2011年11月13日

ダルフール最後の夜

今晩で2年間のダルフール生活を終える。振り返るとあっという間だった。どんなことにも、始まりがあれば終わりがある。終わりの続きには、新しい始まりがある。同僚、友人、いろんな人との出会いがあった。そんな人達との別れはやはり寂しい。

思い出は、出会う人によって作られるのだと思う。美しい景色、美味しい食べ物、心地よい気候、いろいろと人の記憶に働きかける環境は確かにある。しかし、人との出会いに置き換えられるものはない。出会った人と楽しい時を過ごすことができれば、その土地の思い出はポジティブであり、その逆はたとえそれ以外の要素である景色や食事がよくとも、良き思い出として記憶に残らない。

昨日、数人のスタッフは欠けているものの、空港にあるプレハブ事務所前で記念撮影をした。空港は軍の管理下だから、写真は厳禁だが、最後の思い出の記念撮影だからと連絡し許可をもらった。それなりににこやかな写真が撮れたので、とても満足している。これがその写真。
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プレハブ事務所にはたくさんの思い出がある。事務所前に作った小さな花壇、今ではしっかりと花を咲かすようになった。スタッフも毎日気にかけて水をあげているようだ。自分がした仕事が、自分がいなくなった後でもどれだけ継続されるのかはわからない。彼らのやり方と元々合わないものは、だんだんと廃れていって、元々の形に戻っていくだろうし、私のやり方を気に入ってそのまま残るものもあるだろう。

またこの土地に来る機会があればいいなぁと思う。その時には争い事は終わっていて、みんなが平和に暮らしていることを祈る。もっと自由に人が行き来できて、賑やかな街になっていてほしいと思う。

明日は、最後のお別れメールをみんなに書いて、事務所に顔を出しお別れを言おう。
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2011年11月08日

家族で集うお休み

数日前から、イド・アル・アドハーとうイスラム教の祝日になっている。この始まりがいつで、終わりがいつなのか今一つ明確ではないが、私の仕事も休みで政府機関も休んでいる。一説には10日間といわれているが、それほどの長期間皆が休んでいるわけではない。この休みは犠牲祭とも呼ばれており、モスクにお祈りに出かけ、その後みんなで羊を食べるのである。去年の今頃はブログに書いたように、あるスタッフの家に呼ばれ、共に羊をご馳走になったが、今年はお呼びがかからなかったため、ゲストハウスでのんびりとした数日を過ごしている。

日本のお正月、西欧諸国のクリスマス的要素があって、皆家族でこの休みを過ごす。休みに入る前の数日間は、空港は驚くほどの込み具合で、人類の大移動が行われる。それぞれが家族へのお土産を手にし、なんとか自分の座席を確保して、ハルツームへと流れていくのである。地元スーダン人にとっても、ダルフールへは仕事で来ている人も多い。そんな人たちがたくさんいるから、飛行機も満席状態が数日続いた。UNHASに限らず、民間機もかなりの混乱模様だった。

予約忘れの人や、満席のため席を確保できなかった人から、なんとかならないかとひっきりなしに電話が鳴る。面倒だなぁと思いながら、どこかで羨ましいなぁと感じるところがあった。休日は、人をワクワクさせる。楽しみにしている行事があって、会いたい人がそこにいればなおさらワクワクする。

交通機関の仕事は、人や物をA地点からB地点へただ運ぶという極めて単純な仕事であるけど、これがいろんな物事を成すうえでの基礎なる部分だ。どんな高尚な仕事であっても、必要なものや人が必要な時にそこに存在しなければならない。それを支援している航空運航を含めた交通・物流の仕事は慣れれば当たり前になってくるけど、その重要性は今後もなんら変わることはない。

自分でいうのもなんだが、結構面白い仕事をしているなぁと思う。航空系の仕事はやや特殊だけど、基本的には常識の範疇でやっている仕事だ。科学者のような頭脳は必要とせず、合理的思考を持ち合わせていれば、誰でもやれる仕事。それを、こんなアフリカの砂漠地帯、紛争地であるダルフールでやれているというのは、我ながら貴重な体験だと思う。

飛行機に乗る前の皆の顔は、とても幸せそうだった。仕事から解放され、家族とともにイベントを楽しむ。地元スタッフの中には、仕事の都合上、どうしても家族のもとに行けない者もいるのだが、友人なんかに呼ばれてそれなりに楽しんでいることだろう。私の休日は、映画鑑賞、読書、料理という地味なものだが、みんなが楽しそうにしている平和な時間は、見ているだけでも嬉しくなる。
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2011年10月31日

持続可能な業務

現在滞在中のゲストハウス、22人まで収容可能のなかなか巨大な建物だ。それぞれの部屋はそれなりに広いし、一番上の事務所長の部屋なんて、独自のキッチンやバルコニーまでついている。ここの周りには、大きな建物なんてほとんどないから、とても目立つ。保安上あまり目立つのはよろしくないのに、どうしてこの建物にしたのだろうかと、常々思っている。どうでもいいことだが、私はこの建物を密かに「バビルの塔」と呼んでいる。

さて、そんな巨大な建物内に現在5人しかいない。明日はさらに2人抜けるので総勢3人となる。1人抜け2人抜け、休暇や出張等、理由はそれぞれあるけど普段の20%程度の職員しかいない。こんなに一度にいなくなるのは、クリスマスやラマダーンの時はあるけど、中途半端な10月下旬としては珍しい。

職員がいなくなれば、当然その間の事務所は、序列順に頭がすげ替わる。事務所長代行は、そこにいる国際職員の上から順番におりてくる。国際職員全員がいなくなることはないので、地元の職員が事務所長を代行することはない。ただ、課レベルになるとそうは言っていられない。私のUNHASにおいては、常に国際職員がいるようにしている稀な課だから、長の役割は地元職員にまわることはない。

話は少しそれるが、本当は、長の役割を地元職員にやらせたいと思っている。国際職員抜きでUNHASを回せないだろうかと考えているが、今のところ職員の能力不足、自覚不足で実現には至っていない。

組織上、国際職員は、Fixed Term、Short Term、Consultant、UNV等に分かれる(実はもう少し種類があるがここでは割愛)。そして、その下には地元職員のピラミッドが形成されている。地位的に低いことが、能力の明確な上下を表すものではないことは、組織で働く者にとっては明白の事実。できる部下、とんでもない上司が存在するのはどこでも同じだと思う。もちろん、地位が生む責任感やいわゆる「地位が人を作る」的要素は否定しないが、良い意味でも悪い意味でも驚く人材が存在する。

さて、今日は何を言いたいかというと、そうは言っても・・・なのである。

これは、なにから来るものだろうか。イスラム的発想からなのだろうか。アラビア全般に言えることなのか。それとも人間として皆が共有する思考構造なのだろうか。

どうやら、ここでは権力を握ると、その権力者は突然業務のやり方を変えたがる。前年度続行的な反省を踏まえず前任者をなぞるだけの仕事のやり方は、地位ある人としては失格であるが、ここではものの見事に変えようとしてくる。しかも、ビックリするぐらい突然に。

