2012年08月10日

オリンピック観戦から思うところ

我ながら物事を継続することの難しさを身に染みて感じている今日この頃。ブログの更新や今やってる第二言語の習得、継続させるためには強い意志の力が必要だ。物事を継続できる強い意志さえあれば、この世にあるほとんどのことができると僕は信じている。できないときは、それを自分で諦めるからであって、努力して継続すれば何らかの結果が出ると思っている。

往々にして、人は都合のよい言い訳を見付け自分自身を納得させるのだと思う。とは言っても、生まれ持った才能や体格で結果の決まってしまうものの存在を否定するつもりはないし、そうやって自分で理由付けをして止めることも人生におけるひとつの選択肢だと思う。努力だけじゃなく、周りのどうにもならない環境も影響するわけだろうし、継続させてもらえる環境もありがたいものだと思う。

現在ロンドン・オリンピックが行われている。ここローマではロンドンとはほぼ時差が無いため、日本の方々のように、深夜まで起きていたり早朝に起きたりする必要は無く、毎日日本人選手をテレビにかじりついて応援している。オリンピックでの結果はどうあれ、ここまで辿り着いた選手一人一人、並み並み成らぬ努力を何年にも渡って継続された方たちである。喜びの涙、悔しさの涙、そんな涙を流せられるのはそれだけの思いと努力を積み重ねたからだ。

彼らのそんな素晴らしい輝きを、テレビ越しに見ても、感動のあまりつられて涙が出て、また同時に羨ましく思う。自分は、これまでの人生でこれほどまでに何かに打ち込んだものはあるのだろうかと自己反省し、自分の意志薄弱さを悔いてしまう。そして、いつも学生時代にしていたサッカーを振り返る。もっとできたんじゃないか、自分で止めることを決めてしまったのではないか、と。

スポーツには勝ち負けがつきもので、それゆえの勝者の栄光がある。でも、負けた人たちにも言ってやりたい、僕は君たちも羨ましい、と。何かに本気で取り組まない限り、涙など流せない。

話は少し変わるが、オリンピックにおいて選手たちはそれぞれ自分の国、国旗を背に戦い、勝利後国旗をはためかせ喜びを身体全体で表現している。現在の世の中は、移民政策などを経ていろいろな人種が各地に移動している。フランスやイギリス、アメリカの国旗を持った黒人、アジア人の顔がある。日本選手団にはそんな多様性はないが、西欧諸国は人種の坩堝だ。

同じような人種の3カ国の選手が表彰台に上がる場面を何度か見たが、もともとはそれぞれ同じ国の出身ではないのかと思ってしまった。自分や親の世代が異国に移民しただけではないか、と。特にそれが顕著なのが、アフリカ系黒人が強い陸上競技である。短距離長距離関係なく、同じような顔をした選手と違う国旗が並ぶ。

国際化ってこういうところにも出てくるのだろう。ナショナリズムの高揚と同時に国境という垣根の流動性が融合されている。

日本人女子のレスリングには感動しました。素晴らしい闘志を見せて頂き、感謝です。
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2012年05月14日

守るもの 変わるもの

少し時間が経ってしまったが、5月5日の子供の日、息子の初節句を無事に行うことができた。日本からは、妻の父母がゴールデンウィークの休暇を利用し、息子のための五月人形を抱えここローマを訪ねてくれた。近所の市場で買った魚を焼き、立派な兜を前に、家族揃って息子のすこやかな成長を祝った。こういう行事を通して、日本の伝統や文化を改めて見直し、そして自分自身も親のありがたみを再認識する。

僕は学者ではないから、正確な数字や割合は出せないが、日本は宗教を土台に祝日を制定していない世界でもまれな国だと思う。西欧諸国は、政教分離とうたっていても、必ずキリスト教の教えが軸となってイースターやクリスマスを祝日としているし、アラブ諸国はイスラムの戒律を元に、ラマダン後のイード・アルアドハーなどを祝日としている。日本は、そういった宗教の教えではなく、単に子供の成長を祝ったり、季節の移り変わり(春分、秋分)を祝ったり、憲法制定や建国を国の祝日としている。

