2012年06月07日

異文化に暮らす子どもたち (海外子育て)

前回は、思考を止めることなく、またみんなの意見に同調するだけでなく、自分達でもそれを幾度となく検証し、考えていかなくてはいけないという趣旨のことを書いた。人は往々にして、一般常識やら学校で学んだことがあるものだから、それをさらに深めて考えてみるということをあまり経験していないように思う。

特に、記憶に重きを置く日本の教育では、伝えられたことを信じ、それを改めて検証する時間は乏しく、その根拠まで深く掘り下げていくという作業をあまりしてきていない気がする。もちろん、偉い学者さん方はその作業を日常的にやっておられると思うが、こと一般大衆に至っては、メディアで伝えられていることを盲目的に知識として吸収してしまっているという怖さがあるように思う。

さて、僕がどうしてこんなことを言っているかというと、先日とある本に出会い、その内容に衝撃を受け、なんとなく伝え聞いていたことが事実ではないということを知ったからだ。その本は、これである。

異文化に暮らす子どもたち―ことばと心をはぐくむ − 早津 邑子 (著)
異文化に暮らす子どもたち―ことばと心をはぐくむ [単行本] / 早津 邑子 (著); 内田 伸子 (監修); 金子書房 (刊)

大方の人がそう思っているように、僕自身も、外国語の習得は早ければ早いほどよい、幼少時に外国に暮らしている子供たちは、自然とバイリンガルに育っていくと思っていた。しかし、この本は、アメリカ・ニューヨークで「こどものくに幼稚園」を創立された早津先生がその外国での幼児教育30年をとおして、見てきてまた研究されてきたことを通じてそうとは言い切れない、いや更にはもっと大きな弊害が発生する恐れがあることを警告している。

早津先生曰く、幼児期は言葉を学ぶ時期でもなければ、知識を習得する時期でもない。人が社会で生きていくために必要不可欠な、人格形成の時期であって、知的、精神的発達において一生を左右する基本的な発育の時期である、と。家庭で日本語、外の環境で外国語では、十分な発育が望めないと警告している。集団の中でのしつけやリーダーシップなど、言葉の先にあるものが育たないのである。

また、単に外国語習得の観点から見ても、外国語に触れるのが早ければ早いほどよいというわけではないようである。一つの例として、外国に暮らす小学生の子供を比較しておられた。外国に住んでいる幼児(日本人)が、一人は現地の幼稚園(英語)に通い、もう片方は日本人幼稚園(日本語)に通う。幼稚園の後の小学校は、二人とも現地の学校(英語)に通う。これは、早津先生が「こどものくに幼稚園」を立ち上げた時には、日本人小学校がなかったため、仕方がなかった事実である。

私もそう思ったが、一般的には、幼稚園を英語の環境で行った子の方が、日本語の幼稚園に行った子よりも適応力は高く、問題なく現地の小学校に通えるのでは、と思うはずである。確かに初期の段階では、そうらしいのだが、そんなに時期を待つことなく、日本人幼稚園に行っていた子の方が、英語力が他方よりも優れるらしい。この理由は、頭の中でこれは日本語、これは英語というふうに分けることができ、外国語が耳に入ってきたときには集中して意味を分かろうとして、より深く認識できることに起因するようだ。

英語の幼稚園に通っていた子は、日常的に、分からない言葉が飛び交うので、特に注意して耳を傾けることができなく、元々その分別さえもできない。分からないことを何度聞いてもやはりわからないのである。なぜなら、その基準となる日本語が育っていないのだから、頭の中で変換することもできない。

私自身この事実をなんとなく認識していた。第一言語の確立なくして、第二言語の習得はありえない、と。ただ、それでもいったいいつの時期がいいのか、なぜ早ければ早いほどいいという一般的な考え方がこれほど世間に広がっているのかが分からなかった。

やはり英語を苦手だと認識している日本人が多いこと、また英語はこれからの世の中をよりよく生きていくために必須の道具だという意識が脳裏に刷り込まれているからだ。たしかに、私のような仕事をしていると、語学力は財産である。しかし、それを学ぶ時期は注意が必要だ。早津先生は、しっかりと人格形成を行い、その後の教育を滞りなくおくるためにも、せめて小学校の低学年までは、母国語一貫の教育をした方が良い結果が出ると言っている。

こどもを持つわが身、外国暮らしの我が家族、みんなを守るためにも、世間にやみくもに流れている話を盲目的に信じることなく、根拠を持って考えていかなくてはいけないと再認識した。外国暮らしの家族を持っているもしくは将来持つ方、また将来外国で暮らしたいと思っている方には、この本はなかなか興味深い事柄を扱っている良書だと思います。
posted by atsushi at 22:56| Comment(0) | 読んだ本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月24日

ドル漂流

読書紹介第2弾。榊原英資(さかきばらえいすけ)氏の「ドル漂流」

ドル漂流 [単行本] / 榊原 英資 (著); 朝日新聞出版 (刊)