え、なんでそうなるの、という具合に。

自分の担当課の運転手であった者が、何の連絡もなしに、出張に飛ばされたり、違う業務に持っていかれたりする。事前に相談があって、その代りの人員を提供してくれるならいいが、突然人が回されなくなる。様々な業務は、人に仕事を割り振り、権限を分担しながらやっていくものだ。完全におんぶに抱っこはないけど、それなりに責任を共有しているのだ。それが、突然ゼロになる。怒りよりも驚きが先行する。そして、「またかぁ」となる。

人のやり繰りの問題は、この2年間突然やってくる驚きの連続だが、ある程度慣れてしまったし、それへの対応も一応考えている。

しかし、一つどうしてもフォローしようがないことがある。それは、計画を立て、締め切りを決めて、物事を完成させるという長期的工程作業だ。これは、その立案者がそこにいないと、絶対に終わらせられない。断定するのはとても胸が痛むが、地元職員にはできないと言わざるを得ない。

今のように、国際職員の80%がいない状況では、課長クラスはそれぞれの部下にいろんな業務を任してきていると思う。しかし、彼ら地元職員は、日々の仕事を回すのが精いっぱいで、新たな企画や業務に対する実行力と責任感は希薄である。というか、端からないのかもしれない。休暇や出張から戻ってくると、全く何も手が付けられていないことに愕然とする。常に誰かが監督していないと、その手の業務は成し遂げられないのだ。

そして、最近こう考えるようになった。私がやろうとしていることは、持続可能ではないのではないか、と。私がいないと回らないことを求めていては、私がずっとここにいないといけないではないか、と。だから、求めすぎているのか、もっとレベルを落とす(合わせる)べきなのか、と。大きなエンジンが、常に各部に血液を流し続けるのならいい、しかし、2年間という期間がここニアラでの我々国際職員の一般的滞在期間である。自分がいなくなった時点で、滞ってしまう業務であれば、管理職としては考えを改めざるを得ない。

昔自衛隊で「2割の法則」というものを聞いたことがある。100人いたら、20人が実際にその集団を引っ張っている。前20人が抜けたら、また自然と残り80人の中の20%がその集団を引っ張っていくようになる、と。

う〜ん、どうだろう・・・現実はなかなか厳しい
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2011年10月20日

隣町Gereidaへの訪問

先日に引き続いて、今までのダルフール生活をしっかりと自己の体験として記憶するため、駆け足でWFPを含めた国際人道支援全般の業務を見学している。今回は、隣町Gereidaにヘリコプターでやってきて、食糧配給の現場を見に来た。


Gereida
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これまでここGereidaには幾度となく足を運んできたが、そのすべては飛行場への訪問に限られ、街中に入っていったことはない。航空機や飛行場使用に関わる地元政府や軍さらには国連平和維持軍との調整だけであり、そもそもいつ何時緊急事態が発生するかもわからないなかで、自分の持ち場であるニアラを離れるわけにはいかない。しかし、新しい人の赴任とテクノロジー(衛星携帯電話)のおかげで、業務は遠隔監視することとし、合計6時間に及ぶこの町への訪問を実行した。


ヘリコプターがGereida飛行場に到着
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車で来るとなると5~6時間はかかる場所だが、ヘリコプターだと25分で来ることができる。もうほとんど終わりだが、それでも雨季のため完全な砂漠ではなく、所々緑が存在している。特に町の中は、人々が木を大切にし、農業をしているのでより緑が存在している。なかなか美しい。ただ、IDPとしてほとんど排水設備もないテントを張っただけのようないわゆるキャンプをしている人々にとっては、そんな自然の雨は生活に不便に違いないのでは、と思う。

この訪問の本当の目的は、アメリカ大使館からの特別代表がダルフールで活動しているPKOと人道支援NGOの訪問見学をするため、WFPが間接的にそれをサポートすることだ。なぜなら、PKOにしろNGOにしろWFPはその活動に絡んでいるし、ちゃんとプレゼンスをアピールしなければならないからだ。そして何よりも訪問者はアメリカだからだ。アメリカの力は巨大だ。ここでの業務のほとんどの最大資金提供者はアメリカで、彼らの方針次第では、仕事があっという間に消えたり、そもそもの活動自体がなくなったりする。

だからもうみんな必死だ。

普段は、だらけた仕事をしているような連中も、時間を守り、きっちりとプレゼンをしていた。車を何台も走らせ、セキュリティをこれ見よがしに増して、小さなGereidaの街を縦横無尽に走り回る。


多くの国連車両が縦列をなす
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そういうドーナーの力が強いという現実は、この業界にいる者にとっては当然の常識。綺麗ごとばかりの夢想家では生き残れないことはわかっているが、実際に見ると、「世のため、人のため、困った人がそこにいるからぁ~」的甘えた思想は当然砕かれる。そうだよね、彼らがお金をくれるんだからね、ってなところだ。

しかし、私にとってはこの機会のおかげで、この町に来ることができている。街中にある施設に行き、食糧配給の現場の見学。これ見よがしに、アメリカと書かれた食糧がきれいに並べられている。わかりやすい!!アメリカが来るというのに、EUと書かれた食糧の袋を並べるわけにはいかないよね。


きれいに並べられグループごとに分けられた食糧
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アメリカさんたちは、食糧配給所の後、医療施設を訪問し、足早に違う訪問地に飛んでいった。私たちは、そこまで付き合う必要はなかったので、この町にある事務所でお昼ご飯を食べ、IDPキャンプを少し散策した。ちゃんとした食事が食べられるのに驚いたのと、とにかく子供たちの多さにはびっくりした。


かわいい子供たち
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ある男性には11人もの子供がいたし、25歳くらいの若い男性にも3人くらいの子供がいた。まだまだ作ると言っているし、子供が多いことが彼らの男としての自慢のようだ。子供はかわいく彼らに何の罪もないが、この状況はあまりよろしくないのではないだろうか。教育、食糧、医療そして雇用はどうなるのだろう、そんな後先考えて子づくりしていない。支援するから生命を維持できているが、これにより、さらに支援の必要とする人たちを発生させている。
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2011年10月16日

IDPキャンプ立ち寄り

日曜日のフライトは少ない。だから、勤務時間は昼前後で終了となる。今日は、そんな余裕のある日だったので、時間を工面しニアラの町中にあるIDPキャンプに立ち寄った。IDP(国内避難民)とは、政治的な迫害、武力紛争、さらには自然災害などによって、自分の元々いた住処を追われて非難した人たちを指す。

今、このIDPの人たちが、本当にIDPであるのかということを確かめる作業をしている。自分は、IDPだ、社会的弱者だ、と偽って私たちの組織から食糧をくすね取っている輩がいるのを排除するためだ。今のところ、ある程度の割合でこういった偽と判断とされる家族や人たちが出てきている。今後の食糧配給活動は、この判断を基礎として行われる予定であるが、これにより効率的に困っている人に焦点を当てることができる。

