日本から母が来ていたので、一緒にどこか旅行に出かけられないかと企画したものだ。イタリア国内なので、1時間も飛行機に乗ればミラノに到着。気温は、さすがに北に移動しただけあり、3度ほどローマより低かったと思う。到着時刻は午後8時を過ぎていたので、すでに日が落ちていて周りの様子はよくわからなかったが、近代的という第一印象を持つ。
旅は計画する時からすでに始まっている、と私は常々思っている。旅行ガイドブックに目を通し、全部は読めないまでも軽くその街の歴史背景なんかを頭に入れる。どこがきれいで、何が美味しくて、その街の特徴はいかなるものか。泊まる宿を決め、行きたいレストランの下調べ。街をどんな風に歩くかまで考え、ネットでその道を辿ったりすればもう完璧だ。
今回の旅行はそういう点においてかなり準備不足。なぜなら、その出発日の四日ほど前から体調を壊し仕事も休んで自宅で寝ていたからだ。本やネットが調べられるほど元気であればよかったのだが、そんな余裕は全くなく旅行当日になってしまった。そして当日もまだ本調子ではなかった。
そんな状況だったけど、とりあえずその土地に降り立った。
最初の日の晩は、ホテル近所の中国人経営のバイキングレストランへ。中国人は、本当にどこにでもいる。いろんな国の言語を操り、その土地に根を張り、街を作り上げ、商売を展開させる。ミラノもそんな彼らの餌食になっていた。そして、観光客である私たち一行もそんな彼らのイタリア料理ではない中華料理に魅せられて、店に吸い込まれた。なかなか良い味。決して安くはなかった料理だったけど、初日としては良好だった。
2日目、地下鉄の1日券を購入して、観光地の方へ移動。最初に到着したドーモ(大聖堂)はなかなか堂々たる建物だった。前面に広がる広場には、多くの観光客がカメラを構え、そんな観光客に物売りやわけのわからぬ鳩の餌を売り歩く商売人が群がる。当然彼らはイタリア人ではなく移民の人たち。この光景はローマでも多い。
ドーモは圧巻で内部のステンドグラスは日の光を通し色鮮やかで美しく、その中の細部に亘る造りがきめ細かく一見の価値ある教会であった。写真撮影禁止の札が出ていたけど、みんなパシャパシャ撮っていたので、自分たちも構わず撮りまくる。こういう時は人に流されるのが吉。
それから、有名なアーケードを通る。脇には道まではみ出して椅子を並べる喫茶店やらレストランが並んでいる。こんな所で寛いでいるのは観光客ばかりだろうけど、なかなか良い光景だ。私たちもお茶をしたり、軽食を摂ったりした。
街を小1時間散策した後、一旦ホテルに戻り休憩した。夕方再度同じように街に出て、雑誌に載っていた有名なレストランに向かう。出された何気ないパンが美味しく、前菜のサラダに、メインのステーキ、都会的でなかなか美味しい食事だった。
とまぁ、その時点でミラノに到着してから24時間ほど経過したことになる。
この時点で、ある点において皆の意見が出た。ミラノ人の違いについてである。街の公共交通機関やその他インフラはしっかりしており、ローマより近代的である。しかし人が優しくないのだ。ローマにいると赤ちゃんを抱いているだけで、いろんな人が話しかけてくるし、とても人懐っこく優しく接してくれる。レストランでも並ばずに入れ、とにかく特別待遇を受ける。
ここミラノは違う。赤ちゃんが泣いているとうるさいなぁという顔をされるし、結構無視に近い。まぁ、日本ではそんなところだから、冷たくて嫌だというところまでいかないまでも、この違いには24時間いただけで明確に感じた。そして次の日も観光するが、その違いはより確かに感じ取られた。
同じ国内でも街の雰囲気や人の性質が異なる。同じ言語であっても違いが出てくるのは、その元を辿ればどこに起因するものなのだろうか。都会と田舎という線引きが冷たさと優しさに直結しないのは、ローマの方が首都だし街であることから当てはまらない。
でもこんな形でローマに住むことができている現状に幸運を感じた。首都であっても、人の気質は優しくて田舎的なのだろうか。次は、来月ヴェネチアに向かう。また新たな発見があるだろうか。ヨーロッパのいろんな町を訪れ、見分を広めていきたいと思う。そして、その過程において過去の歴史も学んでいければ最高だろうと思っている。何事も百聞は一見にしかず。