2012年07月02日

ユーロ圏内の初出張

私は今ドイツのハイデルベルグという町に来ている。ここは、交通の要所フランクフルトから、高速列車で1時間弱の小さな町である。天候のよさと地ビールの美味さ、そして古い町並みと古城に魅了され一年を通じて多くの観光客でにぎわっている。

今回のドイツ渡航は休暇旅行ではなく仕事の延長である。来週の火曜から木曜にフランクフルトで予定されている会議に出席するのがその理由。当初、会議開始一日前の月曜を移動日に設定していたが、その日は当然出勤できないのだから、前倒しで土曜に発っても同じことと思い、上司に許可をもらって早めの移動をしたのだ。

ローマに赴任してきてから8ヶ月ほど経つがこれまで2度の国外出張をしている。ケニアとアラブ首長国連邦。それに比べると今回のドイツは、先進国だし、旅行で訪れたかったということもあり、家族連れでやってきた。当然それにかかる追加料金は自己負担だが、こんな機会もめったにないのでありがたく活用させていただくことにした。

ローマ生活を始めてから家庭内でいくつかの決め事をしている。そのひとつに、月に一度の家族旅行というものがある。とても贅沢に聞こえるかもしれないが、基本的には2泊3日程度の小旅行で、予算も家計に影響を及ぼさない範囲で概ね決めてある。せっかくヨーロッパに居を構えているわけだから、イタリアだけでなく、他のヨーロッパの国を訪れることにしている。知識見識を広めるという将来に対する自己投資という側面もあるし、まぁ、単に食べ歩きのストレス発散ということにもなり得るが、文化慣習を学ぶ上でも食は大事な要素だから、あながち馬鹿にできない。

そして、これまでイタリア国内の旅行ばかりだったが、今回は家族での初外国である。明日月曜には会議のあるフランクフルトに戻るのだが、とにかくここハイデルベルグはイタリアの今まで訪ねたどの町とも違いとても新鮮。町ではこの週末にお祭りが催されていたので、それにも便乗することができ、ステーキを食べ、地ビールを飲み、バンドの音楽を楽しんだ。下がそのときの模様。
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美しい自然、古い町並み、それらを保存しながら近代的なインフラが整備されているこの町と、イタリア人とはまた違う人種である彼らを見て、いろんな思いを抱いた。いわゆる日本人が羨ましがり、劣等感を抱いているのは、このての民族であり国なのだ、と。ドイツは、ユーロ圏の絶対的勝ち組で経済的豊かさがあり、それゆえに人や町全体からかもし出している余裕のオーラがある。イタリアは、住めば住むほど、ヨーロッパではなく北アフリカに属しているという感じがし、皆忙しなく余裕がない。

日本と同じ第2次世界大戦の敗者であるドイツ。しかし、日本のような閉塞感はなくとてもオープンに感じられた。わずかここ二日間で感じたことだが、ドイツと日本の違いについてしっかり自分の中で整理しようと思った。同じ敗戦国のイタリアについても同様だが、ずっと疑問に思ってきたことがある。たとえば、以下のようなこと、ドイツやイタリアも同じ現象が起きているのだろうか。

日本には、戦後占領軍が入ってきて、憲法を作り、軍隊を廃止し、駐留軍基地を建設した。日本国民は、戦争の惨禍を過去を全否定することによって修正しようとし、戦争に突き進んだ当時の日本は完全悪であり、戦争に行ったわれわれの先祖に当たる軍人さんを国家として供養する場を設けていない。歴史教育の中の「現代社会」という教科は教育現場から軽んじられ、現在の国際情勢にまるで無知な若者を多く輩出。「平和ボケ」と揶揄されながらも、国家として最も重要な事項のひとつである安全保障については拒否反応があり、しっかりとした議論をする場を設けられていないように感じる。そして、在留米軍に対しては、こう着状態で母国の領土内の出来事にもかかわらず、現在ならびに未来の方向性が決められない。また、子供への教育をする者達(学校教師)の組織である日教組が、日の丸という国旗を認めていない。

ざっとこんなことが戦後から今に至る日本の社会現象だが、ドイツやイタリアでも同様の社会現象が起きているのだろうか。ドイツが、国民投票によって、憲法を改正したのは知っている。そして、軍隊の存在をそのときに認めたというのは何かの本で読んだことがある。彼らには集団的自衛権はあるはずだ。そうでないと、NATOに入られないだろうし。

考えれば考えるほど、自分の無知に気付かされる。国際社会で働く身だ、もっと自分に関心を持ち他人に関心を払おうと思う。とまぁ堅いことばかりではなく、ここはドイツだ、美味いビールとソーセージを楽しもう!それに、ローマより涼しくて快適だし、なんといっても公共インフラがしっかりしている。
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2012年04月23日

人道支援家たちの訓練

私は今イタリアのブリンディジという町に来ている。ここは、ながくつの形をしたイタリア半島のかかとにあたる部分で、ローマより南に位置している。この町に来てから10日ほど経つのだが、この出張の理由はとある訓練に参加することだった。昨日でその訓練を終え、今日はこの町のホテルでのんびりと過ごしている。訓練はかなり密度の濃いもので、12人一部屋の団体生活で総勢70人ほどが参加した。とにかく今は、訓練後の疲れと頭の整理をしているところ。明日からはまた別の会議に参加するため、とにかく休む必要がある。

さて今回参加した訓練の内容は、災害に対する緊急対応能力を養うものだった。訓練シナリオは、仮想国において災害が発生し、外国から多くの国際人道支援機関が現地入りし、それをどのように取りまとめていくか、という内容であった。ここでの視点は、WFPが災害時にリードを取る物流(ロジステックス)に焦点を当ててのものだ。どこに、どのような物資が必要かを精査し、誰がどのようにどれほどの量を運ぶのかを調整する訓練だった。国際NGO、国連機関、現地政府と協力しながら、そのシナリオに用意されている様々な事件を乗り越え、対応していくというもの。よく練られていた訓練シナリオで、とてもうまく構成されていた。

私は、訓練を受けるほうではなく、訓練をサポートする側にいて、訓練生に自分の専門分野である航空物流に関する知識や考え方を与えながら、シナリオを進めていく役割だった。実際には、訓練を受ける人の数よりも、訓練をサポートする人の数のほうが多く、そこからでも十分にいろんな知識をもらえるものであった。訓練生を通して、会議の進め方、様々な分野における調整の仕方、情報管理などを学んだ。チームは、WFPを含めたいろんな機関のスタッフで構成されていて、皆それぞれ物流を担当している職員だった。彼らは、素人ではなく、フィールドで5年以上の経験を持つ人たちなので、傍で見ていてとてもいい勉強になった。

ここではいろんなことを学び、そして考えることがあった。

人道支援というこの分野の活動、やはり欧米人がリードを取っている現場なのだとしみじみと感じた。参加者総勢70人ほどの中、私だけがアジア人だったという現状がそれを如実に語っているし、アジアのNGOも全くいなかった。日本も、JICAを先頭に人道支援で活躍しているが、人的貢献はまだまだ少なく、財政的支援が多いのだろう。また、このようなネットワークに日本の機関や職員が参加していないことに少し疎外感を覚えた。

おそらく物流分野だけではなく、総じて人道支援は、同じようなメンバーで回されているのだろうと思う。こういった人道支援家は、災害があれば、空を飛んで現地入りし、次々に緊急援助の必要な国を移動している。アフガニスタンにいたかと思えば、ハイチに行き、スマトラへ出向き、リビアに入る。根無し草のごとく、海外を転々としながら緊急援助の活動を続けている。だから、初めて訓練に参加するものばかりでも、数人は顔見知りが初めからいる状況のようだ。私自身は、この分野ではまだまだ駆け出しのため、ネットワークはそれほどなく、新しい顔ぶればかりだった。

