2012年03月12日

東日本大震災より1年 ローマにて追悼

2011年3月11日より、今日で丸1年がたった。数日前から、あの時からもう1年だなぁとずっと考えていた。そして、今日は日曜日なので、珍しく朝からテレビを見る。

ここローマにおいても、日本のテレビ番組を一つだけ見ることができる。NHK Worldという番組で、基本的にはNHKのニュースやその他日本に関する事柄を英語でしている在日外国人向けと思われる番組だ。予想した通り、その番組では、大震災からの1年ということで大震災関連の特集や、今日の日本での追悼行事についての紹介が流れていた。

どの映像も感極まるものがある。災害発生時の救急救命活動、その後の被災者への支援活動、復旧復興活動、見ていると目に涙があふれてくる。それぞれに多くの問題を抱えながらも、それでも人々が必死の思いで助け合ってきた光景がそこにはある。「絆」がテーマになるほど、人との関係、地域共同体の意義がこの事件を境にこれほど見直されたことはない。

新聞等メディアを通してよく言われるのが、政治が機能していない、政治の怠慢で復興が遅れている、ということ。

話は少し逸れるが、日本人は、ダメ出しをするのが得意だ。小さな重箱の隅をつつくような行為をすることによって、より完璧で完成されたものを追求する。これは、日本の製品によっても見られることで、それぞれの製品の性能は他の外国製品の追随を許さないほどに完成されたものだが、その方向性が正しいのかどうかの議論は意外にも少なく、見落とされがちである。道を追求するのは、忍耐力が必要で、それ自体は素晴らしいことだが、方向が間違っていれば非常に効率が悪くなる。そして、もう少し褒めてもいいのではないか、自信を持ってもいいのではないかと常々思っている。

日本の政治というのは、日本人そのもののことだ。日本人の総意が政治のかたち。政治だけを悪いと批判し、自分達から切り離すことは本来できない。民主党を選んだのも、国民だし、原発の恩恵を受けてきたのも国民がそれが良いと決めたからだ。

テレビから流れる映像を見て、自分にはいったい何ができるだろうかと考える。日本人として、自分の国にどんな貢献ができるのだろうか、と。東北でWFPの職員として、支援活動をした4か月を通して、そしてその後もずっとこの想いを抱えている。

国連という箱を通して、自分はどうやって、自分の国の友人、家族、お世話になった人、地域に貢献できるのだろうか。答えはまだ出ていない。すぐに転職を考えるほど私は短絡的ではないけど、自分の今までの自衛官としての経験、国連職員としての経験を活かして、自分の能力を最大限活用できることで母国に何かできれば、と思っている。

今日の夕刻、ローマ市内のポポロ教会にて、大震災の追悼を目的としたコンサートが開かれた。多くの日本人もコーラスに並んでおり、前面のソプラノ、メゾ・ソプラノも日本の方だった。モーツァルトの鎮魂歌を1時間弱演奏されていたが、特に講話があったわけでもなく、黙祷があったわけでもなかったので、ややメッセージ性が欠け残念ではあったが、この機会に自分が参加できたことに心が安らいだ。これはその時の写真。
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復興までの道のりは遠く、問題が山積しているが、進む道を間違えないでほしい。不都合な事実を覆い隠さず、ムリ、ムダ、ムラの3ムを排除するよう念頭に置きながら進んでいかなくては、今の日本にそんなものを受け入れられる余裕はない。

東北はまだまだ寒そうだったなぁ。雪の降る中、数がとても減ったボランティアの人たちだけで、よく頑張っていた光景がテレビに流れていた。

まだまだ終わりではない。
posted by atsushi at 07:25| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月09日

悲しい事件

1か月近くブログを更新できなかったのは、忙しかったからという単純な理由からではない。引っ越しによる新しい生活の組み立て、新しい職場環境での慣れない作業、いろんな雑務によってこの場から遠ざかっていた。20分もあれば、更新できる日記調のこのブログでさえも、継続させるにはそれなりに意志の力が必要だ。