私の仕事は、航空業務の管理であるため、こんな風にキャンプに来ることはない。事務所、空港、政府機関の役所あたりが行動範囲だが、いつもこのようなWFPの本来業務に顔を出したいと願っていた。時間はとてもかかってしまったが、何とかこの町を去るまでに見るというだけでも経験することができた。国家警察や軍事諜報局の人たちがパトロールしているので、観光客のようにパシャパシャと写真を撮れないが、数枚撮ってきた写真をお見せする。

まずは、この確認作業をする現場の写真。これは、東日本大震災の時に岩手県で設営したタイプの移動式簡易倉庫だ。これも変化球的使用法であって、本来は食料保管庫であるが、この様にIDPを集めて確認作業をする場としても活用される。隣には、簡易トイレを持ってきたり、水道水を確保したり、アンテナを立てモバイル式でネットにつなげる環境を整えていたりする。もちろん外には、発電機が設置され、蒸し暑くなる内部には扇風機などが置いてあり、なかなか快適なものである。さすがWFPだと誇らしく思う。
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スタッフは、IDPと識別するため専用のTシャツを着ている。といっても、このTシャツを着ている人すべてが職員というわけではなく、このためだけに働いている人もいる。採用は、IDPの人たちの中からも行われたらしく、なかなか管理が大変だろうなぁと思う。しかし、みんななかなかよく働いている印象を持った。
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識別を受けているとある家族。さて、彼らはIDPと認識されるのであろうか。適当に他の家族から借りてきた自称家族はいないか、質問を投げかける。怪しい答えが返ってくると、IDPとして登録されず、これにより食糧は配給されない。自分の生活が懸かっているのだから、ドキドキだろうなぁ。
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テントの外には、お茶屋さんも呼ばれている。ここでは、コーヒーやお茶がふるまわれる。他の職員がいたので、私も呼ばれ中に座ると、頼みもしないのに、トルコ式コーヒーが出てきた。残念ながらあまりおいしいものではなかったが、振る舞ってくれた女性の笑顔は素敵だった。ただ、カメラを向けると、彼らスーダン人は基本的に全く笑ってくれない。なぜか硬直する。おかしなほど真面目なのだ。
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2011年10月09日

閉じこもりきりの生活

ここ南ダルフール州のニアラに赴任して2年経とうとしている。近頃はもっぱら次の赴任先であるローマの下調べをして時間を過ごしているが、それ以外は特にすることがなく、本を読んだり、ネット閲覧したりのインドア生活だ。ダルフールは未だ紛争地の扱いで、ここへ渡航してくることは、治安の問題から、国連職員やNGO職員でもない限り困難な場所だ(そもそもこんな所にそれ以外の目的で来る意味がない)。そのため、徒歩での外出は一切禁止で事務所まではわずか500メートルほどの距離なのに、シャトルバスでの移動。しかも、門限は夕方5時と決められているので、監獄にいるような閉じ込められた暮らしぶりだと言える。

日々の生活は、宿泊先のゲストハウスと事務所の往復、幸いなことに、私の仕事では空港へ行くこともあるから、まだ辛うじてマシな方だと思う。昼ご飯を買いに、近くのレストランに行くこともあるが、なるべくなら自分で行きたくない。それよりもドライバーに買いに行かせることのほうが多い。仕事が忙しくて時間が取れないわけでもなく、治安状況が心配だからでもなく、その他の理由で行かないのだ。

スーダン人には、列に並んで待つなんてお行儀のいい習慣はない。たかがサンドイッチを買うだけでも、割り込んでくる人をブロックしながら、注文を受ける人の眼前に紙幣を掲げ、かなり強引な態度で注文しないとほかの人たちに先を越される。これにはやたらと疲れる。それに、正直なところ、料理を作っているところをあまり見たくない。見ると、とても不衛生に思えてしまい、食欲が一気に減退する。発展途上国での生活は、このスーダンが初めてではなく、自分自身では慣れている身と思っているが、こういうのは、長期滞在するとボディーブローのように効いてきて、かなり疲弊する。

教育をきちんと受けていないし、そういう習慣ではないのだから、「郷に入れば郷に従え」的感覚で、生きていくしかない。それに人々も悪気があってそのような行動をとっているのではない。まだ来たばかりの人は、これくらいなら大丈夫、という。私もそうだった、1年ほど前までは。でも、半年を過ぎ、1年を過ぎてくると、これは本当に精神衛生上よくない。なるべく、自分から地雷原には近寄らないようにしている。「はぁ」と溜息がでて、嫌な気分になるからだ。人々の習慣は、そんな簡単に変えることはできないし、みんながそうであるから、自分もそう行動するのだ。

治安が良くて、もう少し自由があって、休日なんかには市場などをブラブラできたら、どれほどここでの生活は楽になるだろうと思う。おそらく、アジア人の私は、街を徘徊していても、危険はないものと思うけど、国連職員であるため、UNDSSという治安を扱う機関の出す規則にはやはり従わなければならない。この安全規則を破ってまで、散歩するほどの魅力は残念ながらないし、少しでもリスクがあるなら安全パイを取るべきだ。しかし、こうインドアだと活力がそもそもわかないし、はっきり言って、このニアラという町を知る機会が皆無なのだ。

これまでの人生で、異国の土地に長期滞在しておきながら、これほど知らない街はない。そういう点においては、とても貴重な体験だがこんなことは繰り返すべきことでもないし、ましてや人には勧められない。この想いは、ここに実際に長期滞在した人でないと共有できない。家族に話したところで、大変ねぇ、可愛そうに、大丈夫、くらいの返答しかないから、近頃は話さなくなってきている。

ダルフールについてのネタが乏しいのは、この地でブログを続けている私自身、ツライところだ。しかし、これほど活動が制限されていては、致し方ない。人生山あり、谷あり。昔、部活の顧問が言っていた言葉を思い出す。「止まない雨はない」、「終わりのない坂はない」。これが雨であり、間もなく晴れるだろうことはわかっているが、その晴れを万感の思いで、共有できる人はおそらく家族にもいない。

ここは、出稼ぎ労働者の集う土地なのだ。そして、働く場は、マグロ漁船のような広い場でありながらも閉じ込められた空間なのだ。そんな比喩表現がぴったりだと思う。まもなく、私のお勤めは終焉となり、ようやく娑婆に解放されるが、この残日数のカウントダウンがとてもじれったい。
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2011年10月02日

Wrap up

ブログの更新は久しぶりすぎて、何から書けばいいのか考えてしまいます。こういうものは、自分のモチベーションを維持するうえでも、文章力や状況分析能力を維持するうえでも、あまり間隔を空けることなく続けるのがいいのでしょう。