そして、みんな議論がとにかくうまい。過去の事例を出しながら話に深みを持たせ、説得力がある。筋道の通った話の中にジョークを交え、笑いをもって人をあきさせることなく、理論的に話ができる。他の人の意見も集約させながら、自分の思いも混ぜるその話しぶりは、やるなぁという思いだ。もちろん英語でやっているから、英語圏の人がリードを取りやすいのだが、英語を第2言語としているような人も、流暢に議論できていた。

日本人があまり知らないこの国際人道支援という業界、そして、議論に重きを置くすすめかた、以前から分かっていたこの現状に改めて考えさせられるものがあった。今のままの日本人では、これらの業界でやっていくのは相当根性がないと、続かないだろう。日本の教育は、今世界基準で考えないといけない瀬戸際に来ている気がする。

とまぁ、日本のことを思いつつ、自分自身の能力向上に役に立ったので、この訓練に参加できて嬉しく思う。それに、いろんな新しい人に会えたことは、とにかく財産だ。この業界、広いようで狭いのだからまた再会することもあるだろう。
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2012年03月29日

転勤(官僚組織の人事制度)

WFPには、リアサインメントと呼ばれる転勤制度が存在する。というか、リアサインメントの日本語訳が配置転換という意味で、職員の移動による職務の変更をあらわしている。転勤における大きな取り組みが1年に2度あって、その中でも年末に空席が公表されるものが最大だ。

転勤のサイクルに当たる職員はそれぞれの希望に応募し、結果は今頃3月末あたりに発表される。実際の移動は、6月7月あたりまでずれ込む場合もあるので、国連機関らしく人事上の動きにはとても時間がかかる。まぁ、国境を跨ぐ移動を強いることになるので、これも仕方ないことなのかなぁともおもう。

正規職員は、その勤務地に応じて、ある程度決まったサイクルで勤務地を移動する。たとえば、勤務困難地はその任期を2年と定められており、本部ローマのような生活に全く支障のないところは4年とされ、その中間的なところは3年である。こういう官僚組織は、日本の公務員と同じだが、人事が一番の関心ごと。さまざまなゴシップや陰口が横行するのも、ポストや昇進等の人事に関することだ。

職員の移動は、何もこのリアサインメントに限ったことではない。それ以外の時期にも、空席は公表され、人は動いていく。もちろん規定の期間を終了しなくても、もっと早くに人が動く場合もあり、その逆で長くいることもある。世界の辺鄙なところで働けるのも、このようにローテーションで違うところに行くことができるからだと思う。ひとつのところにずっといなくてはいけない職場だと、外国から人は働きに来てくれないと思う。

以前の勤務地ダルフールも期間限定だからやれるのであって、永続的なものであればそもそもそこに入って行こうとも思わない。一喜一憂があり、一筋縄ではいかない人事の動きであるが、その存在意義は明確だ。紛争地、生活困難地、先進国、いろんな所を根無し草のように移動し、昇進し、経験をつんで、このような国連機関で力を発揮できる人材に育っていく。

とまぁ、制度の説明はこれくらいにして、この人の動きには非常に影なるものが付きまとっている。なんだか怪しい密室での話し合い、小さなグループでの会話が、物事を動かしている。組織上、一番上に立つ者が全ての権限を持っているのだが、物事はそこに行く前に大体決められて、後はサインをするだけという状態なのだろうと思う。まぁ、これは日本の官僚と政治家との間でも行われていることで、巨大な組織ではこれも相応の対応なのだろうと思う。

一般企業でもこういう動きはあるだろうから、人の介在する組織としては至極当然の現象なのかもしれない。そういってしまえば、国連機関も政府機関も一般企業もさほど違いはないのかもしれない。チャンスは平等にあっても、処遇は公平ではないのだろう。

組織の性格や仕組みをしっかりと認識して、自分なりの戦略を立てて、先を考えていくのが懸命な行いなのだろう。妬み、嫉みはこの世の中にはつきもの、人にひがまれても、自分がひがむことなく、平常心でいきたいものだ。幸せの基準は誰でもなく自分が決めるものだから。
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2012年03月26日

年に一度の表彰式

2日前の金曜日の早朝、1週間のナイロビ出張から帰ってきた。本来なら、あと1日ナイロビにいて、会議に最後までいなくてはいけなかった。しかし、WFP本部のローマで行われる2011年度の表彰式にどうしても参列したくて、早朝に到着する飛行機で戻ってきた。家に着いたのは、午前5時過ぎ、荷物の整理をしてシャワーを浴び、少しだけ眠った。10時には起きて、事務所へ向かう。

その日の午後の表彰式は、2011年度のWFPのプロジェクトや個人に対して、特に優秀な活動を行ったものを表彰するという式典である。この表彰式は、聞くところによると、7年ほど前から行われている行事であるらしい。今年は、私の参加した東日本大震災に対するJapanプロジェクトが表彰を受けることになっていた。誰とどのチームが表彰を受けるというのは、秘密にされていたが、こういう噂はすぐに回るもので、情報をコントロールすることの難しさを改めて、感じる。

自分が参加したそのプロジェクト、そして、一緒に働いた仲間がするスピーチ、それをこの目で見たくて早目に戻ってきたのだ。ナイロビのなんちゃってな出張よりもこっちの方がはるかに大事である。

Executive Director 通称その頭文字をとってのEDを自分の目で見たのはその日が初めてであった。WFPにとっての彼女は、国連事務局のバンギムン事務総長のような存在だ。彼女の事務所は、私の事務所のある同じ6階にありながら、ローマに赴任して来てから4か月も経つというのに一度もお目にかかったことはなかった。映像でない彼女を見て、少し感動を覚える。

式典はなかなか感動的で、日本のチームが表彰され、映像が流れスピーチを聞いた時には、感極まって涙が止まらなかった。このプロジェクトが立ち上がって、日本の方々に貢献できたこと、そしてそれに自分が参加できたことが、とにかく嬉しい。最後に、EDと表彰で頂いた盾を持ち、並んで写真を撮らせていただいた。大切な記念になることだろう。彼女の任期は、あと1か月で後任の人はもう決まっている。

この式典には、WFP職員の士気を高めるという目的があり、個人やチームの栄誉、功名心は二の次である。これに選ばれたからといって、昇任が約束されるわけでも、将来のポストが約束されるわけでもないらしい。その辺りは、全く別の競争原理と仕組みがこの組織には存在するようだ。

以前所属していた自衛隊にも同じようなことがあったなぁ。目立つ式典には、別の意義や思惑があるものだ。お金をかけ、時間をかける式典には、それなりの説得できる意義が必要で、栄誉を讃えるだけでは理由として弱く、職員総員の士気向上というところが本来の目的になるのだ。

いやいや、単純に喜んでいた自分が若干恥ずかしく、まんまとその戦略に乗ってモチベーションが上がったなぁと感じた。正直「WFP、悪くないなぁ」と本気で思ってしまった。こういうことで、職員の士気が向上するものなのだ。

スピーチをした2人は、WFPの大先輩で、その後食事をご一緒させていただいて、いろんな話を聞く機会に恵まれた。まだまだ、この業界には学ぶべき点が多く、自分が成長できる材料が随所にある。

国連とは、冷めた目で見れば、ウソばかりかもしれないが、それがこの世の現実であり目を背けず学べるものは貪欲に吸収していかなくてはならない。
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2012年03月09日