仕事に関する悩みは、次回のブログ更新に回すとして、今日久しぶりに更新しようと思ったのは、悲しいニュースを人づてに聞いたからだ。

ここローマの前の勤務地、南ダルフール州の州都ニアラで、僕の昔の同僚が2日前に武力集団に誘拐されたということを知ったからだ。朝の通勤時、彼はドライバーと一緒に事務所へ向かう。2日前のその時に、2人ともさらわれた。しかし、現地人であるドライバーは、ニアラの街から1時間ほど車で走ったところ辺りで解放された。そして、イギリス人である彼は、武力集団のアジトと目されているジャブラマラという地域まで連れ去られ、行方が分からなくなってしまった。

詳しく調べていないが、どうやら事件の後ろにはスーダンとイギリス政府との政治的いざこざがあったようなのだが、そんなことに彼はイギリス人だという事実以外は全く関与していない。

彼とは、1年近く仕事を一緒にした仲間だ。宿舎でも隣の部屋だったので、家族構成などのプライベートなこともよく話し合ったとても気の合う仲間だ。ここローマに転勤してきてからも、時々スカイプで連絡を取っていた。そんな彼が、誘拐されたと知って、半ば信じがたく、インターネットで調べたがそのニュースは、多少の間違いは含まれていても、名前や職業などは記されていて確認が取れた。

1年ほど前に僕のスタッフが誘拐された時には、1か月近くも拘留されていた。それでも、生きて帰って来られたので、なによりだが、今回も同様に無事であってほしい。家族は、彼のことを心配していることだろう。娘さんが2人いるのだが、家族のことを考えると、とても胸が痛む。

そして、今ニアラの事務所では、引き渡し交渉の対策本部が作られていることだろう。通常業務そっちのけで、忙しくしているに違いない。誘拐された彼本人、その周りにいる同僚たち、そして彼の家族、それぞれが今後どんどん疲弊していく。

何よりも無事であってほしいし、拘留がなるべく短くあってほしいことを祈る。

フィールド勤務には、こういう危険と隣り合わせなのだ。
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2012年02月04日

ローマの公共サービスと職場環境

昨日のローマでの出来事。その前日の木曜日から、明日は天気が悪くなると言われていた。予報では、気温が0℃以下になり、雪が降ると発表されていた。それを受けて、なんとローマ市長が金曜日の学校を休みにすると宣言。こんな場面でローマ市長が出てくることに驚いたが、たかが0℃で!という過剰な反応に、2重の驚き。

そして、当日金曜日は、職場に多くの子供たちがいた。急きょ休みになってしまった学校によって家にいないといけない子供たち、それに合わせたベビーシッターを見付けられなかった職員や、その他子供の面倒を見る人が家にいない職員が、自分の子供たちと一緒に出勤してきたのだ。そうしなければいけない背景は明確だが、これは日本では見られない光景である。ふーん、こんなこともあるのだ、こんなことが許されるのだ、とカルチャーショックと共に感心してしまった。

実際の天気は、なんてことはないちょっと寒いくらいの天気。雪だって降ってはいなかった。ローマ市長のお触れが効いたのか、公共交通機関も全く頼りにならない感じだった。それを予想して、朝の出勤時いつもより1本速い列車に合わせて駅に向かったので、うまく職場に来ることができた。しかし、ほとんどの職員はその後の列車の遅れでプラットホームに1時間近く待たされるという災難に遭っていたようだ。

まぁ、こんな遅れは別段理由なんかなくても、日常茶飯事のことではある。もういい加減待たされることには慣れてきたが、交通機関に頼っての通勤はとてもストレスが溜まる。だからといって、自分の車で、となると尋常じゃない交通渋滞に頭を悩まされるし、ガソリンスタンドも時折ストに入ることがあり、常に気を張り詰めていないといけない現状なのだ。

さて、昨日の気温、確かにちょっと寒い。でも、外は雪でなく雨。昼ごろのこと、職員が騒ぎ出した。事務所の近辺では雨だけど、ローマ市内は雪が降っているという情報が流れだしたためだ。雪を見たことがないわけではないが、非常に稀な現象らしく、一時職場が喧騒な雰囲気となった。

