陰口が横行するのも、ポストや昇進等の人事に関することだ。

職員の移動は、何もこのリアサインメントに限ったことではない。それ以外の時期にも、空席は公表され、人は動いていく。もちろん規定の期間を終了しなくても、もっと早くに人が動く場合もあり、その逆で長くいることもある。世界の辺鄙なところで働けるのも、このようにローテーションで違うところに行くことができるからだと思う。ひとつのところにずっといなくてはいけない職場だと、外国から人は働きに来てくれないと思う。

以前の勤務地ダルフールも期間限定だからやれるのであって、永続的なものであればそもそもそこに入って行こうとも思わない。一喜一憂があり、一筋縄ではいかない人事の動きであるが、その存在意義は明確だ。紛争地、生活困難地、先進国、いろんな所を根無し草のように移動し、昇進し、経験をつんで、このような国連機関で力を発揮できる人材に育っていく。

とまぁ、制度の説明はこれくらいにして、この人の動きには非常に影なるものが付きまとっている。なんだか怪しい密室での話し合い、小さなグループでの会話が、物事を動かしている。組織上、一番上に立つ者が全ての権限を持っているのだが、物事はそこに行く前に大体決められて、後はサインをするだけという状態なのだろうと思う。まぁ、これは日本の官僚と政治家との間でも行われていることで、巨大な組織ではこれも相応の対応なのだろうと思う。

一般企業でもこういう動きはあるだろうから、人の介在する組織としては至極当然の現象なのかもしれない。そういってしまえば、国連機関も政府機関も一般企業もさほど違いはないのかもしれない。チャンスは平等にあっても、処遇は公平ではないのだろう。

組織の性格や仕組みをしっかりと認識して、自分なりの戦略を立てて、先を考えていくのが懸命な行いなのだろう。妬み、嫉みはこの世の中にはつきもの、人にひがまれても、自分がひがむことなく、平常心でいきたいものだ。幸せの基準は誰でもなく自分が決めるものだから。
posted by atsushi at 23:31| Comment(0) | 国連職員としての日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月26日

年に一度の表彰式

2日前の金曜日の早朝、1週間のナイロビ出張から帰ってきた。本来なら、あと1日ナイロビにいて、会議に最後までいなくてはいけなかった。しかし、WFP本部のローマで行われる2011年度の表彰式にどうしても参列したくて、早朝に到着する飛行機で戻ってきた。家に着いたのは、午前5時過ぎ、荷物の整理をしてシャワーを浴び、少しだけ眠った。10時には起きて、事務所へ向かう。

その日の午後の表彰式は、2011年度のWFPのプロジェクトや個人に対して、特に優秀な活動を行ったものを表彰するという式典である。この表彰式は、聞くところによると、7年ほど前から行われている行事であるらしい。今年は、私の参加した東日本大震災に対するJapanプロジェクトが表彰を受けることになっていた。誰とどのチームが表彰を受けるというのは、秘密にされていたが、こういう噂はすぐに回るもので、情報をコントロールすることの難しさを改めて、感じる。

自分が参加したそのプロジェクト、そして、一緒に働いた仲間がするスピーチ、それをこの目で見たくて早目に戻ってきたのだ。ナイロビのなんちゃってな出張よりもこっちの方がはるかに大事である。

Executive Director 通称その頭文字をとってのEDを自分の目で見たのはその日が初めてであった。WFPにとっての彼女は、国連事務局のバンギムン事務総長のような存在だ。彼女の事務所は、私の事務所のある同じ6階にありながら、ローマに赴任して来てから4か月も経つというのに一度もお目にかかったことはなかった。映像でない彼女を見て、少し感動を覚える。

