2012年07月20日

国連インターンシップ

うちの部署に今インターンが2人、ボランティアが1人来ている。彼女たち(みんな女性)は、ある職員の下について働いている。毎日それなりの仕事を与えられているようで、パソコンの前に座りカタカタやっている。僕とは仕事上の接点がないので、いったい何をやっているのか知る由もない。

僕もニューヨークの国連事務局でインターンシップをしたからよく分かるが、周りがいったい何をしているのか分からなかったし、周りも僕のやっていることを知らなさそうであった。ある朝、突然インターンがやってきて、ある人の元で働き始める。特に紹介もなく、何をやるかも不明確なまま、ただ日が過ぎていく。フレンドリーに話しかけてきてくれて、お茶でも飲んだりして、突っ込んだ話をしない限り、さらっとした人間関係のまま通り過ぎていく風のような存在となる。

インターンシップは、時間とお金の投資である。少なくとも僕はそうやって考え、投資リターンを絞り込まなければいけないと戦略的に考えていた。実際にそこで得られる社会経験は、どれほどのものか、と疑問に思っていたし、履歴書を飾るためだけでであれば、戦略としては下等なものだと思う。少なくともただで働いているのだから、それなりのお土産(労働に対する対価)を持ち帰らなければもったいない。

しかし、基本的にはこのインターンシップという仕組み僕は反対である。受け入れ組織側、参加する個人側、いろんな理由付けはできるにしても、実際には確たる戦略の無いままやっているところがほとんどで、お互いにとてももったいない。組織としては、若い人の新しい知識を入れるなんて謳っていても、実際にそんな提案出されたらうっとおしいと思うだろうし、まともに取り合ってくれる人なんてあまりいないのが現状。

受け入れプログラムの確立はされてなく、自己紹介すらないまま空いている席に陣取り、人知れず毎日カタカタやっている。まぁ、ここまでひどいのは国連組織だけなのかもしれないが、これも社会経験といわれると首を傾げてしまう。経験は、あるものを任されて、責任を分担させられたときに、人は本気になってそこから学ぶものだと思う。人の経験を話を聞くだけで自分の経験に変えらるような聖人はいるかもしれないが、極めて稀なのが現状。人の過去の失敗を自分の糧に変えられたらどれだけいいだろう。しかし、「歴史は繰り返される」という言葉にあるとおり、同じようなことが起こるものなのだし、その原因は人が同じ過ちを犯すところにある。

とはいえ、今来ている人たちに僕の経験談を少しずつ話している、押し売りしないよう気をつけながら。社会的地位なんて関係なしに、「一期一会」の精神を大事にしたい。僕たちの世代も悩んできたが、今20代前半の若者も同じように悩んでいる。閉塞感漂う世の中だ、ブレークスルーなんて言葉が巷を駆け抜けるが、なかなか難しい。

今日は、金曜日。明日は、イタリアに来て初めてのアウトドア!隣の州の国立公園を歩いてくる。いい気分転換になるだろう。
posted by atsushi at 23:20| Comment(4) | 国連インターンシップ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月02日

ユーロ圏内の初出張

私は今ドイツのハイデルベルグという町に来ている。ここは、交通の要所フランクフルトから、高速列車で1時間弱の小さな町である。天候のよさと地ビールの美味さ、そして古い町並みと古城に魅了され一年を通じて多くの観光客でにぎわっている。

今回のドイツ渡航は休暇旅行ではなく仕事の延長である。来週の火曜から木曜にフランクフルトで予定されている会議に出席するのがその理由。当初、会議開始一日前の月曜を移動日に設定していたが、その日は当然出勤できないのだから、前倒しで土曜に発っても同じことと思い、上司に許可をもらって早めの移動をしたのだ。

ローマに赴任してきてから8ヶ月ほど経つがこれまで2度の国外出張をしている。ケニアとアラブ首長国連邦。それに比べると今回のドイツは、先進国だし、旅行で訪れたかったということもあり、家族連れでやってきた。当然それにかかる追加料金は自己負担だが、こんな機会もめったにないのでありがたく活用させていただくことにした。