さて、僕は1か月以上もの日本での休暇を終え、ここダルフールに戻ってきています。休暇はあっという間に過ぎてしまいました。赤ちゃんとの生活は、彼が中心で、思うように自分のことができませんが、とっても楽しい時間でした。自分でも驚くほど。そして、一人こうして地球の反対側に来て、スカイプでの映像しか見られないのはとても寂しい思いです。

しかし、こんな状況ももう終わりに近づいています。およそ2年間のダルフールでの勤務、途中、震災支援で4か月ほどこの地を空けましたが、残すところ1か月と少しです。

人事部からの書類にサインするまでは、何が起こるか分からない、というのが国連機関の恐ろしいところではありますが、送り出す側、受け入れ側の上司が納得しているし、組織内のイントラネットでの発表もされているのでほぼ間違いないのでしょう。僕の転勤先は、本部のあるローマに決まっています。11月中旬あたりに移動なので、もう日本に帰ることの出来る休暇は取れませんが、ここ砂漠の真ん中でネットにつなげながら、ローマ生活の情報収集に勤しんでいます。

どの職場でもそうでしょうが、本部に行ってこそ、人脈や組織内の知識が形成されるものだと思います。そして、本部だからこそ、対外的な行動もとれるのだと思います。何をしたいかというアイデアは、山のようにありますが、まずは、家族で暮らすことの出来る住居を探し、街に慣れ、言語を覚え、土地勘を身に付けてからの話だと思っています。

転勤先を獲得するにあたって、紆余曲折がありましたが、なによりも言えることは、欲しいもの、したいことは、はっきりと主張することが重要だということです。そして、真の状況を見極める動物的勘を持つことです。それにやっぱり、日ごろから何でも相談できる友人を組織内に作っておくことだと思います。様々な人の、ねたみ、嫉妬、駆け引きが横行するのが、この組織です。敵を作ることはいただけませんが、時には強く出る必要もあるのです。

WFPには、過酷な勤務地も多いことから、職員にはローテーションがあります。ここ南ダルフールのニアラは、2年間で交代することが前提とされています。状況によっては、1年で去る人、3年以上居続ける人、それぞれありますが、僕の場合はきっちりと2年で撤収できそうです。

地元スタッフととても仲良くなりました。勤務時間、休日、そんなものは関係なく、いろんなサポートをしてくれます。そして、王様のように扱ってくれます。時々思います。ここでの生活は、ある意味日本より楽なのではないか、と。でも、ずっとは暮らせない。ただ、去るにあたって、やっぱりそれはそれで寂しい。

残りの日数、僕ができるのは、在籍するスタッフの昇進や雇用をどれだけ守れるかということです。守れないのであれば、他の職場や企業へ推薦状を作成し、彼らの生活を支える手伝いをしたいということです。国連機関には、その根本の設立目的はあるにしても、フィールドでのプレゼンスにおいて、雇用を作り出すことによって、地域社会の安定を勝ち取るという側面があるのです。それは、出ていくまでにきっちりとやっておきたいと思います。
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2011年07月27日

これまでの生活の反省

時間は限りあるもの。こんな砂漠の真ん中のような辺境の地で、治安の悪さによって宿泊先に閉じ込められており、時間だけはたっぷりあると感じています。ここにいる人の嘆きは、することがなくて、時間ばかりがあって、退屈でしんどい、というものです。

でも、振り返ってみれば、僕がこの地に赴任してきてから、早いもので1年と8ヶ月が経とうとしています。これだけの時間を、ただただ早く過ぎて欲しいと願いながら、日々を過ごすというのはとても不幸で、もったいなく思います。日本の震災復興支援で、実際は4か月ほどこの地を空けていたので、それを除いても1年4か月ですが、さて、僕はこの間何を成し遂げたのでありましょうか。

アラビア語は上達したのでしょうか。

スーダン特にダルフールの歴史、政治的背景、国の状況は理解しているのでしょうか。

その他の勉強はどうでしょうか。

仕事はいいのです。仕事はもう十分理解をしています。ここでやれることは、もうないように思います。あとは、次の勤務地で新しいことを学ぶよりほかないと思っています。

ここに2年近くいて、人に何か語れるものがあるのでしょうか。アラビア語はあきらめたし、勉強もちょっと停滞中です。そうなのです、なんだかんだと言って、思ったように赴任前に考えていた目標が達成できていないのです。そのため、これはいかんと思って、今さらながらスーダンのことを学ぼうと、いろんな本を読んでいます。

スーダンの旅行ガイドブックを他の職員の部屋で見つけたので、まずは概要から始め、ダルフールの人種について調べたり、戦争の起きた背景や真の原因を探したり、コーランの再読をしたりしています。知っているつもりになっていただけで、実は知らないことがいっぱいありました。

転勤は、おそらく今年度中にあると思います。それまでに、スーダンのこと、人に聞かれても、それなりに過去と現状の説明ができ、自分の考えを持てるようになっておきたいと思います。砂漠があります、戦争がありました、人道危機です、南は独立しました、だけでは恥ずかしい。
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2011年07月15日

世界の果てから 第1報

2日前、良くも悪くも、南ダルフールの州都ニアラに戻ってきました。相変わらずの砂だらけの街、そして、ロバがヒヒーンと鳴き、壊れかけの車がガタガタと走っている風景が広がっています。心なしか、新しい建物が増えた気がしますが、基本的には以前と変わりありません。

ここに戻ってきて2日間、現状を知り愕然としています。何も変わってなさすぎる。3月末に離れた時に問題になっていたことを、未だ話し合っているのです。そして、事務処理も滞ったままです。

僕の後釜となった同僚は書類仕事が苦手なことぐらいわかっていましたが、ここまで出来ていないとは想像していませんでした。搭乗員たちは、未だ壊れかけ寸前の住居で暮らしているし、4月に完成予定だった新しい宿舎は、未だ工事が続いています。あと2週間と言われましたが、その言葉、僕が出ていく3月末にも聞いた言葉なんですよね。

ここの人たちの時間感覚は無いに等しい。

改めて、日本の復興の速さと納期を守ろうとする固い意志と努力に敬意を感じずにはいられません。日本の職人さんが、あの宿舎建ててくれないかなぁ。。。

面倒な後始末がたくさん残っています。しかし、僕自身もそろそろ転勤の時期なので、正直言って、そんなに意欲に燃えているわけではありません。これが、こういう組織の性ですね。離れていく人は、今のことよりも次のことを考え始めるものです。

今日は金曜日。こちらの休日なので、洗濯をしました。夏に日本にいたのは久しぶりだったので、今流行のクールビズ、半袖シャツを購入してきました。ここダルフールでもなかなか調子のいい服です。さすがに、湿度が低いため、あっという間に乾きます。

久しぶりのダルフール写真。現在の住まいの屋上から。
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2011年01月28日

ダルフールで迎えた35歳の誕生日

昨日、35歳の誕生日を迎えました。多くの人が形式的であったとしても、お祝いの言葉をくれ、なかなか嬉しい思いでした。そして、あるNGOの職員からお昼ご飯に誘われて、美味しいご飯をごちそうになりました。