式典はなかなか感動的で、日本のチームが表彰され、映像が流れスピーチを聞いた時には、感極まって涙が止まらなかった。このプロジェクトが立ち上がって、日本の方々に貢献できたこと、そしてそれに自分が参加できたことが、とにかく嬉しい。最後に、EDと表彰で頂いた盾を持ち、並んで写真を撮らせていただいた。大切な記念になることだろう。彼女の任期は、あと1か月で後任の人はもう決まっている。

この式典には、WFP職員の士気を高めるという目的があり、個人やチームの栄誉、功名心は二の次である。これに選ばれたからといって、昇任が約束されるわけでも、将来のポストが約束されるわけでもないらしい。その辺りは、全く別の競争原理と仕組みがこの組織には存在するようだ。

以前所属していた自衛隊にも同じようなことがあったなぁ。目立つ式典には、別の意義や思惑があるものだ。お金をかけ、時間をかける式典には、それなりの説得できる意義が必要で、栄誉を讃えるだけでは理由として弱く、職員総員の士気向上というところが本来の目的になるのだ。

いやいや、単純に喜んでいた自分が若干恥ずかしく、まんまとその戦略に乗ってモチベーションが上がったなぁと感じた。正直「WFP、悪くないなぁ」と本気で思ってしまった。こういうことで、職員の士気が向上するものなのだ。

スピーチをした2人は、WFPの大先輩で、その後食事をご一緒させていただいて、いろんな話を聞く機会に恵まれた。まだまだ、この業界には学ぶべき点が多く、自分が成長できる材料が随所にある。

国連とは、冷めた目で見れば、ウソばかりかもしれないが、それがこの世の現実であり目を背けず学べるものは貪欲に吸収していかなくてはならない。
posted by atsushi at 05:43| Comment(0) | 国連職員としての日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月12日

東日本大震災より1年 ローマにて追悼

2011年3月11日より、今日で丸1年がたった。数日前から、あの時からもう1年だなぁとずっと考えていた。そして、今日は日曜日なので、珍しく朝からテレビを見る。

ここローマにおいても、日本のテレビ番組を一つだけ見ることができる。NHK Worldという番組で、基本的にはNHKのニュースやその他日本に関する事柄を英語でしている在日外国人向けと思われる番組だ。予想した通り、その番組では、大震災からの1年ということで大震災関連の特集や、今日の日本での追悼行事についての紹介が流れていた。

どの映像も感極まるものがある。災害発生時の救急救命活動、その後の被災者への支援活動、復旧復興活動、見ていると目に涙があふれてくる。それぞれに多くの問題を抱えながらも、それでも人々が必死の思いで助け合ってきた光景がそこにはある。「絆」がテーマになるほど、人との関係、地域共同体の意義がこの事件を境にこれほど見直されたことはない。

新聞等メディアを通してよく言われるのが、政治が機能していない、政治の怠慢で復興が遅れている、ということ。

話は少し逸れるが、日本人は、ダメ出しをするのが得意だ。小さな重箱の隅をつつくような行為をすることによって、より完璧で完成されたものを追求する。これは、日本の製品によっても見られることで、それぞれの製品の性能は他の外国製品の追随を許さないほどに完成されたものだが、その方向性が正しいのかどうかの議論は意外にも少なく、見落とされがちである。道を追求するのは、忍耐力が必要で、それ自体は素晴らしいことだが、方向が間違っていれば非常に効率が悪くなる。そして、もう少し褒めてもいいのではないか、自信を持ってもいいのではないかと常々思っている。

日本の政治というのは、日本人そのもののことだ。日本人の総意が政治のかたち。政治だけを悪いと批判し、自分達から切り離すことは本来できない。民主党を選んだのも、国民だし、原発の恩恵を受けてきたのも国民がそれが良いと決めたからだ。

テレビから流れる映像を見て、自分にはいったい何ができるだろうかと考える。日本人として、自分の国にどんな貢献ができるのだろうか、と。東北でWFPの職員として、支援活動をした4か月を通して、そしてその後もずっとこの想いを抱えている。