そんな違いもある程度認識しながら、息子たちの次の世代に、日本の文化風習はしっかりと受け継いでいきたいと思っている。国際的な仕事をし、世界を動き回るような生活をしていても、自分の基礎となる場所や考え方を持っていることは重要だ。僕も、時々「日本ではこの件では、どんな風にしているの?」といった質問を受けるし、僕だけに限らず日本人職員それぞれが、担当部署で日本を代表する大使的役割を担っているはずだ。こういう環境にいれば、否が応でも自分の国について知っている必要がある。

さて話は少し変わるが、現在のヨーロッパの政治情勢。新たなフランスの大統領として選出されたフランソワ・オーランド氏、フランス建国以来、初めて社会党が政権を取る。また、ユーロ圏での一番の問題児ギリシャは、緊縮財政を反対する国民の声を反映し、連立政権を樹立できないでいる。

日本では、理想的に語られることの多いヨーロッパ連合。しかし、ユーロ通貨危機を発端として、日本でもとうとうこれらの経済協定に疑問を投げかける声が出てきている。新自由主義、グローバル経済からの見直しが声高に叫ばれ、とうとう民主主義および資本主義に修正を加える時期が来ているのだと思う。

世界経済は繋がれば繋がるほど、海千山千の競争相手と戦わなければいけなくなる土壌が広がっていく。これにより、価格低下が訪れ消費者としての自分たちは恩恵を受ける。ただ、人は消費者としての側面だけではなく、生産者であり労働者であるため、雇用を追われる憂き目にあう。ユーロ圏でもラテン系経済圏は深刻で、イタリア、スペイン、ギリシャなどは、失業率20%以上である。若年層に至っては、この数字はもっと高いはずだ。

しかし、こんな事実を前にしてもグローバル経済は既にあるものとして、うまく付き合っていくほか現在の対処法はないように思う。いきなりブロック経済を実行して、自国の雇用や産業を守っていくことなど到底できない。相応の輸出入は、どの国にとっても大切な経済活動の一環だからだ。ヨーロッパは、ある意味実験的な貨幣統一や経済協定を押し進めていって自ら理想郷に挑戦した。しかし、結果としていろんな問題が山積している。僕は、これらの流れを実際にヨーロッパで体験できている現状がとても貴重だと思っている。

日本という国で育った僕には、日本の文化風習を守っていく義務があると自分で思っている。どうしたら、次の世代に良い形でバトンタッチができるのか、最近よく考える。様々なニュースや書籍に接し、これが絶対などというものは本来存在しないのだと思う。でも、守っていきたい物もやはりあると感じている。

大切なのは、思考を止めないことだろう。
posted by atsushi at 05:59| Comment(2) | ひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月07日

子育てから思うところ

ここ数日の思うところを当てもなく記してみたいと思います。子における親の責任、義務とはどういったものなのでしょうか。子育て、とはいったい何を指すのでしょうか。そして、それはいつまで続き、何をもって達成と言えるのでしょう。

それが単なる概念ではなく、事象であるならば、それには始まりがあり、終わりがあると思います。始まりを説明するのは簡単です。それは、子が生まれた時だと思うからです。新しい生を受け、この世に現れてきたときが、親としての子育ての始まりだと思います。

問題は、その終わりです。何を目標に親は子を育てていくのでしょうか。単なる年齢の積み重ねなのでしょうか。20歳、法的に成人と認められるまで育てていくのが子育ての目指すべきところなのでしょうか。僕は、時間ではなく、もっと深いものがあるように思います。

親は、子より一般的にみて先にこの世を去ります。子の将来の先の先まで心配し、それを導いていくことは、統計的にみて不可能です。愛情があるため、心配し、いろいろ助けてあげたい、出来ることなら困難は身代わりとなってあげたいと思うのが親心というものだと思います。しかし、それには時間的限度が、今言った原因を元に存在します。

だから、子育てとは、子供のためを思って、害や悪を取り除き、無事に時間を送らせてあげることではないと思います。それよりも、子が自分の力で考え、自分の力で立ち、自分の力で物事を解決していく能力を身に付けるべく支援をすることだという考えに至ります。