ここダルフールに来て、2年目に入りますが、昨年の誕生日は都合よく、日本に帰国していたので、母と、妻と、妻のお母さんと4人で食事をしたのを覚えています。今回もそういったみんなで食事をするという機会に恵まれ、よかったと思います。

そして、とうとう昨日から、一時避難していたWFPのゲストハウスを離れ、元のパイロットたちが住むクルーハウスに戻ってくることができました。ここには、自分の部屋があり、自分のダルフールでの生活の全てがあるので、ここに戻ってくることができたのは、何よりの贈り物です。2週間近く、避難していたために、部屋にはうっすらと砂がかかっていましたが(砂漠気候なので)、バタバタと荷物を元の場所に戻していました。

ただ、そんな嬉しいことばかりではなくて、久しぶりにがっかりすることがあったのです。仕事上で、部下とのコミュニケーションで不具合が発生しました。

一番といっていいほど信頼していた部下の行動が全く理解できなかったのです。ニアラの周辺では、昨晩からやや激しい戦闘が始まっていました。市内は全く影響がないにしても、ニアラから出発する飛行機は全て、軍事諜報局によって、待機させられていました。

しかし、1本だけどうしても、飛ばしたい飛行機があって、ずっと掛け合っていたのです。これには、僕だけではなく、もっと上の人や、本部ローマの業務も関係する大事な飛行作業で、皆がやきもきしていました。そのため、ずっと電話やメールで、状況報告をしていました。

午後2時ごろになって、部下が突然、「許可が下りたから、もう出発させた」と、連絡してきました。仕事には報告、連絡、相談という基本があります。それを全くやらずに、勝手に出発させてしまったのです。行為そのものはいいことなのかもしれませんが、それを彼に言うと、今度は声を荒げて、僕の許可を取らず、飛行機と交信を取り、空港に戻してしまったのです。

これには、あきれました。

仕事での責任感よりも、個人の感情が勝るのです。その時は、彼に何を言っても制御不能でした。

これは発展途上国の教育水準の低いところの特徴なのかもしれませんが、個人的感情が多分に仕事に影響を与えます。これだから、ここでの仕事は疲れます。

仕方がないので、もう一度空港まで行き、自分で何とか調整しなおして、出発させました。2度目の出発で許可が下りるのか、とても冷や冷やしましたが、なんとか許してくれて、事なきを得ました。今回の事件は、結果オーライで、なんとか僕で止めることのできる事象ですが、何か事故でも起きていたらと思うと、すごく考えさせられます。

フィールドの勤務は、業務の難しさではなく、いろんな積み重なる環境の厳しさにあります。自分一人では、結局業務を回せないので、いろんな人の力を借ります。そして、その中で、幸か不幸か人は、この人は使える、この人はここまでしかできないという判断を下します。

その点で、彼は一番の部下だったのです。それが、見事に裏切られ、なんとも表現しようもありません。どこの世界も同じようなものだと思いますが、あまり過剰な期待、それ自体が駄目なことなのかもしれませんね。

疲れる日でした。総じて、良い日でしたが、あの一つの大きなマイナスが心に響きます。
posted by atsushi at 17:53| Comment(2) | スーダン生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月11日

搭乗員の解放

ブログを1か月近く更新してきませんでしたが、今日までいろいろな事件がありました。まずは、このブログに更新されていないにもかかわらず訪れてくださった方々、ありがとうございました。そして、もう少し頻繁に更新できるように、これからは気を配るつもりです。

さて、まずはなによりもいいニュースがありました。35日間囚われの身になっていた搭乗員3人が戻ってきました。彼らは、誘拐した武装グループから、自力で脱出を成功させ、山の中を飲まず食わず2日間さまよった挙句、丘の上から携帯電話の電波を拾い、僕の携帯に電話をかけてくれたのです。

声は途切れ途切れで、電波は極端に弱く、聞き取るのがとても難しかったのですが、GPSによる緯度経度を、電話で伝えてくれました。何度も数字を繰り返し、正確な居場所を確認し、ヘリを要請してきました。頭の中では、どうして彼らが携帯電話を持っているのか、どのようにGPSを奪って逃げることができたのか、疑問が残りましたが、確かにコパイロットの声でした。

それからは、もうバタバタで、各地と調整を図り、ヘリの手続きを取りました。結局3時間も時間を要し、ようやく離陸させることに成功し、そのポイントまで飛行をし、無事彼らを発見し、ニアラに戻ってきました。

映画のような夢のような出来事でした。ニアラ空港に着いた彼らの姿、1か月間も栄養を十分に取ってこなかったため、やせ細り、ひどい顔つきでした。そして、精神的には随分参っていて、いろいろな手当てが必要な状態でした。医療的なチェック、精神分析等々を済ませると、ここの地元政府の役人達が彼らへの尋問のため、事務所に連れて行ってしまいました。

そして、ようやく夜の11時過ぎ、その作業は終わり、元いたゲストハウスに戻り、彼らの戻りを祝うロシア式の宴会が始まりました。しかし、本当にタフな人たちです。そのまま、いろいろなことを語りながら、2時近くまで飲みました。僕は、朝早くから、特別機の手配などで忙しいため、それからは部屋に戻りましたが、とにかく戻ってきてくれて嬉しかったです。

翌日の朝の便で、彼らと医師団がハルツームへ向かいました。その後は、ハルツームでみんなに迎えられ、母国ラトビアへとその日の晩に飛び立ちました。家族は、1か月以上も彼らの安否を心配し、とても大変な日々を過ごしたと思います。ただ、クリスマス、年末を家族とともに過ごせることが可能になったことが何より素晴らしいこととなりました。

僕の仕事は、彼らとは異なり、終わることなくまだまだ続きますが、今後とも安全には気を配り、無事に仕事を終え、年末は家に帰りたいものです。しかし、35日間も、自分の命を投げ出すことなく、頑張り続けた彼らには敬意を表します。本当によくやってくれました。
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2010年11月17日

久しぶりの休み「イード・ル・アドハー」に感謝

イスラム教には二つの大きな祝日があります。

一つは、断食(ラマダーン)が終わったあとにある「イード・ル・フィトル」という、断食を最後まで耐えたことを祝う日。

そして、二つ目は、現在皆が祝っている「イード・ル・アドハー」です。これは、大集会のハッジ(大巡礼)を終了したあとで行う犠牲祭を祝う日です。

僕の仕事にとって、2日連続で休みがあるというのは、今までほとんど無かったことですが、これにより、ここ数日の激務から少し解放されます。前回のブログで書いたように、搭乗員が誘拐されてからというもの、いろいろなことが起きて、しかもここの治安情勢も悪化したので、目の回るような毎日でした。2日前などは、電話が続けざまにかかってきて、メールを書く時間もありませんでした。