国連という箱を通して、自分はどうやって、自分の国の友人、家族、お世話になった人、地域に貢献できるのだろうか。答えはまだ出ていない。すぐに転職を考えるほど私は短絡的ではないけど、自分の今までの自衛官としての経験、国連職員としての経験を活かして、自分の能力を最大限活用できることで母国に何かできれば、と思っている。

今日の夕刻、ローマ市内のポポロ教会にて、大震災の追悼を目的としたコンサートが開かれた。多くの日本人もコーラスに並んでおり、前面のソプラノ、メゾ・ソプラノも日本の方だった。モーツァルトの鎮魂歌を1時間弱演奏されていたが、特に講話があったわけでもなく、黙祷があったわけでもなかったので、ややメッセージ性が欠け残念ではあったが、この機会に自分が参加できたことに心が安らいだ。これはその時の写真。
IMG_0782.JPG

復興までの道のりは遠く、問題が山積しているが、進む道を間違えないでほしい。不都合な事実を覆い隠さず、ムリ、ムダ、ムラの3ムを排除するよう念頭に置きながら進んでいかなくては、今の日本にそんなものを受け入れられる余裕はない。

東北はまだまだ寒そうだったなぁ。雪の降る中、数がとても減ったボランティアの人たちだけで、よく頑張っていた光景がテレビに流れていた。

まだまだ終わりではない。
posted by atsushi at 07:25| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月09日

悲しい事件

1か月近くブログを更新できなかったのは、忙しかったからという単純な理由からではない。引っ越しによる新しい生活の組み立て、新しい職場環境での慣れない作業、いろんな雑務によってこの場から遠ざかっていた。20分もあれば、更新できる日記調のこのブログでさえも、継続させるにはそれなりに意志の力が必要だ。

仕事に関する悩みは、次回のブログ更新に回すとして、今日久しぶりに更新しようと思ったのは、悲しいニュースを人づてに聞いたからだ。

ここローマの前の勤務地、南ダルフール州の州都ニアラで、僕の昔の同僚が2日前に武力集団に誘拐されたということを知ったからだ。朝の通勤時、彼はドライバーと一緒に事務所へ向かう。2日前のその時に、2人ともさらわれた。しかし、現地人であるドライバーは、ニアラの街から1時間ほど車で走ったところ辺りで解放された。そして、イギリス人である彼は、武力集団のアジトと目されているジャブラマラという地域まで連れ去られ、行方が分からなくなってしまった。

詳しく調べていないが、どうやら事件の後ろにはスーダンとイギリス政府との政治的いざこざがあったようなのだが、そんなことに彼はイギリス人だという事実以外は全く関与していない。

彼とは、1年近く仕事を一緒にした仲間だ。宿舎でも隣の部屋だったので、家族構成などのプライベートなこともよく話し合ったとても気の合う仲間だ。ここローマに転勤してきてからも、時々スカイプで連絡を取っていた。そんな彼が、誘拐されたと知って、半ば信じがたく、インターネットで調べたがそのニュースは、多少の間違いは含まれていても、名前や職業などは記されていて確認が取れた。

1年ほど前に僕のスタッフが誘拐された時には、1か月近くも拘留されていた。それでも、生きて帰って来られたので、なによりだが、今回も同様に無事であってほしい。家族は、彼のことを心配していることだろう。娘さんが2人いるのだが、家族のことを考えると、とても胸が痛む。

そして、今ニアラの事務所では、引き渡し交渉の対策本部が作られていることだろう。通常業務そっちのけで、忙しくしているに違いない。誘拐された彼本人、その周りにいる同僚たち、そして彼の家族、それぞれが今後どんどん疲弊していく。

何よりも無事であってほしいし、拘留がなるべく短くあってほしいことを祈る。

フィールド勤務には、こういう危険と隣り合わせなのだ。
posted by atsushi at 05:51| Comment(0) | 国連職員としての日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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