悲しい事件

1か月近くブログを更新できなかったのは、忙しかったからという単純な理由からではない。引っ越しによる新しい生活の組み立て、新しい職場環境での慣れない作業、いろんな雑務によってこの場から遠ざかっていた。20分もあれば、更新できる日記調のこのブログでさえも、継続させるにはそれなりに意志の力が必要だ。

仕事に関する悩みは、次回のブログ更新に回すとして、今日久しぶりに更新しようと思ったのは、悲しいニュースを人づてに聞いたからだ。

ここローマの前の勤務地、南ダルフール州の州都ニアラで、僕の昔の同僚が2日前に武力集団に誘拐されたということを知ったからだ。朝の通勤時、彼はドライバーと一緒に事務所へ向かう。2日前のその時に、2人ともさらわれた。しかし、現地人であるドライバーは、ニアラの街から1時間ほど車で走ったところ辺りで解放された。そして、イギリス人である彼は、武力集団のアジトと目されているジャブラマラという地域まで連れ去られ、行方が分からなくなってしまった。

詳しく調べていないが、どうやら事件の後ろにはスーダンとイギリス政府との政治的いざこざがあったようなのだが、そんなことに彼はイギリス人だという事実以外は全く関与していない。

彼とは、1年近く仕事を一緒にした仲間だ。宿舎でも隣の部屋だったので、家族構成などのプライベートなこともよく話し合ったとても気の合う仲間だ。ここローマに転勤してきてからも、時々スカイプで連絡を取っていた。そんな彼が、誘拐されたと知って、半ば信じがたく、インターネットで調べたがそのニュースは、多少の間違いは含まれていても、名前や職業などは記されていて確認が取れた。

1年ほど前に僕のスタッフが誘拐された時には、1か月近くも拘留されていた。それでも、生きて帰って来られたので、なによりだが、今回も同様に無事であってほしい。家族は、彼のことを心配していることだろう。娘さんが2人いるのだが、家族のことを考えると、とても胸が痛む。

そして、今ニアラの事務所では、引き渡し交渉の対策本部が作られていることだろう。通常業務そっちのけで、忙しくしているに違いない。誘拐された彼本人、その周りにいる同僚たち、そして彼の家族、それぞれが今後どんどん疲弊していく。

何よりも無事であってほしいし、拘留がなるべく短くあってほしいことを祈る。

フィールド勤務には、こういう危険と隣り合わせなのだ。
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2011年11月30日

本部の仕事というもの

赴任してから丸2週間が経過。分からないことはまだまだたくさんあるが、全くの無知ではない。フィールドと言われる地域事務所と、本部ローマの仕事内容はもちろん同じわけではないが、書類は見たことがあるものがほとんどだ。ただ、出来上がったものを手渡されるのがフィールドであり、それを精査してフィールドに渡せる状態を作り上げるのが本部である。

物事が動いているのは、ことが実際に行われるフィールド事務所。そういう点では、書類の動きを追っているだけが本部であるが、ここにいると世界中のオペレーションが見渡される。

エチオピアからメールが来て、業者契約についての話があったかと思うと、アフガニスタンの緊急支援の話をしている。そうかと思うと、ヨルダンにおける訓練企画について話し合う。WFPが介入している国や地域だけでなく、ヨーロッパの政治経済、国連事務局のあるニューヨークについての話も時折出てくる。とにかく、動きは自分の目では見えないが、情報はとても多く入ってくる。

そして、たくさんの人に会う。過去の業務で一緒になった人との再会は当然あり、そして友人の友人ということで、また新しい友人ができる。それぞれがそれぞれの仕事を抱え日々勤務しているなかで、課や部局を超えての連帯業務は、長の職に就いているもの以外は極めて少ないのが現実。ただ、それがそのまま壁になっているわけではない。ちょっとした出会いで、どんどん交流は開けていくのもまた現実だ。

2週間しかみていないから、まだ何とも言えないが、ここでやっている仕事はそれほど難しいわけではない。一般常識で解ける問題がほとんど。航空会社やブローカーを相手にして、オペレーションに見合う入札を行う。そこから一つを絞り、予算の執行をかけ、業務の運営計画を地域事務所と共有する。実際の運営はフィールドがやるのだから、こちらは法的に問題が出てこないように書類を固めていく。そういった一連の書類について、記憶しなくてはいけないことがあるがそれは手順であって、創造性や独創性を求めるものではない。

とにかく仕事はボチボチとやっていける感じがする。職員は、カフェでエスプレッソやカプチーノを飲みながら、ワイワイと語らい、楽しそうにしている。ほんとに仕事をやっているのだろうかと感じるが、同じ人がずっといるわけではないはずだから、それぞれ息抜きしながらやっているのだろう。自分のリズムをつかめたら、もっとここでの時間を有意義なものにできる気がする。

仕事だけではないということが分かる。というか、仕事以外のことが仕事に影響を及ぼす気がする。さて、情報戦の始まりである。将棋の駒は並べられたのだ。何をどう動かし、どれを突いていくかは、ここで得られる情報次第。
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2011年10月15日

スタッフの教育

さて、ここニアラの私が働く部署には新しい国際職員が来ている。彼はフィリピン出身で、元空軍のパイロットであり大佐まで務めた人物だ。スーダンにやってくる前は、フィリピンのWFP事務所で安全担当官をしていたという経歴の持ち主。これだけ聞くと、出来る人物に違いないと思うかもしれないが、これがさっぱりだ。立派なラベルがついている割には、とても平凡な日本酒ってな感じだ。ちょっと悪口だな、これでは、失敬。

彼はコンサルタントであり、私の後任というわけではないので、航空部署の部長になるわけではない。ただ、私の後任者の赴任が遅くなり私の方が先にローマに出発してしまう場合は、必然的に彼が一時的な部長になる。しかし、彼は今のところ非常に穴のある人物であるという評価を私は下している。人柄は悪くはなく、軍人らしく地位を重んじてくれ、とても私に従順だ。10歳も年下の私に怒られまいと随分頑張っている様子はくみ取れる。ただ、この業務の規則や手続きを知らないわりには、それを学ぼうと自発的な行動が見られない。そして、それ故に間違いが多く、物事の根拠となる事柄を分かっていない。そして、間違えた時、声が少し高くなりそして興奮し、他のスタッフに少し強く当たるのだ。私の求めているところは、とても高い所なのだろうか。。。

ここでの仕事、適当にやっているわけではないのである。紛争地帯いわゆるフィールドと呼ばれる場所に、お客さんを乗っけた飛行機を搭乗員と一緒に飛ばしているのである。操縦するのは、契約している会社のパイロットに任せるとして、私たちの仕事は、それらのフライトを安全に地元と国際的な決まりの両方を守りながら、様々な調整業務をやることである。地元のお役人ともめることなく(まぁ、時にはもめるけど)、うまくサポートを得ることである。

私は、人にものを教えるというのは、つまるところ本人の自発を促すというところに本来の教育の目標があると思っている。先生となる人物が、いくら一生懸命教えても、聞く側にその準備がなければ右から左だからだ。知識は、人に教えられることによって身につくのではなく、自分でその内容を消化できた時であり、それには自主的な心が欠かせない。当然、良き先生と呼ばれるような人は、そんな生徒の心に火をつける人物であるが、どうもそもそもの姿勢が違うような気がして仕方がない。