ほどなく一斉送信のメールが上層部より流れてきた。職員は上司の許可を得て、帰宅してもよい、と。え、こんなんで!と驚く。冗談でしょ、と。

それから、どんどん職員が事務所を後にする。「良い週末を!」、なんて言いながら
笑顔を振りまいて出ていく。

たったこれだけの気象の変化で、こんな混乱を生むなんて、日本であれば考えられない。東北で僕が働いていた状況を思い起こすと、早くに帰宅できる状況には喜べても、なんとなく失望感を覚える。でも、後々早目に帰ったほうがいい、その理由が少しわかる状況に自分が巻き込まれる。

僕には、まだ仕事があったので、引き続き業務に。でも、当然人がいなくなれば停滞してしまう業務もたくさんある。ある程度のところ3時くらいで帰ろうかなぁと身支度をし始める。もうこれ以上いても、周りにあまりにも人がいなさすぎて、どうにもならないからだ。

そして同僚から今列車がほぼ止まっていて、1時間に1本来るかどうかわからないということを知らされる。どうやったら、そんな情報を知ることができるのか不明だが、自分が帰宅難民になってしまったことに気が付いた。列車だけでなく、事務所からシャトルバスと地下鉄を乗り継いで、ローマの中心部に移動できるのだが、どういうわけかシャトルバスが止まってしまっていた。

さて、残りはタクシーという手段。イタリア人の同僚に電話をかけてもらう。僕はまだイタリア語ができない。そして、その混み具合を知る。タクシーがつかまらない、と。

ビルの入り口の、守衛事務所に行けば、契約しているタクシー会社へ直接連絡ができると教えられたため、とりあえず事務所を後にする。そこにいったら、たくさんの職員が並んでいた。そして、待たされようやくタクシーが来たころにはいつもの帰宅時刻と変わらない時間になっていた。

やっぱり自分の車を持った方がいいのだろうか。交通渋滞とその他煩雑な事務手続きに悩まされながらも、自分で動けるようになるべきなのだろうか。

When in Rome, do as Romans do. 郷に入らば郷に従え

やっぱりみんなが帰るときに、帰ったほうがよかったのだ。皆がしていることを同じようにやるべきなのだ。しかし、たったこれだけのことに混乱してしまうローマの行政って。ますますこの町から離れたくなる。
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2012年01月23日

ローマに戻ってきての1週間

明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

日本で年末年始を過ごし、1週間ほど前にローマに戻ってきた。ローマは相変わらず日本よりも暖かいが、それでも以前と比べいくらか気温が下がっている。戻ってきて直ぐの数日間は、長旅の疲れと気の緩みで体調を壊してしまった。完全に風邪の症状があって、最初の1週間の勤務はつらかった。ただでさえ休みボケでモチベーションが低下していたのだから、仕事に行くのがとても苦痛な1週間だった。

今は、観光客や在留外国人に比較的人気のTrastevereという地区のアパートに暮らしている。40uのアパートでは、3人で住んでみるとやはり手狭で、もっと広い場所に引っ越すことにした。ローマでは(イタリア全般に言えることかもしれないが)、住居を設定するのがとても大変な作業だ。家の設備などに責任を持つ大家さんがとても重要な存在で、その人の人格や対応の仕方で、住み心地は大きく左右される。設備が充実していても、そこにはメンテナンスが必要で、また地元業者との契約が外国人にはとても難しいため、どうしても大家さんがそこに介入しなくてはいけない。

イタリア人の英語力は、他のヨーロッパ諸国と比較し、かなり劣っていると思う(日本人のことを棚に上げて言えないけど)。しかも、出来ないことに劣等感はまるでなく(ここは日本人と異なる)、どんどんイタリア語で攻めてくるし、イタリア語ができないことに対して邪険に扱われたりする場面も時々ある。だから、大家さんという自分の味方になってくれ、第3者とイタリア語で折衝をしてくれる人が重要な存在になるのだ。

