2011年10月15日

スタッフの教育

さて、ここニアラの私が働く部署には新しい国際職員が来ている。彼はフィリピン出身で、元空軍のパイロットであり大佐まで務めた人物だ。スーダンにやってくる前は、フィリピンのWFP事務所で安全担当官をしていたという経歴の持ち主。これだけ聞くと、出来る人物に違いないと思うかもしれないが、これがさっぱりだ。立派なラベルがついている割には、とても平凡な日本酒ってな感じだ。ちょっと悪口だな、これでは、失敬。

彼はコンサルタントであり、私の後任というわけではないので、航空部署の部長になるわけではない。ただ、私の後任者の赴任が遅くなり私の方が先にローマに出発してしまう場合は、必然的に彼が一時的な部長になる。しかし、彼は今のところ非常に穴のある人物であるという評価を私は下している。人柄は悪くはなく、軍人らしく地位を重んじてくれ、とても私に従順だ。10歳も年下の私に怒られまいと随分頑張っている様子はくみ取れる。ただ、この業務の規則や手続きを知らないわりには、それを学ぼうと自発的な行動が見られない。そして、それ故に間違いが多く、物事の根拠となる事柄を分かっていない。そして、間違えた時、声が少し高くなりそして興奮し、他のスタッフに少し強く当たるのだ。私の求めているところは、とても高い所なのだろうか。。。

ここでの仕事、適当にやっているわけではないのである。紛争地帯いわゆるフィールドと呼ばれる場所に、お客さんを乗っけた飛行機を搭乗員と一緒に飛ばしているのである。操縦するのは、契約している会社のパイロットに任せるとして、私たちの仕事は、それらのフライトを安全に地元と国際的な決まりの両方を守りながら、様々な調整業務をやることである。地元のお役人ともめることなく(まぁ、時にはもめるけど)、うまくサポートを得ることである。

私は、人にものを教えるというのは、つまるところ本人の自発を促すというところに本来の教育の目標があると思っている。先生となる人物が、いくら一生懸命教えても、聞く側にその準備がなければ右から左だからだ。知識は、人に教えられることによって身につくのではなく、自分でその内容を消化できた時であり、それには自主的な心が欠かせない。当然、良き先生と呼ばれるような人は、そんな生徒の心に火をつける人物であるが、どうもそもそもの姿勢が違うような気がして仕方がない。

現在のフィリピン人の彼を含め、私がこの地で業務を教えてきたのは、国際職員に限って言えば3人である。(本当は4人かな、私より前からいた南アフリカ人の同僚にも、最終的にはあとから来た私がいろいろと教えていた)イギリス人、アフガニスタン人、フィリピン人がその内訳。それぞれ、人は悪くない。むしろいい。しかし、どうもこのコンサルタントという不安定な地位がそれを邪魔しているような気がする。いつ、雇用が切れるか分からない。自分のとりあえずの契約は、この先2か月だけ、この状態でさらに業務に踏み込んで、どんどん責任を取っていこうとするのだろうか。

普通の人間なら、適当に時間を過ごし、その間にもっと安定していて給料のいい仕事を探すのではないだろうか。

危機感をあおって、いろいろ覚えさせるように働きかけてはいるが、今一つ自覚が足りない気がする。とりあえずの対策として、明日から1週間、彼が業務の全責任をもって、仕事にあたってもらうように各部と調整しておいた。これで考え方を少し変えてくれればいいが。

日本的終身雇用の弊害はいろいろあると思う。しかし、雇用が安定しているからこそのメリットもやはりある。職員が腰を落ち着けて、今やっていることに神経を注ぐことの出来る環境を整えることができるということだ。一人一人の出来不出来は、個人の持っている能力もさることながら、こんな環境も影響を及ぼすのだろうなぁと感じる今日この頃である。
posted by atsushi at 05:00| Comment(0) | 国連職員としての日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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