現在のフィリピン人の彼を含め、私がこの地で業務を教えてきたのは、国際職員に限って言えば3人である。(本当は4人かな、私より前からいた南アフリカ人の同僚にも、最終的にはあとから来た私がいろいろと教えていた)イギリス人、アフガニスタン人、フィリピン人がその内訳。それぞれ、人は悪くない。むしろいい。しかし、どうもこのコンサルタントという不安定な地位がそれを邪魔しているような気がする。いつ、雇用が切れるか分からない。自分のとりあえずの契約は、この先2か月だけ、この状態でさらに業務に踏み込んで、どんどん責任を取っていこうとするのだろうか。

普通の人間なら、適当に時間を過ごし、その間にもっと安定していて給料のいい仕事を探すのではないだろうか。

危機感をあおって、いろいろ覚えさせるように働きかけてはいるが、今一つ自覚が足りない気がする。とりあえずの対策として、明日から1週間、彼が業務の全責任をもって、仕事にあたってもらうように各部と調整しておいた。これで考え方を少し変えてくれればいいが。

日本的終身雇用の弊害はいろいろあると思う。しかし、雇用が安定しているからこそのメリットもやはりある。職員が腰を落ち着けて、今やっていることに神経を注ぐことの出来る環境を整えることができるということだ。一人一人の出来不出来は、個人の持っている能力もさることながら、こんな環境も影響を及ぼすのだろうなぁと感じる今日この頃である。
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2011年10月05日

第2言語

国連公用語は、英語、フランス語、スペイン語、ロシア語、中国語、アラビア語の6つである。以前書いたかもしれないが、言語をたくさん操れるだけで国連機関に入ってくることはできず、自分の専門性が必要で、言語よりも何ができるかが優先される機関だ、と。それは、仕事をする上で当然の話で、自分自身それほど気にもしていなかった。スーダンに来てから、アラビア語を学ぼうとしたが、挫折し、仕事の合間をぬってフランス語の勉強を再開しようとしたが、時間がなかなか工面できず、さらに挫折していた。それでも、まぁいつか、どこかで再開しようと思う程度にのんきに構えていた。

しかし、そういうわけにはいかなくなった。英語以外の言語を持つことは、国連職員としての当然の資格要件となってしまったようだ。2年間をここスーダンの土地で過ごし、契約更新が控えていた。ちなみに、契約更新というと、とても不安定な気がするが、国連の正規職員のほとんどが、1年単位の契約を更新して仕事をこなしているのが現実。今回その更新にあたって、本部から、言語の資格検査を合格した証明書を送ってくれないと、次の更新はしないという、ビックリするようなメールが突然送り付けられた。

家族を持つ身としては、当然焦り、いろんな人に連絡した。僕が思っていたように、ほとんどの人の反応は、第2言語を持っていない人はたくさんいるから、上司に言えば絶対、契約更新してくれるから大丈夫というものであった。結果、更新はされて、先日ブログにも載せたように、本部ローマに行くことが決まったのだが、第2言語のことで人事上の手続きが止まっていたのは確かだ。ローマの担当課の上司に連絡をすると、人事部とすぐに話をしてくれたようで、事なきを得たが、非常に心臓に悪い日を過ごした。

他の同僚に、「そんなことがあって困ったよ。」程度に話を打ち明けると、その彼も同じ境遇に立たされていた。僕が、その状況を説明して、上司に直接話すことを勧めたが、どうやら、この第2言語の習得というのは、建前のみでなく、雇用を維持するうえでも必要条件となってしまったようだ。人事規則にも正式に掲示されたようなので、強制力によって、僕自身も言語の習得に励まなければならなくなった。

さて、どの言語にしようか。国連公用語を母国語としていないものにとっては、結果として3ヶ国語話さなければならないということだ。自分でいうのもなんだが、それなりに言語習得のセンスはあると思っているので、学生時代にした中国語に磨きをかけるか、そこはやはり国連で生きていくためのフランス語に力を入れるか、現在考え中。しかも、次の行先はイタリアで、イタリア語もそれなりに習得しなければならない。

言語習得にばかり、時間をかけると肝心の「思考する」という機会が相対的に小さくなる。これは、帰国子女に陥りがちな思考の浅い人間を作ってしまうことになる。つい先日、インドネシアから独立した西ティモールの教育状況を取り上げた記事を読んだ。そこでの公用語は、2つ。ティトゥン語とポルトガル語。そして、国が掲げる教育方針では、お隣のインドネシア語と、国際的に発展してほしいため、英語を推奨している。子供たちは、4つの言語を学ばなければいけない環境にある。

東ティモールの将来がとても心配になったのは言うまでもない。そして、僕の子供たちがそんな運命を辿らないようにしなくては、と改めて考えさせられた。やっても3カ国語までかな。それ以上は、頭が混乱してしまう。

さしあたっては、自分自身の第2言語(日本語ができるのだから、本心は第3言語と叫びたい)だが、イタリアでのイタリア語以外の言語習得は、効率が悪いだろうなぁと思う。まぁ、よりよく世界を渡り歩くためには、言語は無くてはならないものだ。ここダルフールにいる間は、全くやる気が起きないが、イタリアに着いたらやり始めよう。
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2011年08月17日

帰国して パソコンに向かいて 思うままに

ダルフールのニアラから、3本の飛行機をあまり待ち時間なく、乗り継いで帰国してきました。飛行機に乗っていた時間は、3+3.5+11だから、合計17.5時間の移動時間です。もちろん、少しは待ち時間もあったため、やっぱり総行程で、丸一日24時間くらいになっていると思います。

大阪は暑い。この暑さは、湿度からくるものですね。気温は、ダルフールのほうが10度ほど高いのに、不快度はこちら日本のほうが高い。変に時差ボケがあるものだから、今朝は5時から目がパッチリ。数日のうちには日本時間に身体が追い付いてくるのですが、こういう時を利用して、朝からいろいろ精力的に動かなくてはいけません。

ということで、まずは、ブログの更新。まぁ、あまり目新しいニュースはないのですが。

仕事は、以前一緒に仕事をしていた南アフリカ人に任せてきました。彼は、前も言った通りコンサルタント契約の職員で、現在の拠点は、南スーダンのマラカルというところで勤務しています。しかし、ニアラで僕がいなくなるということで、ハルツームから指令を受けてわざわざ来てくれました。こういうことも、コンサルタント故の事象だと思います。

将棋の駒のように、どんどん動かされます。断る権利はあると思うのですが、なかなか強く出られないのでしょう。もちろん正規職員でも、いろいろ動いている人もいます。しかし、ことUNHASに限っては、正規職員はもっと腰を一か所に落ち着けて、人とモノを動かしているという印象です。そして、その動かされるほうに、コンサルタント職員が含まれている印象です。

そして、彼はこれからの6週間をニアラで過ごし、一旦雇用契約が切れます。BIS (Break in Service)というやつです。これは約1か月あり、無職の状態に陥ります。それから、また新しい雇用契約へと切り替わります。彼の場合、次は、ジェニーナという西ダルフールに転勤となるそうです。なんと落ち着かない、不安定な生き方だろうと思います。

20代前半ならそれでもいい。しかし、40代に入ってきたら、それはもう過酷です。僕のいる組織は、コンサルタントから正規職員になっていくという流れはとても一般的な流れです。もしかすると、JPOより多いのかもしれない。

しかし、このコンサルタントから、正規職員へのルートを日本人が同じように挑戦できるかというと、首をひねってしまう。こんな辺境の地、紛争中の土地で、不確実性の高いこの仕事に我慢が続くのか。特に、男性の場合、もっと確実なものへ移動しようと思うに違いないと思うのです。そんな国連機関ゆえの就職事情が、日本人職員増加の足かせになっていることは、まぎれもない事実です。発展途上国出身の職員のように、泥臭く、しがみつくほどの根性で、挑戦してくれば、正規の道につながると思うのですが、それは日本人にはできないのではないかとつくづく思います。もちろん発展途上国の人は、そんなコンサルタントの仕事でも、母国で働くより、給料が何倍もいいから、これは必然といえるでしょう。

