僕もニューヨークの国連事務局でインターンシップをしたからよく分かるが、周りがいったい何をしているのか分からなかったし、周りも僕のやっていることを知らなさそうであった。ある朝、突然インターンがやってきて、ある人の元で働き始める。特に紹介もなく、何をやるかも不明確なまま、ただ日が過ぎていく。フレンドリーに話しかけてきてくれて、お茶でも飲んだりして、突っ込んだ話をしない限り、さらっとした人間関係のまま通り過ぎていく風のような存在となる。
インターンシップは、時間とお金の投資である。少なくとも僕はそうやって考え、投資リターンを絞り込まなければいけないと戦略的に考えていた。実際にそこで得られる社会経験は、どれほどのものか、と疑問に思っていたし、履歴書を飾るためだけでであれば、戦略としては下等なものだと思う。少なくともただで働いているのだから、それなりのお土産(労働に対する対価)を持ち帰らなければもったいない。
しかし、基本的にはこのインターンシップという仕組み僕は反対である。受け入れ組織側、参加する個人側、いろんな理由付けはできるにしても、実際には確たる戦略の無いままやっているところがほとんどで、お互いにとてももったいない。組織としては、若い人の新しい知識を入れるなんて謳っていても、実際にそんな提案出されたらうっとおしいと思うだろうし、まともに取り合ってくれる人なんてあまりいないのが現状。
受け入れプログラムの確立はされてなく、自己紹介すらないまま空いている席に陣取り、人知れず毎日カタカタやっている。まぁ、ここまでひどいのは国連組織だけなのかもしれないが、これも社会経験といわれると首を傾げてしまう。経験は、あるものを任されて、責任を分担させられたときに、人は本気になってそこから学ぶものだと思う。人の経験を話を聞くだけで自分の経験に変えらるような聖人はいるかもしれないが、極めて稀なのが現状。人の過去の失敗を自分の糧に変えられたらどれだけいいだろう。しかし、「歴史は繰り返される」という言葉にあるとおり、同じようなことが起こるものなのだし、その原因は人が同じ過ちを犯すところにある。
とはいえ、今来ている人たちに僕の経験談を少しずつ話している、押し売りしないよう気をつけながら。社会的地位なんて関係なしに、「一期一会」の精神を大事にしたい。僕たちの世代も悩んできたが、今20代前半の若者も同じように悩んでいる。閉塞感漂う世の中だ、ブレークスルーなんて言葉が巷を駆け抜けるが、なかなか難しい。
今日は、金曜日。明日は、イタリアに来て初めてのアウトドア!隣の州の国立公園を歩いてくる。いい気分転換になるだろう。