現在のアパートは、勤務先国連機関のイントラネットの掲示板で見つけた。職場の同僚から借りていることになっているが、その当人はここローマにはいない。イタリア語を操れるスペイン人なのだが、彼女は北朝鮮の事務所に勤務している。日々の問題点は、メールを通して連絡を取っているが、やはりローマにいないのは、なにかあった時に頼る人がいなくて、不便に感じていた。

そういった住環境と手狭さのため、もっと大きくそして便利の良い所に引っ越すことに決めた。次の場所はAventinoという地区で、WFPの生みの親Food and Agricultural Organization (FAO)から徒歩圏の場所だ。広さは、今のところの倍の80u。国連の健康保険が直接使える病院にも近く、地下鉄、列車へのアクセスもいい。この場所は、ローマに駐在する日本人の国連職員で構成される日本人会で紹介されたものだ。ローマでは、不動産屋からの紹介で住むところをみつけることもできるのだけど、この様に人づてで住居を探すのもとても一般的な方法だ。

大家さんは、イタリア人の60歳を超えるおばあちゃんだけど、英語がとても上手だし、非常に優しい人だ。僕たち夫婦が入るにあたって、お客さんが泊まってもいいように、ベッドをもう一つ買ってくれると言ってくれている。部屋は完全家具付きで、食器なんかも含まれているため、身体一つで入ってもすぐに生活ができる。このような、Full furnished なアパートがここローマには結構多い。今まで身軽に生きてきた僕にはピッタリ。

リビングルームは、ローマによくある大理石ではなく板張りのため部屋に温かみがある。息子がこれから、お座りをして、歩き回るようになっても十分遊ぶスペースは確保できる。なにより、病院に近く、FAOに近いのはとても便利だ。WFPの職員は、その身分証でFAOにも行き来できる。あの庁舎には、大きな免税店が入っていて、そこではヨーロッパで通常かかるVAT ( Value Added Tax付加価値税)21%が免除されるので、とてもお得に食材から衣類、酒類、化粧品まで購入できる。

ローマに来て思うことは、国連職員というのは、給料以外のところで本当にたくさんの恩恵を受けられるということだ。まぁ、しかしここローマでの生活はとにかく高い。次のアパートは、月2100ユーロ、日本円では22万円ほどだ。こんな高級なアパートには未だかつて暮らしたことはない。でも決して贅沢をしているわけではなく、ローマでは一般的なようだ。家賃補助が出なければ、とても暮らせない。

とりあえず、今日はこの辺で
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2011年12月15日

日々の反省

なかなかブログの更新ができていない。毎日、このブログにアクセス下さる方がいる中で、一向に新しい話を提供できないのが、こういうものを始めてしまった者にかかるプレッシャーだ。全く話がないわけではないが、やはり新しい土地に来て、自分のペースがつかめないでいる。

さらには、2週間ほど前に日本から家族が合流している。3か月の赤ちゃんがいることだし、そちらに神経が向いているので、たかだか30分のブログ更新の時間も嬉しいことに難しい。

好きな人と過ごす時間は何をしていても楽しいし、一人でやっていく時間よりもはるかに充実している。一人の生活は悪くはないけど、特に海外生活において物事を人と共有できない状況は、孤独を感じるもの。それが家族といるだけで、ずいぶん守られた感じがする。あらためて、物事や思考を共有することの重要性を考えさせられる。

国連職員には、それなりの年齢になっても独身でいる方が実に多い。数年ごとに国を跨ぐ転勤があり、海外出張も多い中、さらにはキャリア志向なども重なり、家族という枠組みをなかなか持ちにくい(または持ちたくない)人が多く存在しているのだと思う。多言語を操り、国際情勢・国際政治を相手にしながら、それ相応のお給料をもらう中で、やはり国連職員というのは特殊な職業である。そのため、職員にはわけのわからぬ必要のないプライドが存在し、その人そのものを不思議な枠に収めている。