誘拐に関しては、いろいろな方面から多くの質問を日々受けます。しかし、僕が出来ることは、とても限られていて、解放につながるような交渉事や調査は、特別に設立された緊急対策室が取り仕切っています。そのため、情報をただ待っているだけの状況で、不甲斐ないですが、安全に戻ってこられることをただ祈っているだけです。

雨期が終われば、道路事情も改善され、武装集団は活動しやすくなります。これと、誘拐が関係しているのかは不明ですが、ニアラの西で戦闘が激しくなっているのは本当のようです。それにより、日帰りでフィールドを訪問した人が1週間現地で閉じ込められたり、本来ならば既に休暇に入っていなければならない人が身動きの取れない状況になっていたりと、多くの悪影響が出てきていました。そのため、いろんなフライトの要求が僕のもとにもたらされながらも、地元政府の反対にあい、なかなかフライトを実現できないという、とても大変な思いをしていました。

そして、僕の休暇も取り消されてしまったのです。楽しみにしていた嫁とのバンコク旅行でしたが、この状況からして、僕がいなくなるのは駄目なようでした。もう一人の同僚がいるのですが、彼はまだ信頼されていないからです。そういう点で、重要な立ち位置にあるというのは、喜ばしいことではありますが、疲れてしまいます。

3、4日前は本当にどうなることかと、悩みましたが、今日の休みのおかげと、明日も休みだという思いで、かなり精神的に楽になりました。今日の午後は、僕の運転手が、この「イード・ル・アドハー」という祝日のために家に招いてくれ、食事をごちそうしてくれました。これはその時の写真です。もう、時間もなくて疲れており、髪はボサボサです。散髪がしたい。。。

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2010年10月03日

政府役人と地元民の関係

先週1週間は、とても忙しく大変な日々を過ごしていました。僕が不在にしていた時期に、僕の仕事を代わってしてくれていた人が、問題を残して去ってしまったからです。

その問題を解決するため、ものすごい労力が必要で毎日ヘトヘトになっていました。

現在、僕の部署には、国際職員は僕一人で、先日転勤してしまった南アフリカ人の同僚の穴を埋めてくれる新しい人はまだ来ていません。そのため、僕の不在中、隣町(といっても飛行機で約1時間)から応援で人が来てくれました。

僕の部署は、事務手続き上、国際職員無しでは、業務を回してはいけません。ここは、NGOと異なる部分です。NGOには、もちろん機関によると思いますが、そのような取り決めはないように思います。今現在、南ダルフールに滞在しているNGOのほとんどは、ここの保安・安全上の問題により、地元スタッフだけで業務を回しています。しかし、国連機関はそういうわけにはいきません。

別にいなくても業務は出来るのですが、旧合資会社のように有限責任社員と無限責任社員に分けられており、地元スタッフには、それほど大きな権限がない代わりに、有限責任社員のように大きな責任からは免れています。

とにかく事は、その応援で来てくれていた人が、ここ地元政府の厄介な役人に根負けしてしまい、面倒な約束を締結してしまったのです。そして、地元スタッフは、その役人が怖いので、やってはいけない事と知っておきながら、陰でその役人の要望を聞いていたのです。

スーダンという国も、中国のように一党独裁で、完全に政府がコントロールしている管理社会です。そして、その政府が後押しをして発生した悲劇が、ダルフールの大量虐殺です。だから、政府の役人に怯えるのも理解が出来ます。国際職員は、別ですが、地元民にしたら、とても恐ろしい存在なのです。だから、事の原因は、その応援で来てくれた人の浅はかな思考もさることながら、それを促進していた地元スタッフにあるのです。

さて、その締結してしまった約束とは、書類手続きを一段階増やすことでした。業務上、日々必要なその書類手続きにもう一段階の手続きを加える事は、さして面倒なことではありません。ただ、そういった手続きを独自の判断だけで、締結できないのが、国連機関をはじめとする官僚機構の難しいところです。業務方法を変更したければ、その理由をもとに、それ相応の段階を踏まなければいけないのです。

そんな、「はい、そうですか」と次の日から変更できるものではありません。その約束を白紙に戻し、理由を吟味し、上層部と調整をして、段階を踏みます。ただ、これは、その手続きに有効性がある場合だけです。彼がしたその約束は、全くもって意味のない、ただ地元役人のエゴを埋め、権限を増強させるだけの手続きなのです。

だから、権限をなるべく多く獲得したいその人との交渉は、いろんな亀裂を生みました。1日フライトをキャンセルしてしまい、今日は2時間半も遅らせてしまいました。しかし、ようやく今日、事態は収拾に向かってくれました。いろんな上層部の人の干渉により、ようやく彼が折れてくれたのです。

こういうトラブルが起きると、人間の本質がさらけ出されます。

エラそうにしている人でも、不測自体にはとても慌てて、バタバタしてしまう人。ちょっとした人の圧力に、簡単に負けてしまう人。普段は、のそりと鈍重なのに、意外にテキパキ動ける人。いろいろいます。そういった人の本質を知る上では、不測の事態は良い座標の役割をしてくれるのです。

まぁ、結果的には、元の状態に戻っただけですが、自分を取り巻く環境を再確認できたので、良い経験になりました。誰がどういう存在なのか、とても良くわかりました。仲良く、和気あいあいというだけでは、成長しません。時には、喧嘩をする覚悟が必要です。しかし、喧嘩は勝つだけが全てではなく、うまく利益に結びつけないといけないのです。
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2010年09月09日

ラマダーン終了!!

とうとうラマダーン(1ヶ月の断食)が終了します。昨日の夕方に連絡が回ってきて、今日で終了だそうです。始まりと終わりの決定は、誰かが月の満ち欠けを見て判断するそうです。おそらく権威のあるイスラム教の人が、月を見てフムフム言っているのでしょう。

日常の生活では、僕たちと同じソラーカレンダー(太陽暦)を使用して生活をしていますが、イスラム教の慣習文化は、ルナカレンダー(太陰暦)を使用しています。そのため、国家の祝日をはじめとする決まり事は、月の動きを参考にしているようです。これは、少し東洋文化にも含まれている要素なので、身近に感じることができます。

ただ、やはり月の満ち欠けは、とても微妙に変化していくので、これだ、と決めるには、その人の個人的意見が入るそうです。「もう満月ですよ。」「いやまだまだ。」なんて、お腹を減らしながら言っているのが目に浮かびます。やっぱりメッカの人が決めるのでしょうか。スーダンだけ終わりってことではないですから。イスラム国家全てが一斉に始まり、一斉に終わりを迎えます。

僕の職員は、昨日で終わることを願っていましたが、もう一日延期になり、多少がっかりしていることでしょう。既に、今日フライトがないことを決めていたので、僕の部署は今日、休養日になっていますが、他の部署の人達はしっかりと勤務日です。その代わりに、日曜日も休みになり、3連休となります。