もう一つの理由に学歴と職歴があります。日本人の場合、コンサルタントから、正規に残れるような経歴を持っていそうな人は、日本でしっかりと仕事をして収入をすでに得ている人です。それをなげうって、挑戦するというのは、相当な心構えが必要です。わざわざ、そんなことをしなくても、十分な収入と、家族や友人に囲まれた落ち着いた生活が手に入るのです。

さらに、それが男性であれば、実家の両親のことも気になります。もし、体を壊したら、どうやって駆けつけることができるのか。西洋のように、個人主義が台頭してきたといえど、やはりそこには東洋の伝統が流れています。団体主義、家族主義の和の精神です。先祖を思い、盆には墓参りをするような文化を持つ、私たちのような人種が、遠く離れた帰属意識も愛着もないアフリカのような土地で暮らしていくことへの難しさ。

当然人類全体への奉仕といえば、格好良く映るかもしれませんが、現実は、もっと地味にいろんな問題が存在するものです。

僕は、それでも国際機関に日本人が増えてほしいと思っています。国際社会における日本人のプレゼンスを高め、そこから母国に知的財産や、さらなる発展への機会を誘導できると考えているからです。まぁ、だからと言って、JPOという制度に、反省を加えることなく予算を重ねるのは、愚策というものですが。

僕の国連職員としてのゴールはどこにあるのか、考える日々が続きます。なんだか、見えそうで、見えない。とりあえず、あと1週間ほどで、我が家にも第1子が誕生します。人の親として、また学ぶことも多々あることでしょう。

そうそう、国連職員の人には、独身が多い。これも、問題だと思います。離婚率が高いのです。これもいただけないなぁ。人生仕事がすべてじゃない。しっかりと公私両立できての、豊かな人生だと思う今日この頃です。

さて、帰国しての恒例行儀、散髪に出かけましょう。
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2011年08月10日

スタッフの昇進

現地職員。僕の所属するWFPには、多くの現地職員が働いています。ここは、スーダンなので、当然彼らはスーダン人です。現地職員と、国際職員の割合はどれくらいでしょうか。ここ、ニアラ事務所を見てみると、20対1くらいの割合でしょうか。

彼らにも、彼らの中で階級が存在します。国連といっても、それは官僚組織であることに変わりなく、同じ日本の公務員制度と同様、階級と役職がそこには存在するのです。階級が上がれば、それに見合った役職があり、ある役職には、それに対応した階級の職員が就くことになっています。

僕には、アシスタントが4人います。その内訳は、男性2名、女性2名です。彼らの階級は、G-5とよばれる階級で、業務の中核を担っています。その下には、現在のところ、G-1という階級で物を運ぶ職員、掃除をする職員、ドライバー等が存在します。僕は、そんな彼らの上司ということになり、指示を出し、業務を委任しながら、日々の航空業務を取り仕切っています。

そうそう、忘れてはいけないのが、航空業務を実際に行うパイロット達です。彼ら航空会社の人達は、およそ10人、僕の指揮の下、活動しています。まぁ、彼らは直接WFPに雇われている職員ではないため、人事上の権限はありません。

さて、このような状況ですが、現在のアシスタントの中で、G-6に昇進させようという話が挙がっています。当然、階級が上がるのですから、役職名もより上級の名前に変わります。今までの名前の前に、シニアと付き、Senior Air Movement Assistant となります。ちょっと、エラそうですよね。

先日、筆記試験を実施しました。公募は、国連上の公平さを図るための決まりであるため、僕のアシスタント以外からの応募も受け付け、合計10名が、その筆記試験を受けました。筆記試験の内容は、実にニッチな所を突くため、この業界に働いていないと分からないことばかりを問う問題です。当然、結果は火を見るよりも明らかな結果が表れます。

その次は、面接です。面接では、さらに的を絞ったニアラで勤務していないと分からないことを尋ねました。こういうと、公平さの欠片もないじゃないか、と。まぁ、本当に外部から人が入ってしまうと、現在の職員の誰かをクビにしないといけないので、必然と言えるのではないでしょうか。

おっと、あんまりこういうことを書くと、最近、いろんな方にこのブログが読まれていて、あんまり書かないでとご指摘を受けそうで、ちょっと気を使うのですよね。でも、オブラートに包みながら書くと、とても面白味のないものに変わってしまって、自分のモチベーションも下がってしまいます。こんな情報も、国連等の国際社会を夢見ている人には、貴重なものだと僕は思います。昔の僕がそうでしたから。

話は戻って、その面接。僕のスタッフは、普段僕と話すときはずっと冗談を言って笑っているのに、とても緊張していました。普段は、ベラベラ話す女の子も、自分をよく見せようと空回りしているのか、とても上がっていてちぐはぐなことを言っていました。偉そうに生意気な男の子も、恐縮して、うまく話せていませんでした。

世の中、古今東西、いろんな人がこの世界には住んでいますが、同じようなものです。上司には、よく見られたいし、認められたい。褒められたいし、チャンスが欲しい。でも、緊張するし、空回りするし、みんな同じです。

そんな彼らの頑張りを見ていると、みんな昇進させてあげたいと思います。

部下は、可愛いものです。中には、僕より年上の職員もいますが、こと仕事に限っては、きっちりとした上下関係があり、それが、上司としての部下を思う気持ちになり、可愛く思い、大切に感じるものです。そして、そんな思いは、部下にもしっかり伝わっていて、向こうも慕ってくれます。

テストをして、面接をして、2段階のふるいに掛けたとしても、上司である僕の評価が大きな影響を与えるものです。世の中そんなものですよね。

上司にとって、欲しい部下とは、チームを作り上げられる協調性のある人です。まぁ、これは僕の意見ですが、どれほど能力が高くとも、人との関係をうまく作り上げられないのであれば、その存在がマイナスになり、他の職員にも悪影響を与えてしまいます。

ということで、悩んだ結果、ある一人の職員に決めました。人事として反映されるまで、1か月はかかると思われます。その職員を思うと、嬉しく思う半面、選ばれなかった職員の落胆も想像できます。みんな、頑張っていたからなぁ。さて、どうやって励まそうか、考えとかなくては。
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2011年07月30日

転勤の決まり方

今日は金曜日で休日です。だから、事務所に行く必要はなく、ゲストハウスでのんびりとできる環境にありました。だから、今朝ローマにいる航空局の局長と直接電話で話をして、僕の今後についてどうなるのか聞こうと思っていました。

彼ら上層部のスケジュールは、メールで伝達されます。そのため、局長があと数日で夏休暇に入ることは知っていました。僕も、8月中旬から、夏休暇と育児休暇を併せて、1カ月半ほどの休暇を取ります。そのため、今日くらいしか話せる機会はないだろうと考え、朝、話がしたいとメールを打ちました。

すぐに返事が来て、「今ならいいよ」と返信があり、すぐに電話を掛けました。定年間際の60前後の方で、紳士で優しいと評判のおじさんです。僕も一度だけ会ったことのある人ですが、親身になって考えてくれる人です。そして、今の専らの関心ごとであるニアラの後の勤務地について聞いてみました。

すると、ローマに近日中に空くポストがひとつあるのだけど、君に来てもらおうと考えていると言われました。「おぉ、ローマ・ライフかぁ」と嬉しく思ったのと同時に、これはどのポストのことを言っているのだろうと思いました。なぜなら、ハルツームの同僚もローマに転勤するということが決まっていると知っていたし、同時に2人もスーダンから行くことになるのかぁと思ったからです。