私の常に思っていることは、「普通の人」であり続けたいということである。「一目置かれる存在」という言葉があるが、そんな側面があったとしても、一般的な感性をもち、何人とも共有できる柔軟性を維持しておきたいと思っている。国際人として生きる、というテーマに沿ってブログを構成していても、特殊な人ではないむしろごく一般にありふれた普通の人がこうやって生きている、そして、海外に出て働いたり、生きていったりすることを普通に生きる道としてみんなに広げていきたいという思いがある。

しかし、そんなきれいごとばかりでないことも往々にあるのは事実。私にも、時折邪魔する要らないプライドが思考を硬直化させたり、ほぼ停止気味にさせたりしている。そんな時は、一人反省している。でも、自分でも気付かないところも多くあるに違いないと思う。

さて、話はかわって昨日で今年の仕事は終了。今日の午後には飛行機で日本へ帰国する。久しぶりの日本である。ゆっくり休んで、美味しいものをたくさん食べたい。
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2011年11月30日

本部の仕事というもの

赴任してから丸2週間が経過。分からないことはまだまだたくさんあるが、全くの無知ではない。フィールドと言われる地域事務所と、本部ローマの仕事内容はもちろん同じわけではないが、書類は見たことがあるものがほとんどだ。ただ、出来上がったものを手渡されるのがフィールドであり、それを精査してフィールドに渡せる状態を作り上げるのが本部である。

物事が動いているのは、ことが実際に行われるフィールド事務所。そういう点では、書類の動きを追っているだけが本部であるが、ここにいると世界中のオペレーションが見渡される。

エチオピアからメールが来て、業者契約についての話があったかと思うと、アフガニスタンの緊急支援の話をしている。そうかと思うと、ヨルダンにおける訓練企画について話し合う。WFPが介入している国や地域だけでなく、ヨーロッパの政治経済、国連事務局のあるニューヨークについての話も時折出てくる。とにかく、動きは自分の目では見えないが、情報はとても多く入ってくる。

そして、たくさんの人に会う。過去の業務で一緒になった人との再会は当然あり、そして友人の友人ということで、また新しい友人ができる。それぞれがそれぞれの仕事を抱え日々勤務しているなかで、課や部局を超えての連帯業務は、長の職に就いているもの以外は極めて少ないのが現実。ただ、それがそのまま壁になっているわけではない。ちょっとした出会いで、どんどん交流は開けていくのもまた現実だ。

2週間しかみていないから、まだ何とも言えないが、ここでやっている仕事はそれほど難しいわけではない。一般常識で解ける問題がほとんど。航空会社やブローカーを相手にして、オペレーションに見合う入札を行う。そこから一つを絞り、予算の執行をかけ、業務の運営計画を地域事務所と共有する。実際の運営はフィールドがやるのだから、こちらは法的に問題が出てこないように書類を固めていく。そういった一連の書類について、記憶しなくてはいけないことがあるがそれは手順であって、創造性や独創性を求めるものではない。

とにかく仕事はボチボチとやっていける感じがする。職員は、カフェでエスプレッソやカプチーノを飲みながら、ワイワイと語らい、楽しそうにしている。ほんとに仕事をやっているのだろうかと感じるが、同じ人がずっといるわけではないはずだから、それぞれ息抜きしながらやっているのだろう。自分のリズムをつかめたら、もっとここでの時間を有意義なものにできる気がする。

仕事だけではないということが分かる。というか、仕事以外のことが仕事に影響を及ぼす気がする。さて、情報戦の始まりである。将棋の駒は並べられたのだ。何をどう動かし、どれを突いていくかは、ここで得られる情報次第。
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2011年11月28日

新生活開始 イタリア ローマ!!