小さく若いうちは、弱く危うく、未熟故の失敗を重ねることでしょう。しかし、目指すべきは自立する心の養成だと思います。親として、子の人生の最後まで、道を照らしてあげることはできない。でも、道を切り開いていく力をつける手助けはできるかもしれない。

子は、親の所有物ではない。一つの独立した生命体であって、誰かの所有ではないと思います。現代社会は、核家族化が進んできており、非常に密で少ない人数で子を養育しているように思います。こうなると、意識として、所有しているという錯覚に陥る恐れがあると思います。

我が子はかわいい、それはわかります。

でも、可愛さ故に、時に過酷な現代社会を、自分の力で切り開いていける力を身に付けさせなければ、と思います。考え方は、いろいろあると思いますが、僕が考える子育ての終着地点は、子の「自主自立」であると思います。

子を僕自身の所有としないためにも、たくさんの人を巻き込んでの子育てをしたいと思っています。親以外の家族であったり、友達であったり、地域などの共同体であったり、多くの助けを得ることが、子育てをする親のためでもあり、結果的に子のためになると思います。

ここまで考えてみると、この考え方はいろんなことに応用できると思います。組織を育てるとき、国を作るとき、そして僕の仕事である人道支援も、やはり目指すべきは「自主自立」の道筋を作ることなのです。
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2011年07月20日

なでしこジャパン おめでとう!

なでしこジャパン おめでとう!

先日、女子ワールドカップのサッカー決勝が行われ、日本のなでしこジャパンがランキング1位の米国を下し、優勝を果たしました。僕は、実際をテレビで見ながら応援することはできませんでしたが、家族に教えてもらうことで結果を知り、そして、翌日のネットニュースやYutubeでじっくりと観戦しました。

結果が分かりながら見るのは、臨場感に欠けるものの、その時の興奮、そして歓声を小さなパソコン画面からバリバリ感じました。先制されたものに追いつき、さらに勝ち越され、また追いつく。ギリギリの試合展開で、同点のままのPK戦、そして、粘り勝ちの勝利。

現実は、ドラマ以上にドラマチックでした。何度も何度も映像を見て、感動に浸っていました。

最近は、あんまりいいニュースを聞きません。政治は低迷し、経済は停滞、日本の社会は自信をどんどん無くしつつある傾向にありました。そんな中、この明るいニュース。

体格差、経験値、選手人口の層、バックアップ体制、全てにおいて米国に劣っていたなでしこジャパンが掴み取った勝利。やればできるんだ、ということを暗かった日本に、なでしこのチームが教えてくれました。

アフリカの辺境の地にいる僕も、この勝利を誇りに思い、職場の仲間に自慢しています。どうだ、日本はすごいだろって。とても気分がいい。これを、Yutubeのお気に入りに入れておいて、気分の沈んだ時に繰り返し見れるようにしよう。そうしたら、元気が出てくるはずだから。

なでしこジャパンのみなさま、おめでとうございます。

そして、ありがとうございます。
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2011年07月06日

被災地への政府対応のまずさ

先日、復興担当大臣に就任した民主党の松本龍氏、わずか9日間という短期間で、辞任に追い込まれた。

僕は、今大阪に戻ってきている。被災地での活動、東京事務所での事務処理を終え、スーダンへと戻る前の数日間の休暇を、ここ地元の大阪で過ごしている。仕事から離れたといえ、すぐに頭の中を空っぽに、休暇を満喫できるわけではない。

いろいろなことのあった3か月間を振り返ったり、今後の仕事のことを考えたり、頭の中は常に仕事で埋め尽くされている。そんな中、このニュースがテレビや新聞で、注目を浴びている。

松本氏が辞任する直前の被災地訪問の様子をテレビで見たが、あの態度と考え方に驚き、そして怒りを覚え、非常に残念な気分になった。

僕は、自治体の職員ではないので、どのように各市町村が国と日々やり取りしていたのかは知る由もない。ただ、すくなくとも、彼らは彼らなりに精一杯活動していた。松本氏の発言が暗に示したように、国が提供者で、市町村民が口を開けて待っているという100%受け身の体制であったことはない。