そして、そのポストの具体的なことを聞いているうちに、それは、ハルツームの同僚がとるはずになっていたポストではないか、と感じてきました。なんでしょう、この不思議な感覚は。まぁ、とりあえず、ローマになれば嬉しいよ、と言って電話を切りました。

その1時間後、今度はハルツームの上司から電話がありました。転勤の話です。ハルツームに来ないか、という話です。ローマの局長が、彼に電話を掛けたのでしょう。少し慌てていた感じでした。ここでなんとなく、合点がいきました。ローマのそのポストは、まだ根回しが完全にできていない状況で、局長の耳にはまだ届いていなかったのでは、そして、ローマの今後空くポストは、僕ではなく、彼のためのポストではないか、と思いました。

こういう時は、慎重に動かないといけません。無闇に組織内に敵を作ってしまう可能性があります。こういう時は、動物的勘を働かせる必要があるし、僕にはそういう能力があります。

結論から言って、僕としては、ローマでもハルツームでも、家族と一緒に暮らせる環境があれば、どちらでもいいのです。それに、ハルツームのほうが今までの人脈も活かしたまま、さらに広げていけるだろうし、ニアラ以外のスーダンでの業務、全体を把握するうえで、まだまだ学ぶべきことが多くあります。他の国に転勤する前にしておかなくてはいけないことがある気がしていました。

結果的に、今日という一日で、これから1年先くらいの僕と僕の家族の道のりが決まったような気がしました。スーダンの生活はまだ続くことになるでしょう。そして、ここニアラにもまだ関係を持つことになりそうです。せっかくなら、もっとスーダンのことを知ってから、次に移ってもいいでしょう。

国連機関は、大きな仕事をしているようで、組織そのものは狭く、人間関係も閉鎖的なものです。内輪での根回しや、関係作りが重要であることは、言うまでもありません。

ハルツームはまともな都市です。砂漠で、暑く、過ごし易い所ではありませんが、外は普通に歩くことができるし、レストランやカフェなどもあります。ニアラよりかは、確実に生活の質は向上することでしょう。妻と赤ちゃんの海外デビューが、スーダンからなんて、なかなか面白いのではないでしょうか。
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2011年03月11日

転勤前の動き

現在、おそらく国連組織のどこでも同じだと思うのですが、職員の転勤先を決める話し合いが各本部で行われています。翌年の空席ポストを年末12月に発表し、それを全職員が閲覧できるようになっています。もちろん、組織内のウェブサイトなので、外部の方には見ることができません。それを、転勤の時期に当てはまる職員が、選んで応募するのです。上限はなかったかと思いますが、3つのポストまでは、優先順位を決められたかと思います。

応募できる期間は、1か月間ほどだったと思いますが、それが集計されて、誰をどこへ配置するかの話し合いが行われています。これは、結構面白い仕組みだと思います。日本では、転勤などの配置の話は公になるようなことはありません。しかも、その配置ごとに、一定の勤務期間が決められているなんて、あまりないと思います。そういう点では、オープンな組織風土なんだなぁと思います。

去年の12月の時点で、僕はここでの勤務1年を過ぎていたのですが、応募しませんでした。2年は、ここに勤務しようと決めていたからです。もともと、契約書も2年と書いてありましたし、その気でいました。フィールド勤務は、通常2年間の勤務が奨励されています。何かの都合により、1年で去ることはできますが、まぁ2年のほうがいいのでしょう。

転勤、配置、役職、昇進、これらは組織で勤務する者にとっては、常に頭の中にもやもやと存在するものです。自分一人の進む道だけでなく、周りの歩んでいる道をも見回して、自分はどうなるかと考えるのです。

こういう時期は、どこか事務所内の雰囲気がそわそわしていて、仕事が手についていない感じです。もちろん、長期的なプロジェクトに関わっている人は、少しずつ手を抜き始めます。当然ですね、自分がいる間に結果が出せないものに、時間を費やすなら、終わらせられるところに神経を集中させたほうが生産的です。

しかし、その周りで働いている‘残る職員’は、結構大変です。責任の量が増えてくるからです。そして、去っていく人がどんどん無責任になっていきます。人として、理解できるし当然の振る舞いなのでしょうが、面倒なものです。無責任な発言も増えてきます。

あと1年頑張れるのでしょうか。夏には、妻の出産で帰国する予定なので、実質働いている期間は、それほど長くはないにしても、最近のストレスはちょっと度を越しています。ストレスの解消法を考えるというよりも、どのような立ち位置で仕事をするべきかをもう一度考え直さないといけないのかもしれません。
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2011年02月11日

上司の訪問

昨日までハルツームにいるUNHASのチーフがここニアラに来ていました。ニアラだけではなく、ダルフールの他の2つの街も訪問していました。たった1日だけの訪問でしたが、多くの会議をこなしました。彼が僕の実質的な上司であり、スーダンの業務を総合的に管理している職員です。

西ダルフールの州都ジェニーナで、今月の初めにまたパイロットが誘拐されました。UNHASのパイロットの誘拐は、これで2度目です。彼らもまた、僕の顔なじみの搭乗員でしたが、今回は前回のように街中でさらわれたわけではなく、フィールドのとある飛行場に降り立った瞬間に銃撃を受け、そのまま誘拐されたのです。銃は乗客の直ぐ上を貫通していたのですから、少し間違えばかなりの惨事になっていました。

それから今まで、UNHASはルールの変更を余儀なくされました。航空機が着陸する際は、軍人や警察官によってその着陸場が保安されていないといけなくなりました。当然、このような人材は、UNHASやWFPにはありません。そのため、地元政府やUNPKOと調整をし、資材や人材の提供を確保する必要がありました。前例のないことをするというのは、このような官僚機構では困難なことです。

チーフである彼は、その安全対策のルール作りを指揮していて、大変だったと思います。しっかりとした対策ができるまで、いくつものフライトを止めました。現在は、かなりの場所が再開されましたが、政府とのやり取りは本当に面倒です。軍人の数人は金銭を要求してきたり、時間にはルーズだったりと管理にも限界があります。

そういう困難な状況をハルツームの事務所からだけで管理するのは、極めて難しいため、今回彼がわざわざ移動してくることになったのです。多くの会議は形式的なものでした。ここに来たという既成事実を作るのに過ぎないと思います。ほとんどの段取りは、メールや電話で確認されて、その都度僕が職員や搭乗員たちに伝達していたので、新しい事実を伝えるというものではありませんでした。

ただ、僕にとっては状況が異なります。ゲストハウスに来てもらって、1日ホストをするのですから。毎日のようにメールや電話でやり取りしていても、実際に会うのとでは受け取れる情報量が異なります。いろんな話を聞けました。

僕のこれからのことも話してくれました。どうやら、本部ローマの事務所に来てほしいと航空部署のトップから内内の話があるそうです。来年の初めにくる転勤時期には、航空業務から離れようと思っていましたが、資金調達や企業との契約などの仕事であれば学ぶことも多いので、面白くなるかもしれません。何よりも、ローマという土地で住むことは楽しくなるような気がします。どんな仕事をするにしても、上から認識されるというのは、悪い気がしません。

こういう話はなかなか聞けません。もちろんメールでも公開されません。ただ、こうやって、話は回るものなのです。そして、こういうお客さんをもてなすというのは、とても大切な仕事の一環です。仕事と割り切るのは、少々寂しいものですが、しっかりホストできるかで、その後の仕事に影響を与えるのは事実です。
posted by atsushi at 16:43| Comment(0) | 国連職員としての日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月05日

