2011年09月07日

子育てから思うところ

ここ数日の思うところを当てもなく記してみたいと思います。子における親の責任、義務とはどういったものなのでしょうか。子育て、とはいったい何を指すのでしょうか。そして、それはいつまで続き、何をもって達成と言えるのでしょう。

それが単なる概念ではなく、事象であるならば、それには始まりがあり、終わりがあると思います。始まりを説明するのは簡単です。それは、子が生まれた時だと思うからです。新しい生を受け、この世に現れてきたときが、親としての子育ての始まりだと思います。

問題は、その終わりです。何を目標に親は子を育てていくのでしょうか。単なる年齢の積み重ねなのでしょうか。20歳、法的に成人と認められるまで育てていくのが子育ての目指すべきところなのでしょうか。僕は、時間ではなく、もっと深いものがあるように思います。

親は、子より一般的にみて先にこの世を去ります。子の将来の先の先まで心配し、それを導いていくことは、統計的にみて不可能です。愛情があるため、心配し、いろいろ助けてあげたい、出来ることなら困難は身代わりとなってあげたいと思うのが親心というものだと思います。しかし、それには時間的限度が、今言った原因を元に存在します。

だから、子育てとは、子供のためを思って、害や悪を取り除き、無事に時間を送らせてあげることではないと思います。それよりも、子が自分の力で考え、自分の力で立ち、自分の力で物事を解決していく能力を身に付けるべく支援をすることだという考えに至ります。

小さく若いうちは、弱く危うく、未熟故の失敗を重ねることでしょう。しかし、目指すべきは自立する心の養成だと思います。親として、子の人生の最後まで、道を照らしてあげることはできない。でも、道を切り開いていく力をつける手助けはできるかもしれない。

子は、親の所有物ではない。一つの独立した生命体であって、誰かの所有ではないと思います。現代社会は、核家族化が進んできており、非常に密で少ない人数で子を養育しているように思います。こうなると、意識として、所有しているという錯覚に陥る恐れがあると思います。

我が子はかわいい、それはわかります。

でも、可愛さ故に、時に過酷な現代社会を、自分の力で切り開いていける力を身に付けさせなければ、と思います。考え方は、いろいろあると思いますが、僕が考える子育ての終着地点は、子の「自主自立」であると思います。

子を僕自身の所有としないためにも、たくさんの人を巻き込んでの子育てをしたいと思っています。親以外の家族であったり、友達であったり、地域などの共同体であったり、多くの助けを得ることが、子育てをする親のためでもあり、結果的に子のためになると思います。

ここまで考えてみると、この考え方はいろんなことに応用できると思います。組織を育てるとき、国を作るとき、そして僕の仕事である人道支援も、やはり目指すべきは「自主自立」の道筋を作ることなのです。
posted by atsushi at 04:34| Comment(0) | ひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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