岩手県の被災地で、様々な人と活動を共にしてきて、それだけは断言できる。彼らの持てる知恵と行動力を結集して、多くの人を支援していたと理解している。そんな自治体一人一人の活動を見て、誇らしく思い、そして日本人の素晴らしさを実感していた。

政府民主党は、あまりに浮世離れしている。松本氏は、もしかするとものすごく優秀な方かも知れない。しかし、人がともに協力して働いている「組織」という仕組みでは、他人に対する尊敬の念と、謙虚な気持ちが必要である。あれでは、反発は免れず、うまくいくものもうまくいかない。

日本の政治家が皆、あれほどの空気読めない感を持っているとは思いたくないが、あまりに残念な人だった。そして、そんなことが公共の電波に流れ、またもや政治への不信感を募らせてしまう。

政治のしていることは、そんなに難しいことなのだろうか。一般人の知識では、とても解けないことに立ち向かっているのであろうか。

今回は、スーダンに戻る前に、新聞社が提供するデジタル新聞への登録をしておいた。日本を離れても、常に日本の情報を獲得できるような状態にしておこうと思ったからだ。今は、ネットで大抵の情報は獲得できるが、新聞を読むことにより、上辺だけの情報でなく、よりよく今後の日本の動向を見ていきたいと思う。

震災をきっかけに始まった日本での活動。自称「国際人」として、アフリカの土地で活動していても、母国とは切っても切れない関係である。今後とも、母国音痴に陥ることなく、しっかりとした情報に触れ、常に考えをもっていかなくてはならない。

ありゃ、少し硬くなってしまったが、本当、民主党さん、もう少し頑張ってくださいよ。まぁ、もう先は長くないのかもしれませんが。

スーダン出発まで、残り4日。
posted by atsushi at 17:04| Comment(2) | ひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月02日

朝のひと言

最近、ブログを更新していなかったので、出勤前の今、ちょっとだけ更新しようと思います。最後に書いた時から、いろんな事件や動きがあったのだけど、ちょっとさぼってしまいました。実は、ブログを更新するくらい、ほんの10分ほどあれば、出来る作業なのに、時にはその10分でさえも面倒に思えてしまいます。忙しいだけが、そう思う理由ではないのですが、いったいなんなのでしょうか。

「ものごとを続ける」とは、本当に難しいものだと思います。

今日も、首都ハルツームからVIPご一行様がこのニアラに来るので、周りではバタバタしております。もちろん、そんなふうにバタバタしている時には、全て最後には航空機の運航に支障を来します。誰々が、10分遅れるだとか、ここに連れて行ってくれだとか、まぁいろいろ面倒で対処の困る注文がきます。

UNHASという部署は、WFPに属していながら、独立採算性を適用している部門です。資金の獲得から、予算の配分、そしてその循環方法などはWFPから独立しています。違う組織のように扱われることしばしばあります。しかしだからといって、他のUNHCRやUNICEFと同じようにUNHASがWFPを扱うかと言えば違います。そこは、やはりWFPの管理下に入っており、その偉いさんがもの申せば、なるべく要望をかなえる方向で検討します。

ということで、一番面倒なお客さんは、WFPなのです。まぁ、いろいろ注文がきます。まぁ、今日もそんな感じで一日が始まりそうです。

さてさて、もう出勤しなくては。それでは、また。
ラベル:VIP WFP un 独立採算
posted by atsushi at 15:07| Comment(0) | ひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月17日

人にものを教えるということ

人にものを教えるということ、すなわちそれは自分が学ぶことだと思います。なんだか、ナゾナゾのような話ですが、ものを教えるという過程において、自分の知識に間違いが無いか再確認するだけでなく、自分の盲点を他人に指摘してもらえる機会を得ることが出来るのです。

僕がものを教える時に大事にしていることは、隙間を作ることです。相手に考えてもらう時間を作って、フィードバックを得ることです。なるべく一方的な論舌は避けて(まぁ、もちろん時にはしますけど、特にイラッときている時)、答えを共同で求めていこうと促します。相手が、自分の話に賛成できたならば、相手は僕の教えたことを記憶しようとする必要なく、自然と身に付くのだと思います。