朝日新聞出版から2010年5月に出されたハードカバーの本。この本は、2011年の「日本の論点」でどなたかが紹介していて(もしかすると本人かも知れない)、面白いのではと思ってアマゾンで購入しておいた本だ。育児休暇の際、時間があって本を読むだろうと思い、帰国に合わせて20冊ほど気になる本を買っておいたそのうちの一冊であった。子供が生まれてからは予想に反して時間はなく、赤ちゃんにつきっきりの生活は、読書の時間もまともにとれず結局はスーダンに持ってきてしまっていた。

さて、僕の最近の興味は経済だ。大学では経済を学んだことはなかったが、個人的には常に興味があり、時々その手の本に目を通していた。特に今までは、資産を増やすハウツー本、会社を経営するための知識本等を好んで読んできたが、最近自分自身でその趣向に変化が表れてきているのを感じる。それは、政治への興味が大きくなってきて、マクロ経済学や国家・国際上の経済の動きに関心がいくようになってきたからだ。当然そのミクロ・マクロ的考えは関連しているものであるけど、マクロ経済学は自分自身とても敷居が高いと思っていたのと、なんだかとても難しそうという思いから敬遠してきたというのが本音なのだ。

ちょっと遠回りしてしまったが、榊原英資氏は、知っている方も多いのだろうけど、東大卒の元旧大蔵官僚で米ミシガン大で博士号を取り、IMFにも勤めたことがあり、財務官まで登りつめた経済界の偉い方なのだ。当時「ミスター円」と呼ばれており、退官後はいくつかの大学で教鞭をとっておられ、現在は青山学院大学の教授をされている。そんな人の本だから、興味はあって購入したものの、難しいことばかり書いてあるのだろうなぁ、チンプンカンプンの公式が並んでいるのだろうなぁ、読み終わるまでに数か月もしくは終わらないかもしれないなぁと恐怖心を抱きながら読み始めた。

しかし実際は2日で読み終わった。これには読んだ本人が一番驚いた。結構な厚みの本だし、休日というわけでなく平日読んでいたのだが、あっという間に読み終えた。難しい箇所もあったが、リズムが良く、まるで少年が漫画に見入るように睡眠時間を削ってまでも読み通してしまった。とても面白かったのだ。

内容は、国際基軸通貨米ドルの動きを話の中心に据えて進んでいくのだが、その周りにある歴史観、日本をはじめとするアジアに関する洞察がとても面白い。昨年までGDP世界第2位であった日本の通貨円が、どうして国際通貨になれないのか、いま現に危機が起こっているヨーロッパEuroの脆弱性を紐解きながら榊原氏の普段から思っていること、感じていることが書かれている。バリバリの経済本(私の中では数字と公式の拷問)ではなく、人類が生きていく中に起こる現象として、様々な出来事と結び付けて考えられており、経済はその歴史背景や社会的動きに先行したり、反応したりして動くいきものであるということが分かりやすく説明されている。

昔から思っていることだが、難しいことを分かりやすく説明できる人は、本当に頭のいい人なのだろうなぁと思う。思わず、読みながら何度もうなり、文章に蛍光ペンで線を引いていた。

内向き志向、ガラパゴス化現象、海外を敬遠する若者、これらは国内市場を重要視する国内企業の戦略とデフレに絡んだものであるということだが、リスクを取らなくなってきている日本のなれの果てをとても憂いているように感じられた。この人の目は世界を向いており、日本の国際社会での立ち位置をどうとるのか、どのような国になっていくべきなのかが示されている。そして、伸びゆく中国の若者、インドの若者を対比で扱いながら、今や国際言語となった英語を翻訳という視点から学ぶのではなく、言語を操る点に重点を置いて、学ぶべきだと警告している。

私が思う国際人にまた一人お会いした気がした。もう一回読み直そうと思う。そして、そのあとマクロ経済学を勉強しようと思う。
posted by atsushi at 04:39| Comment(0) | 読んだ本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月11日

ゲーム理論

ちょっと趣向を変えて、読んだ書籍についての所感を書いてみたいと思う。読書後の感想をこの場で共有することによって、いくつかの利点がある。本をダラダラと読まなくなり、しっかりと人に伝達できるように自分の中で要約する能力が身につくこと。ブログの読者と、その本の内容について議論する場ができること(このブログはそれ程人気があるわけではないので、ただの独り言になる可能性が大だが)。他にもっと面白い本と出会うきっかけになるかもしれないということ。そして今回は、このテーマ第1弾。

日常生活に潜むゲーム理論 [単行本] / レン・フィッシャー (著); 松浦俊輔 (翻訳); ...