ラマダーンが終わると、Eid Al-Fitrという食べまくる休日です。みんな、これまでの1ヶ月の苦しみを乗り越えたご褒美に食べまくることでしょう。お酒はこの国では飲めないですが、家族や友達と集まって食事を楽しむのでしょう。しかし、この国は、何も無ければ本当に平和な良い国になれるのに。家族や友達を大切にする習慣は、日本よりはるかに上回っています。

久しぶりに撮った僕のバルコニーからの写真です。雨期なだけあって緑が多くなっているでしょう。朝は、いつも日の出をここから見ています。食は貧しく、酒も無く、娯楽は皆無、しかし、こういう景色をどれだけの人が味わっているのでしょうか。豊かさの基準は、千差万別です。

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posted by atsushi at 21:23| Comment(0) | スーダン生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月29日

家族の訪問

スーダンにやってくる日本人はとても限られています。ましてや、ここダルフールともなれば、国際機関やNGOで働いてでもいない限り入ってくる目的がありません。そして、実際はスーダン政府が拒否するので、入ってくることができません。

しかし、実は僕の親戚が昨日までここニアラに滞在しておりました。その方は、僕の妻のおじさんなのですが、研究職に就いておられる方で、この地域に興味があり、日本からやってこられました。東京のスーダン大使館では、特に渡航を禁止されたりすることはなかったようですが、現地は少し様子が違いました。

スーダン入国の数日前から、ここニアラの政府関係者にどうすれば、僕の親戚がハルツームからダルフールに入ることができるのかを聞いておりました。最初の頃は、何もなくて大丈夫との話だったのですが、結局は許可証を取る必要があるということで落ち着きました。

首都ハルツームまでは、日本から普通に観光ビザが取れます。しかし、ダルフールの名称を出した時点で、招待者が必要になるようです。現地でのホストがない人は、ビザがおりないのでしょう。そして、その観光ビザだけでは不十分で、首都ハルツームに着いてから、いくつかの政府機関を訪ね、許可証を完成させなければなりません。

僕は、この手の許可証というやつをここスーダンに来てたくさん取りました。書類には、やたらとスタンプを押し、サインをし、元の文章が読めなくなるくらいまで、他人の手を回ってきたら、書類は完成します。そして、ここの事務作業員はとても気分屋さんなので時間がかかります。今は、ラマダーンなので、みんなお腹が減っていて疲れているので作業は遅いことでしょう。しかし、そうでなくとも、ファトゥール(食事)を摂ったりして、人が不在の時が多々あります。

とにかく、おじさんは2日間で許可証を手にし、ここニアラにやってきました。僕の生活には現在門限があります。5時が門限です。地元の人達はまだ外を歩いていますが、WFPが国際職員にこの門限を設定しました。おかげで、まだお昼のように明るいというのに、ゲストハウスに閉じこもりです。

まぁ、そんなふうに時間の制限のある中でも、2日間でこの街を結構案内できたと思います。元々観光できる所など無い街ですから。しかし、家族が訪ねてきてくれるというのは、嬉しいものです。面白い話をいっぱい聞くことができて、とても楽しい2日間でした。そして、この町にも国連関係者でなくともやって来ることが出来るということが判明しました。
posted by atsushi at 04:21| Comment(0) | スーダン生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月13日

ニアラ生活再開

ここスーダンに戻ってきて、早いものでもう1週間が経ちました。2週間半に及ぶギリシアの新婚旅行はあっという間に終わってしまい、またこの乾燥しているアフリカの大地で勤務を再開しました。

さすがにこれだけ休んでいると、その間いろいろなことが起こっているものです。この部署を任されている身としては、休んでいる間に起こったこともそれなりに把握しておく必要があります。この1週間は、日々の業務はある程度適当に、それよりも、過去の出来事を確認しているという感じでした。全く新しい出来事もたくさん起こっていました。

どんな仕事にも、検査や点検というものがつきものです。私のUNHAS業務も11月に大きな監査がやってきます。そのため、本部ハルツームからいろいろな書類や報告書の提出を求められます。今まで求められたことがないようなデータまで、求められます。段取りが悪いなぁと思うことが多々ありますが、何か新しいことを始めようとすると、思いもよらない問題が上がってくることは考えられることです。

昨日から、イスラム国家はラマダーン(断食)に入りました。これは、日中お日様の照っている時だけ、飲食、喫煙などが出来なくなります。この目的は、断食をすることにより、貧しい人達の暮らしぶりを、我が身を持って体験するというところにあるそうで、イスラムの人達にとって、宗教上とても大切な1ヶ月なのです。

この暑い中、職員は水一滴たりとも口にしません。そして、なるべくエネルギーを蓄えておくために、あまり動こうとしません。仕事の能率を考えると、これ以上の妨げは考えられません。日が沈んだあと、食事をとり、お祈りをし、また食事をとるため、夜の生活は結構忙しく、睡眠不足でもあります。事務所に着いて職員の顔を見ると、もう既にかなり疲れているのです。

宗教の行事や決まり事における善し悪しは別として、一緒に仕事をしていく者としてこれは考えさせられます。ラマダーンの1ヶ月は、勤務時間が1時間短縮されています。それは、なるべく早く職員を休ませるためです。

しかし時として、どうしても働かないと行けない時があります。何か対策を考えないといけません。
posted by atsushi at 21:17| Comment(3) | スーダン生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月05日

ものすごく国際的なダルフール

ここダルフール、そして特に僕の住むニアラの町は国際的な町です。街の人たちは、何千年も昔と同じような暮らしをしていて、英語なんて、とてもじゃないけど話せませんが、この街には世界中のさまざまな国籍の人たちが生活をしています。

日本のどこの街でも、こんなに多国籍な人たちが住んでいる町はないと思います。もちろん、東京は首都だからいろんな人たちがいますが、それは先進国の首都であれば当然のことであって、別に驚くべきことではありません。

ここニアラには、多くの国際機関、国連機関、国際NGOが活動しています。その活動は多岐にわたり、世界中のいろんな人たちがいます。先日国際NGOの会議にゲストとして招かれ、UNHASの日々の業務によって、自分が持ったNGOに対する懸念を発表する機会を頂きました。時間は、30分程度の短いものでしたが、アジア人、西洋人、黒人、全ての人種がいたように思います。

会議は、英語で行われたため、英語圏の人がリードしているかのように思われましたが、多くの英語を第2言語としている人たちもしっかりと自分の意見を言って、がんばっていました。

議題は、スーダンの政治情勢から、財政基盤、軍隊の動き、活動費用、お互いの連絡の取り方など、事細かに話し合われましたが、こうも異なる文化背景を持った人たちが集まって、スムーズに話し合いが行われるものかと感心しました。

やはり、みんなが同じ目的を共有しているからなんですね。また、参加してくれと誘われました。今度はもっとうまく発言できるようになれば良いなぁとおもいます。まぁ、こうやっている間も、日々精進なのです。完璧は無いように思います。

このような国際的な場を、ここにいる間、思う存分楽しんでいきたいと思います。
posted by atsushi at 03:48| Comment(2) | スーダン生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月29日