ローマ生活を始めてから家庭内でいくつかの決め事をしている。そのひとつに、月に一度の家族旅行というものがある。とても贅沢に聞こえるかもしれないが、基本的には2泊3日程度の小旅行で、予算も家計に影響を及ぼさない範囲で概ね決めてある。せっかくヨーロッパに居を構えているわけだから、イタリアだけでなく、他のヨーロッパの国を訪れることにしている。知識見識を広めるという将来に対する自己投資という側面もあるし、まぁ、単に食べ歩きのストレス発散ということにもなり得るが、文化慣習を学ぶ上でも食は大事な要素だから、あながち馬鹿にできない。

そして、これまでイタリア国内の旅行ばかりだったが、今回は家族での初外国である。明日月曜には会議のあるフランクフルトに戻るのだが、とにかくここハイデルベルグはイタリアの今まで訪ねたどの町とも違いとても新鮮。町ではこの週末にお祭りが催されていたので、それにも便乗することができ、ステーキを食べ、地ビールを飲み、バンドの音楽を楽しんだ。下がそのときの模様。
GER.jpg

美しい自然、古い町並み、それらを保存しながら近代的なインフラが整備されているこの町と、イタリア人とはまた違う人種である彼らを見て、いろんな思いを抱いた。いわゆる日本人が羨ましがり、劣等感を抱いているのは、このての民族であり国なのだ、と。ドイツは、ユーロ圏の絶対的勝ち組で経済的豊かさがあり、それゆえに人や町全体からかもし出している余裕のオーラがある。イタリアは、住めば住むほど、ヨーロッパではなく北アフリカに属しているという感じがし、皆忙しなく余裕がない。

日本と同じ第2次世界大戦の敗者であるドイツ。しかし、日本のような閉塞感はなくとてもオープンに感じられた。わずかここ二日間で感じたことだが、ドイツと日本の違いについてしっかり自分の中で整理しようと思った。同じ敗戦国のイタリアについても同様だが、ずっと疑問に思ってきたことがある。たとえば、以下のようなこと、ドイツやイタリアも同じ現象が起きているのだろうか。

日本には、戦後占領軍が入ってきて、憲法を作り、軍隊を廃止し、駐留軍基地を建設した。日本国民は、戦争の惨禍を過去を全否定することによって修正しようとし、戦争に突き進んだ当時の日本は完全悪であり、戦争に行ったわれわれの先祖に当たる軍人さんを国家として供養する場を設けていない。歴史教育の中の「現代社会」という教科は教育現場から軽んじられ、現在の国際情勢にまるで無知な若者を多く輩出。「平和ボケ」と揶揄されながらも、国家として最も重要な事項のひとつである安全保障については拒否反応があり、しっかりとした議論をする場を設けられていないように感じる。そして、在留米軍に対しては、こう着状態で母国の領土内の出来事にもかかわらず、現在ならびに未来の方向性が決められない。また、子供への教育をする者達(学校教師)の組織である日教組が、日の丸という国旗を認めていない。

ざっとこんなことが戦後から今に至る日本の社会現象だが、ドイツやイタリアでも同様の社会現象が起きているのだろうか。ドイツが、国民投票によって、憲法を改正したのは知っている。そして、軍隊の存在をそのときに認めたというのは何かの本で読んだことがある。彼らには集団的自衛権はあるはずだ。そうでないと、NATOに入られないだろうし。

考えれば考えるほど、自分の無知に気付かされる。国際社会で働く身だ、もっと自分に関心を持ち他人に関心を払おうと思う。とまぁ堅いことばかりではなく、ここはドイツだ、美味いビールとソーセージを楽しもう!それに、ローマより涼しくて快適だし、なんといっても公共インフラがしっかりしている。
posted by atsushi at 06:54| Comment(0) | 国連職員としての日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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