どういった経緯でこの言葉を知ることになったか今では思い出せないが、ゲーム理論という言葉は、今まで読んできた雑誌や書籍なんかで時々目にしてきた単語だった。なんとなく面白そうという気まぐれで購入した本だったが、これが社会生活の中で、人の行動原理や心理現象なんかを表し、さらにはもっと大きな政治的動き、経済学なんかも紐解けるものだというのは、目からウロコだった。

ゲーム理論の理解としては基本的に数学の理論であって、戦略を練るときに使える考え方だ。しかもこの理論の研究者5人はこれでノーベル賞を取っている。ノーベル賞については、日本人が受賞したものに対しては関心を持つけど、他の国の人が受賞したものにまで関心が及ばない。話が少し脱線するが、世の中に起こっていることを、本当に理解するのは難しいと思うのと同時に、いったいどうすれば理解できるような環境を作れるのだろう。そんなことをふと思う。

ゲーム理論への理解のため、代表的な話「共有地の悲劇」という話しを紹介する。

ある放牧民の集団があり、その中の一人が群れの家畜を一頭増やそうとする。増やせば相当の利益が上がるし、一頭だけ増えるくらいなら土地全体の草の回復力を減らすのもわずかなもの。よって、彼にとっては理にかなっている。しかし、他の者も同じように考えると、そこに悲劇が生まれる。みんなが自分のわずかな利益を上げようと考えると、草が食べられる量が多くなりすぎて、回復に間に合わず、その土地は牧草地として適さなくなってしまう。結果的に、そこでの放牧はできなくなってしまい、業務が成り立たなくなり、最悪の場合は餌が消滅し、全ての家畜は死んでしまう。それぞれの合理的行動は、最終的に、非合理な結果をもたらしてしまうというジレンマだ。

さらに、似たような例として、事務所のスプーンの話も挙げられていた。これについては、全く同じ現象を私自身が経験しているので、面白かった。内容としては、共有のスプーンを置いておくと、いつの間にかそのスプーン全てがなくなってしまう話だ。事務所の構成員一人一人が、自分の利便性を上げるため、スプーンを一つ持って行ってしまう。たくさんあるからいいだろうと思い、こういう行動に出る。しかし、これを多くの人が同じように考えると、スプーンはなくなってしまうのだ。そして、今まで私は、スタッフ用と来客用に20本ほどのスプーンを購入したが、半年も経たないうちに残り1本となり、今ではその1本を4人のスタッフでシェアしている。笑ってしまう現実だが、この本を読んで謎解きができ、少しすっきりした。なるほど、スプーンは消える運命にあったのだ。

ただこの現象を地球規模の資源(「石油」「森林」「魚」など)に当てはめてみると、恐ろしく思う。全体の中で、自己の利益を図ろうとすると、どういうわけか最終的に自己の利益を全く図れない状況に陥ってしまう。資源をめぐる紛争は、こんな感じで始まるのだろう。もちろんここダルフールの元々の紛争原因である遊牧民たちの牧草地の獲得合戦は、これで説明がつく。資源をめぐっての紛争は、今後も絶えることはないだろうし、紛争自体も自分たちが勝った後にやめようと、その参加者各々が考えていれば永久に破壊行為は継続される。

この本の目的は、ゲーム理論の紹介だけではなく、これを使うことによってどうやってこの手の問題に直面した時、お互いの利益が守れるのかということを掘り下げている。ただ、正直なところ、数学者の書いている書籍であるため、条件付けがやや複雑なのと、まどろっこしい説明で実は未だ頭の中で消化できていない。

しかし筆者は、自己の利益を追求するという合理的取組は、自己の利益がゼロになるという道程の途中にあるような否定的な面だけでとらえるべきではないと言っている。その参加者が協調することによって、各個人の利益は伸びなくとも、全体の利益を守ることができ、結果的に自分に戻ってくることは可能だ、と言っている。そこで私は、芥川龍之介の作品のひとつ「蜘蛛の糸」を思い出す。考えてみれば、あの話はゲーム理論なのかもしれない。釈迦が垂らした極楽につながる糸を、みんなで協調して登れば、自分もそしてその他の人も同時にその恩恵を受けることができたのかもしれない。「掴まるな、上ってくるな」と言わなければ、糸は自分の直ぐ上で切れなかったかもしれない。

それから、「なるほど」と思った解決法について一つ紹介する。

あるものを2人もしくわ2グループで分けるときの争いを未然に防ぐ分け方。

「こちらが分けるからそちらが選べ」戦略だ。Aさんが、分配の主導権を握って、配分を決めたとしても、Bさんのほうが先に選べるということにすれば、Aさんは必然的に公平に分けようとする。そうしないと、自分が損をするからだ。自分に子供が2人できて、お菓子の分配や、お手伝いの配分を決めるときに喧嘩していたら、この方法を使おうと考えた。これなら喧嘩は回避できるし、お互いハッピーになれるのではないかな。

ゲーム理論、興味持った方はちょっと勉強してみてください。人生で迷ったときなんかに使えるかもしれないですよ。ちなみに、ノーベル賞を受賞した5人の研究者は、いずれもアメリカ国防省ペンタゴンでの勤務歴があるようです。戦略家になれるということだろうか。

日常生活に潜むゲーム理論 [単行本] / レン・フィッシャー (著); 松浦俊輔 (翻訳); 日経BP社 (刊)
posted by atsushi at 23:36| Comment(0) | 読んだ本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。