記憶でこの世の中を渡っていくのはとても難しい。しかし、思考でなら、いろんな場面に対応できると思います。もちろん、思考は記憶によって作られるなんていう人もいますが、日頃から考えることを大切にする精神は持つようにしています。

先週の日曜日から、新しい人がここニアラにやってきました。彼は、アフガニスタン人で、僕の同僚としてこの地で2ヶ月間一緒に働いてくれます。彼の本来の配属先は、南スーダンなのですが、人手不足のため回されてきたのです。あと1週間後には、僕は会議のため、3日間ほどハルツームへ出かけます。その時、彼が一人でこの部署を運営しなくてはいけません。残された期間は、あと1週間。

元々彼は、アフガニスタンで同じ業務をやっていて、ほとんどのことは既に分かっています。でも、だからといって基本的なことを何のおさらいもなしに、ここ特有の核心部分だけ話すということは出来ません。やはり、知識の確認をしながら、段階を経て慣れていかなくてはいけません。そして、僕もそういう過程で、アフガニスタンでの勤務を学ぶことが出来るのです。幸いにも、彼は穏やかで自己主張の強くない人であるため、今のところスムーズに進んでいます。

しかし、彼は僕よりも年上で、この業界の勤務年数は7年にもなるベテランです。そのこともあってか、時々彼の話す過去の物語が長くなる時があります。ただ、地位的には僕の方が高いため、僕の下で働いてもらわなければいけませんし、僕の決めたことをやってもらわなければいけません。

出身国が異なるから、人種が異なるから、と様々な言い訳をつければ、難しいことこの上ない作業ですが、それは日本人同士でも同じようなものかもしれません。ただ、この人にものを教えるという過程は面倒で疲れるところもありますが、つくづく教えるということと教わるということは紙一重だなぁと感じています。

確か、フランス語では、この二つの動詞は同じ単語で表現されるのだったかな。考え深いものがあります。
posted by atsushi at 03:56| Comment(0) | ひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月21日

日本社会を思う

今は、6週間に一度のR&Rで日本に帰国中です。今回は、追加で年次休暇を取らなかったので、5泊だけというとても短い滞在ですが、それなりにリラックスした時間を過ごしています。

仕事の疲れをまだ引きずっており、しかも、仕事を他の支部から一時的に来ている人に丸投げしてきているので、不安を感じています。しかし、とりあえずは仕事のことをあまり考えないようにし、ダラダラしています。本来なら、空いた時間は、大学院の勉強に充てたいところですが、なかなか気分が乗りません。ようやく、昨晩、3、4時間ほど文献に目を通しましたが、それは仕事の疲れが随分収まってきているから、開始できたのだと思います。頑張り過ぎはあまり良くありません。早く結果を出したい、人生の次のステージへ進みたい等々、自分を急かす種はありますが、精神の安定を図るのも生きていく上で大切なことだと思います。

WFPは、日本企業のような文化風土があります。本部での勤務はよくわかりませんが、フィールドでの勤務はそれを感じます。事務所での勤務は5時くらいに終えても、自宅で引き続き仕事をしています。そして、休日であっても、パソコンに向かったり、レポートに目を通したり、人に会ったりして仕事を続けています。公私の区別をあまり付けることができません。仕事量が多いからでしょうか、人が少ないからでしょうか、要領が悪いからでしょうか。そして、職員の定着率は高く、終身雇用の日本企業に似ています。

以前から言われていることですが、日本では、長時間労働が問題視されています。例えば医者という職業、人の命を守る重要で難しく且つ尊い職業なのですが、長時間勤務と休みの少なさで、新聞やテレビの情報媒体を通して悲鳴が聞こえてきます。眠い目をこすりながら、手術をしている人を想像すると、かなり恐ろしい思いです。そして、テレビCMで流れていた情報ですが、弁護士の数も他の先進国に比して圧倒的に少なく、忙しい生活を送っているようです。