スーダンの文化 イスラムの文化

一口に文化というとなんだかいろいろ挙げることができそうですが、今日はひとつその断片をお伝えします。

本来ならもう寝る時間(ちょっと眠たい)ですが、仕事から帰ってきてすぐに1時間昼寝をしたのでもう少しがんばります。

この国では、地位というものが無条件で尊敬の対象に値します。どこどこの部署の部長、組織の長、マネージャー肩書きはそれぞれの職業で違うにしても、どの位置に存在しているかで扱いの受け方がまったく異なります。

僕は、ちなみにこのニアラの町のUNHASの部長なので、名前も知らない相手から、ギュッと手を握られて、よろしくとしつこく言われます。そして、僕の同僚で僕とほとんど同じ仕事をしているもう一人の南アフリカ人は軽んじて扱われています。

彼のほうが経験も豊富だし、ここの業務の知識も多いのに、扱いがまったく異なります。

ここでの考え方では、組織や社会での地位が高いほど、全てを決めることができると考えられているようです。たとえば、僕が働いている空港には、少なくとも4つの政府機関が存在します。軍事諜報局、国家安全局、人道調整局、空港事務所、それぞれまったく別の機関であるはずですが、どうやら人事制度は似たようなものらしく、それらのトップは他の組織の2番手や時にはトップに影響を与えることができます。

考えられないことですが、要するに、外務大臣が地方の警察署長に命令できるということです。トップになれば、その権力を思うがままに振るえるのです。

こういう文化であれば、僕のような地位にいれば、当然いろいろな人が挨拶にやってきます。毎日、こいつは誰だ、ってな感じで挨拶しています。

そして、僕の職員も、どの組織のどの地位にいるということにとても敏感で、相手があまり高くない地位にいて、その彼よりも高い地位にいる人を知っていると、全く相手の言うことを聞かなくなります。これは、とても恐ろしい文化です。個人というものを尊敬しないのです。

まぁ、全てを理解しあうことは無理でしょうけど、なんだかいろいろ理解し難い点があるんだなぁと感じます。そういうこともあって、毎日疲れるんですよね。
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2010年04月17日

休日

今日は、WFP UNHASにとっては唯一の休日である金曜日です。土曜日も航空機を運行しているので、ほかの部署は2日ある休日が僕たちだけは、1日しかもらえていません。地元のスタッフたちは、残業手当を申請できるので、それを喜んでもっと働きたいといいますが、こっちとしてはお給料が変わらないから、本当は2日続けて休みがほしい。

お昼少し前、電話がかかってきました。ここニアラについ最近赴任してきた日本人の女の子からです。彼女とは、先日の休暇から戻ってくるときに、たまたま飛行機が一緒で、知り合いになったのです。その彼女から、勤め先の同僚が近々退職するということで、お別れ会を兼ねた昼食会をするからおいでと誘われたのです。

今、本当は、このスーダン全土で一般選挙が行われていて、僕たち国連機関の国際職員は、外出禁止令が出ております。しかし、出ちゃいました。まぁ、買い物行くついでにちょっと寄る程度なら良いだろうと思い、そのパーティをしているゲストハウスを訪ねました。

いいところでした。なんだかとても和やかで、僕が住んでいるところとはまた違う安らぎがありました。台所もきれいだし、みんなが集まる部屋もきれいで、とても居心地がよさそうでした。そこで、お昼ご飯と、ジュースをご馳走になり、ケーキも頂きました。話している内容は、NGOネタが多くてあまりよく分かりませんでしたが、こういう集まりにはこれからも積極的に顔を出していきたいと思います。

NGO職員でも、国連職員でも、この町で勤務する人たちとは、どんどん交流を深めていって、より国際的に働くとはどういうことかということを身を持って体験していきたいと思います。

さて、明日は大事な仕事がひとつ控えています。昨日本当ならするべきことでしたが、すっかり忘れていたのです。まぁ、人間だから忘れることもありますよね。思い出したときにやればいいのです。

では、みんなが働かない明日にがんばって働きますか。
posted by atsushi at 03:46| Comment(0) | スーダン生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月01日

国連の休日

今日は、休日です。日曜日だから当然だと思うかもしれないけど、ここスーダンでは、金曜と土曜がおやすみです。週初めが日曜日だから、普通の人は学校行ったり、仕事したりしています。

でも、僕は今日休みです。スーダンにある国連機関全てが休みなのか、それともダルフールにある機関だけなのか、それはよく分かりませんが、休日に設定されています。現地のカレンダーにあわせて休む場合もあったり、国連にあわせて休む場合もあったり、まぁルールはあるのでしょうが、とりあえず休みが嬉しいため、それを深く知ろうとするよりも休めてラッキーって感じで楽しんでおります。

今、僕が住んでいるこの建物は、航空関係の人が集まって暮らしていますが、僕は、その2階にいます。常に廊下には砂がうっすらと積もっていて、1日掃除をしてくれないと、ドアを閉めているこの部屋の中でさえ砂だらけです。空気に細かい砂が混ざっているので、こうなるのでしょうが、この砂も体内に沢山貯まっていることでしょう。

部屋は随分と居心地が良くなりました。自分用の冷蔵庫も買ったため、好きな時に手の届くところにジュースが冷やされています。ここでのお気に入りは、グァバジュース。ちょっとドロッとした感じはありますが、とても甘くて好きです。気温もどんどん高くなってきているので、もう少しさっぱりと下飲み物がこれからの見たくなるのかもしれませんが、今のところは頻繁にこのジュースを飲んでいます。

話は変わりますが、人事がとうとう動き始めました。ダルフールには、ここニアラを含め、合計3つのハブと言われる町が存在します。エル・ファシールとジェニーナです。そのうちのエル・ファシールの僕と同じような仕事をしている人が違う町へ転勤になりました。その人は、コンサルタントでしたが、次の勤務地では、Fixed Term(正規職員)として勤務することになりました。その穴を埋めるため、僕のここでの同僚が正規職員として移動します。

僕のやっている業務は、コンサルタントでまわしています。しかし、この町に僕が正規職員としやってきてから、ようやく各地でも正規職員として人を採用してきています。元々この動きは、昔からあったようですが、なかなか目に見えるものとして現れないのが国連という組織です。特に、雇用というものに限れば、政治的な要素が多分に絡みなかなかはっきりしないものです。

NYの国連本部でインターンをしていた頃、コンサルタントになれば、半年間の期間を空けてからでないとポストに応募出来ないと聞いていました。条件的に言えば、インターンと変わりがありません。しかし、この専門機関WFPでは、そうではないようです。どういうことなのでしょう。それぞれの専門機関によって、異なるルールを敷いているのでしょうか。

まぁ、いずれにせよ、もっとここでの経験を積めば、自ずと見えて来るものがあるのでしょう。それでは、今日はこれにて。
posted by atsushi at 05:27| Comment(1) | スーダン生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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