事件発生 (搭乗員の誘拐)

昨日の夕刻、僕のもとで働いているパイロット3名が誘拐されてしまいました。みんなで集まって、月例安全会議をして、その帰る途中に事件が発生したようです。

みんなとお別れを言ってから、20分後に国連PKOミッションのチーフから電話が入り、「あるクルーが誘拐されたと聞いているが、君のクルーは大丈夫か」と言われました。僕は、さっきまで会議を開いていて、みんな大丈夫ですよと言いましたが、念のため、クルー全員に電話をかけ始めたのです。

すると、ヘリコプターのクルー3名とは連絡がつながらないことが分かりました。

居住先のセキュリティーに問い合わせても、まだ帰ってないという返事。そこからは、もうバタバタでした。事務所長やら、安全警備官やら、地元政府の人達とひっきりなしに電話で話をし、出来る限りの情報を集めたのでした。

既に、昨日の晩から、ここのセキュリティーの雲行きは怪しくなっており、ニアラ郊外で激しい戦闘があったと伝えられていました。そのため、一部のフライトは地元の許可が突然下りなくなり、キャンセルしなければならない状況となりました。何人かの人がそのため、予定していたフライトに乗れず、現地で足止めをされている状況となったのです。

そんな調整で昨日の夕刻は忙しかったのですが、これに誘拐が加わり、さらに激務となりました。事務所を離れたのは、7時頃、そしてゲストハウスからずっと電話でのやり取りを続けていました。ここの門限は、7時のため、それまでにはゲストハウスに戻っていないといけないのです。

もうフライトのキャンセルどうこうの問題ではなく、飛行機を飛ばすパイロットがいないのです。そして、仮に近日中に釈放となったとしても、すぐに飛行作業に復帰できるわけではありません。もちろん彼らの無事を一番考えますが、今後のフライトがどうなるのかも頭の片隅に入れておく必要があります。

もう、こういう状況になってしまえば、僕の出来ることは限りなく少なくなってしまいます。情報収集を徹底して、仲間の安全を願うばかりです。
posted by atsushi at 16:25| Comment(6) | 国連職員としての日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月25日

先延ばしのハネムーン

今は休暇中で、ギリシアのサントリーニ島に滞在しています。17日間ほどの旅行を計画し、エーゲ海の島々を妻と新婚旅行中です。新婚といわれる時期がいったいどれほど続くものなのかよくわかりませんが、一緒に暮らしていない僕たちにとっては、8ヶ月ほど経った今でもやはり新婚なのだと思います。

ここサントリーニ島は、観光で有名な所で、夏になると西ヨーロッパの人を中心にたくさんの観光客でいっぱいになる島です。

僕の仕事は、有り難いことに、かなり長い休暇を取ることができます。日本ではあまり考えられませんが、2週間を超える休みを簡単に取ることができます。そして、ここの島に来ている観光客もみんな同じように休みを長く取れる人たちなのだと思います。

国連機関は、ヨーロッパの慣習をそのまま採用したような、職場環境がありますが、どうしてこの人たちにはできて、日本ではできないのだろうと常々思います。この人たちの方が、生きるということに関して上手な気がして仕方ありません。

この島は、日本の田舎の島のような雰囲気があります。種子島や与論島のような感じがします。日本のそれらの島には、この島のような活気はありませんが、こんな観光地化された島でも、少し道はずれに入り込むと、田舎の素朴な空気が漂っています。

ここエーゲ海の海はそれほどきれいではありません。もちろん、東京や大阪の人達からするときれいなのでしょうが、九州南部の島々の海からするとかなりがっかりとした感じです。日本の自然はもっと見直されてしかるべきだと思います。でも、エーゲ海というネームバリューが存在していることは確かです

でも、ここの良いところは、いっぱいレストランが並んでいて、バカンス気分にさせてくれるところです。ギリシアという中途半端な先進国ですが、ここの物価はとても高いです。

レストランで食事をせずに、スーパーで買い物をしてのんびりと宿で時間を過ごそうと思った時でも、同じくらいの金額になってしまうのです。普通自炊に近いことをすれば、外食よりも安くなると思われがちですが、ここではあまり変わりがないのかもしれません。

休暇に来ていても、完全に仕事のことを忘れることはできないものです。あと数日かかるかもしれません。それでも、少しずつ仕事のプレッシャーから解放されてきているような気がします。そんな数日だけでは、頭は切り替わらないのかもしれませんが、この切り替えをすることが、精神的に健康を保つ秘訣のような気がします。肉体と精神は一つです。どちらの健康も大切で、どちらも相互に影響を与えるものだと思います。

しっかりとリフレッシュして、家族との時間を大切にしたいと思います。
posted by atsushi at 17:40| Comment(0) | 国連職員としての日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月15日

微妙なバランスの上に成り立つ日々

人生とは面白いもので、実に微妙なバランスの上に成立しているように感じます。なんだか、とても詩的な始まりだけど、今そう感じています。

今現在、同僚が休暇で不在のため、全ての業務を取り仕切っています。一人でやっていくことは、それほど難しくはないのだけど、何かトラブルが発生すると大変なことになります。そして、一人でやっている時に限って何かが起こるものです。

ここ数日、毎日何か問題に巻き込まれていました。自分が原因じゃないのに、えらくおこられたり、プレッシャーをかけられたりしていました。でも、そうやって疲れてやだなぁって思っている時に限って、自分の部下が優しくしてくれたり、感謝のメールが来たりします。不思議なものです。

今日は、あるパイロットと激しくもめました。乗客が目の前にいるというのに、機長は逆上してしまって、我を忘れている感じでした。こちらとしても、安全面で注意する必要があったから、厳しく言いましたが、なかなかミスを認めなかったのです。部下たちも心配そうな感じで、眺めていましたが、結果的に長い口論になってしまいました。

とても気分悪く職場をあとにしましたが、家に帰ってきて、今いるヘリコプターの搭乗員やメカニックの人たちが食事を作って待っていてくれました。10人ほどで、一緒に晩ご飯を食べましたが、すごくおいしかったし、嫌な気分が飛んでいきました。こんなふうにして、気分の浮き沈みはありますが、なんとか救われている感じがします。

フィールドの勤務は大変だ、とよく言われます。それは、任務がハイレベルになるからそう言われるわけではないというのが、今はよくわかります。単純な仕事もうまく回らないから、大変なのです。ただ運転手に給油してきて、と言っても3時間も帰ってこないとか、日常茶飯事です。そうすると、予定していたことができなくなります。

まぁ、どうあれ、今日が無事に終了しました。嫌なことはあったけど、良いこともありました。だから、なんとかやれています。なるべく嫌なことは早く忘れて、良いことだけを思い出に残しておきたいものです。
posted by atsushi at 03:29| Comment(0) | 国連職員としての日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月26日

唯一の休日が。。。

金曜日は、1週間の中でUNHASが休養できる唯一の休みであるはずが、朝から働きました。なぜなら、昨日突然ハルツームの本部から連絡が入り、赤十字の仕事を支援してくれと頼まれたからです。

赤十字団体について、あまり詳しくないのですが、世界各地にその存在を認める国際的な組織です。本部がジュネーブにあるのでしょうか、憶測でしかありませんが、ニアラ空港にも赤十字の飛行機が停まっていて、その横にはジュネーブと書いてあったので、そうなのかも知れません。

彼らは、豊富な財源をもとに(どこから来ているのだろう??)、いろんな任務をこなしています。国際政治または、紛争の仲介役をこなしたりもしているようです。本来なら、彼らが受けた依頼のため、彼らが飛べば良い話ですが、目的地がヘリコプターでしか降りられないため、こちらに再依頼となったようです。