また、政治家も休み返上で会議をしたり、講演をしたり、長い勤務時間と戦っています。人はいったい何のために仕事をしているのでしょうか。自分のため、家族のため、人のため、その全てのためでしょうか。国家国民を代表している政治家の方達が、バタバタとしていれば、この国はしんどい国だなぁと感じます。

国連職員になる前、僕は日本の公務員でした。一般企業に勤めることを考えれば、それでも休みは比較的長いと思いますが、大量の仕事を毎日抱えていた記憶があります。長い時間働く人が優秀だとは思いません。しかし、ここにはそれを美徳とする趣があります。頑張ることが何よりの最善の方法だと、思われている節があります。僕には、それがどうしても馴染めませんでした。

仕事を含めた活動で一番大切なことは、考えることだと思っています。肉体的活動よりも、精神的そして思考的活動に重きを置くべきだと思います。なぜなら、肉体は脳や心(その実は同じものかもしれない)によって動かされているからです。そして、肉体が疲れていると、しっかりものを考えることができません。人には休みが必要なのです。

しかし、その一方で就職できない若者が増えてきているようです。これは、おかしい。ものすごく忙しい人がいる一方で、何かをしたくても出来ない人がいる。なんだか風通しの悪い国だなぁと感じます。何かが停滞し、滞留しています。闇雲にもがくのではなく、少しじっと考えて、目標と方向性を決める時に来ていると思います。
posted by atsushi at 10:42| Comment(0) | ひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月22日

日本を思う

僕は、結構前からiPodでボッドキャストをダウンロードして、いろいろな話題を聞くようにしています。特に、料理を作っているときなんかは、ポッドキャストを聞くには最高の時で、日本の情報をそういった時間で吸収しています。

好きな番組の一つに「大竹まことのメインディッシュ」という番組があって、毎回いろんなゲストが出演しています。今回は、厚生労働大臣の永妻さんが出ていました。

今日調理中にそれを聞いていて、とても心配になりました。日本は大丈夫なんでしょうか。みんな幸せに生きているのでしょうか。日本の国だけで、1日に90人の方が自殺しているそうです。どうしてなんでしょう。

ここダルフール(世界で最も貧しい地域の一つ)では、おそらく自殺する人はいないような気がします。みんなが同じように貧しくて、もちろん暮らしはとても過酷だけど、自分で自分の命を絶つような人はいないような気がします。

日本の幸福度は、180カ国中90位だそうです。日本は、世界で2番目にGDPの高い国です。資源はあまりありませんが、教育水準はとても高く、よって識字率もほぼ100パーセントに近く、高度な技術と世界に誇れる知的能力でいろんな国から尊敬を勝ち取っている国です。しかし、内部はとても多くの負の空気を含んでいる気がします。

一体何が原因なのでしょう。

僕がこのように国際機関で働いている理由の一つは、この僕の仕事が世界人類のためになれば良い、そして日本に間接的にでも貢献出来れば良いと思っているからです。日本に仕事がないなら、外に出てください。もっとたくさんのチャンスがあるかもしれません。

僕が助けられることなら、いろいろ支援したいと思います。でも、その理由が、日本が嫌で海外に出たいというものなら、お断りしたいと思います。嫌ならどうにかして変えていきたいと思います。今も、そしてこれからもその変えていく方法を考えていきたいと思います。

ここダルフールの人は、僕にとても親切です。それは、みんな日本を尊敬しているからです。いつも、「オー、ジャパン、ナンバー1」と言われます。そして、他のヨーロッパの人も日本には行ってみたいと言っています。どうして、外国人が日本を好きで、日本人が日本を好きじゃないのでしょう。

政治の不透明さでしょうか。

日本の外交のまずさでしょうか。

古いしきたりや家族制度でしょうか。

それとも、褒めるよりもけなすことに重点を置く教育でしょうか。

マイナス面を見ればきりがありません。どんなものでも完璧はありません。常に向上させる余地は残っています。しかし、ちょっとは満足して、喜びあい、分かち合い、リラックスする心のゆとりが大切な気がします。あんまりにも頑張らなくても良いのではないでしょうか。ボチボチやっていければもっと世界は穏やかに回るような気がします。
posted by atsushi at 05:58| Comment(1) | ひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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