実は、この任務これで4度目にあたります。とても、危なっかしい任務です。ここニアラの東側では、スーダン反政府組織JEM(Justice and Equality Movement)が
スーダン政府と結構大規模な紛争をしています。そこに武装していない民間のヘリコプターが飛んでいくわけですから、単純に恐ろしい行為です。ケガ人がいるから、それを引き上げるわけですが、とても政治的な匂いのする任務です。

まぁ、僕が気を付けなくてはいけないことは、パイロットを守り、飛行機を守り、安全に飛んで帰ってくれるように準備をすることです。しかし、こんな面倒な任務のため、昨日の夕方から夜の9時近くまで準備をし、そして、唯一の週末である今日まで潰れてしまったのですから、とても淋しいものです。

結果的には、地元政府が最終的に、飛行許可を出さなくて、取り止めとなりました。いったい僕の休日は何だったのでしょうか。。。

国連組織は、福利厚生、休養日体系等しっかりしているはずですが、フィールド勤務というのは、全く別世界のようです。ここダルフールは、なかなか物事がうまく進まず、体力と気力が鍵となる過酷な勤務環境だと改めて思います。でも、この経験がいつか、大きな支えとなってくれることだろうと信じています。

話は変わり、日本、ワールドカップ、デンマークに勝ちましたね。嬉しいです。

ばんざーい!!
posted by atsushi at 04:11| Comment(0) | 国連職員としての日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月18日

フライト KASSへ

昨日のことですが、久しぶりにヘリコプターに乗ってきました。といっても、自分が操縦したわけではなく、お客さんとして乗りました。KASSという南ダルフールにある小さな町に行ってきたのですが、行きはお客さん席で、帰りはコックピットに座らせてもらいました。

操縦席ではなく、航空士が座る真ん中の席でしたが、二人のパイロットの動きがよく見え、そして前方が見えるのはとても快適なものです。久しぶりに操縦したいなぁと思いましたが、それはプライベートですることにします。機長にコックピットの説明をしてもらい、ニアラにおける注意事項を聞きました。まぁ、あんまり邪魔をしてはいけないと思い口数は慎みましたが、とても楽しかったです。

ちょっと写真を載せておきます。

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今回のフライトの目的は、とりあえず全てのニアラが持つ目的地へ視察をしにいくことと、ヘリコプターの着陸地、滑走路の整備状況を見に行くことでした。KASSは、WFPの事務所、UNIMIDの基地があるだけさすがに結構な整備状況でした。でも、ちょっと手を加える必要があるなぁと思いました。

しかし、どういう目的であったとしても、空を飛べることはとても楽しい。そして、パイロットたちと一緒に仕事ができるのは、やりがいがあります。彼らが安全に、そして快適に飛べるように、できる限りのことはしてあげようと思います。

中には、非協力的な搭乗員がいますが、このヘリコプターのパイロットたち(ラトビア出身)は、とても親切で楽しい人たちです。

国連職員になると、本当にいろんな国籍の人たちと一緒に仕事ができます。地元のスーダン人はもとより、他の国連職員そしてその周りで働く契約会社の職員、それが故の摩擦や大変さもありますが、それをまとめあげた後の達成感は、とても満足感のあるものです。
posted by atsushi at 21:17| Comment(0) | 国連職員としての日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月14日

事務所より

ここ最近の忙しさは、大変なものでした。ブログ更新をさぼってしまい、ごめんなさい。今後は、「少しずつ頻繁に」をモットーにがんばります。

2週間ほど前から、南ダルフールの紛争は激しさを増しています。そのため、ニアラからのフライト・スケジュールはほとんど全て地元政府機関によって飛行自粛を強いられていました。でも、さきほど大きな安全会議があって、一部再開されることが決まり、明日からまた人の動きが再開します。

ここダルフールに滞在している国際機関職員は全て、UNHASのフライトに頼っているので、飛ばない、飛ばせないとなると、多くの人がここニアラやそこから行く小さな村や町で足止めになります。本当のフィールドと呼ばれる小さな村で、足止めになったらどれほど怖いことでしょう。しかも、周りでは紛争が活発化しているのです。

こうなると非難されるのは、なぜかUNHASなのです。政治的な決定権はありませんが、文句だけ言われるのです。なんで飛ばないのだ、人が困っているのに、って。頻繁にメールを送信して情報更新しているにも関わらず、怒りのぶつけ先がないものだから、こちらに投げられます。ということで、大変な混乱が発生するのです。

やはり、物資や人の動きが制限されると、どんな崇高な業務を行っていても、達成できないのです。もちろん食料も届かないから、お腹を空かしている人たちもいるでしょう。病気だけど、薬品が届かない人もいることでしょう。ものがなければ、医者も能力を発揮できないだろうと思います。

この様に考えると、自分のしている仕事は大切な役目を担っているのだなぁと感じます。そして、こういうことが起きるまでは、利用者は僕たちの存在意義を実感してくれないのかもしれません。だから、たまにはこういうことがあっても良いのかもしれない。

話は変わって、個人のパソコンで今後仕事ができるようになったので、2台のパソコンを駆使して、面倒なことをしないでよくなります。これで、もうちょっとブログ更新がしやすくなることでしょう。そして、仕事もさぼりやすくなります。
posted by atsushi at 19:09| Comment(0) | 国連職員としての日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月21日

事務所の改造

ここ数日、いかにすれば事務所を事務所らしい姿にできるかで頭はいっぱいです。ここの地元の人たちには、いったいどういうものが事務所のあるべき姿なのか、そして仕事とはどんなふうにすべきなのかというものが、いまひとつ分かっていません。

書類は、そこらじゅうに散らばっているし、ファイルにはまったく異なる書類が適当に入っていると思えば、違うファイルには同じような書類が2部も3部もあったりします。そして、パソコンのデスクトップには、やたらとショートカットがあるけど、実際に使っているのは一つだけとか、これはもう何かをやり始めれば、すべて変更する必要が出てきます。

しかし、その分やりがいはあると思います。すべてを変更することができるのです。そして、今よりももっと効率的に仕事ができる自信があります。そういうことを職員に伝達して、説得する自信もあるので、彼らの今後の仕事に対する取り組み方を教育していけるのです。これは、考えようによれば、とても幸運な位置にいるといえます。

今日はとりあえず、接客セットを職員に買いに行かせました。UNHAS事務所にはたくさんの来客があるというのに、カップも何もかも用意されていないのです。これでは、カスタマーサービスはできません。お茶のひとつも出して、茶菓子が出てくれば、クレームを出しに来たお客さんも静まるというものです。そして、和やかに帰ってくれるでしょう。

ちょっとした気配りが、とても大事なのはみんな分かっているのに、そういうことを怠ける人がとても多い気がします。あと、もう少しがんばるだけで、もっともっと良くなるのに、と残念に思うことが多々あります。なんでなのかなぁ、そのちょっとした努力が、後で自分の身を助けることになるのに。

今晩はゆっくり眠ることができます。昨日は、大変でした。ヘリコプターの会社の社長が今ラトビアから訪れていて、その彼の誕生日が昨日だったため、大きなパーティがあったのです。かなり飲みました。料理は、とてもおいしくて、ロシアをかなり感じたパーティでした。やっぱり彼らは、ウォッカを飲むのです。ウォッカってロシア語で水って意味らしいです。恐ろしい国だなぁ。

さて、今日は静かな夜でした。

posted by atsushi at 05:32| Comment(0) | 国連職員としての日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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