新しい生活というのは、刺激があり目新しい発見があるものの、結構疲れるのが現実。ダルフールにおける生活環境は、保安上厳しいものだったが、慣れと2年間の少しずつの努力で自分の生活はかなり快適なものになっていた。ローマに来て、10日間が経過するが、ようやくこの週末で初期の疲れが癒えてきた感じがする。とにかくこの最初の10日間はいろんな問題に直面して、物事がうまく運ばないことがたくさんあった。

言語の出来ない環境で、生活を作り上げていくのは疲れる作業だ。そして、ここイタリアは、評判通り先進国であって先進国でないようなところだ。もちろん、ローマしか見ていないからここで全てを決めつけるわけにはいかないが、首都ローマがこれだから、そんなに間違ってはいないのでは、と思う。とにかく、すべての作業にとても時間がかかる。いろんな物事がうまくまとまっていない。交通機関、小売店、政府機関、人々の対応、全てにおいて効率が悪い。まるでアフリカのとある国のよう。その割には、価格設定が先進国基準だから、受けるサービスに照らし合わせると高価だと言わざるを得ない。

ここで知り合った知人からは、うまくいかないことが多々あるから、そんなときは、ワインを飲んでチーズでも食べながら時間を待つしかないですよ、と助言を受けている。その助言通り、むかついたときは焦らずのんびりワインと生ハムを楽しんでいる。そして、今週末はそんな時のために酒のストックを増やしておくことにした。

ローマは、WFPの本部である。ものすごく多くの職員が勤務している。そのほとんどが白人であり、スーダンの時とは雰囲気がかなり異なる。スーダンでは、白人は少数であり、彼らは必ず国際職員かつオフィサーであったため、ここに来て直ぐのころは、多くの上級職員が存在する印象を受けた。しかし分かってくるにつれ、その多くは地元イタリア人いわゆる一般職のアシスタントや、コンサルタントだということに気づく。ここではさらに数多くのJPOがいて、それ以外にも短期雇用(ショートターム)の国際職員が存在するため、やはり正規の国際職員はとても限られているということに気づいてくる。

ここ本部の特徴は、そういった職員の身分が明確に表示されることだ。区別がきっちりと存在し、それぞれに対応した権利が付与されている。何かが使えたり、使えなかったり、そんな色分けがなされている。

まぁ、仕事のことは今後ゆっくりと書いていくとして、まずは生活を落ち着かせることが先決である。とりあえず必要なものは一通り買い揃え、今週木曜にやって来る家族の受け入れ体制はできたと思う。ダルフールから直で来ているため、疲労がたまっている。それでも、家族が合流するのは楽しみだ。妻や息子の顔を見れば、疲れなど飛んでしまうのだろう。フィールド勤務の多いWFPだが、ここローマの良さは何と言っても、家族で暮らせることだな。
posted by atsushi at 08:20| Comment(0) | イタリア生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月13日

ダルフール最後の夜

今晩で2年間のダルフール生活を終える。振り返るとあっという間だった。どんなことにも、始まりがあれば終わりがある。終わりの続きには、新しい始まりがある。同僚、友人、いろんな人との出会いがあった。そんな人達との別れはやはり寂しい。

思い出は、出会う人によって作られるのだと思う。美しい景色、美味しい食べ物、心地よい気候、いろいろと人の記憶に働きかける環境は確かにある。しかし、人との出会いに置き換えられるものはない。出会った人と楽しい時を過ごすことができれば、その土地の思い出はポジティブであり、その逆はたとえそれ以外の要素である景色や食事がよくとも、良き思い出として記憶に残らない。

昨日、数人のスタッフは欠けているものの、空港にあるプレハブ事務所前で記念撮影をした。空港は軍の管理下だから、写真は厳禁だが、最後の思い出の記念撮影だからと連絡し許可をもらった。それなりににこやかな写真が撮れたので、とても満足している。これがその写真。
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プレハブ事務所にはたくさんの思い出がある。事務所前に作った小さな花壇、今ではしっかりと花を咲かすようになった。スタッフも毎日気にかけて水をあげているようだ。自分がした仕事が、自分がいなくなった後でもどれだけ継続されるのかはわからない。彼らのやり方と元々合わないものは、だんだんと廃れていって、元々の形に戻っていくだろうし、私のやり方を気に入ってそのまま残るものもあるだろう。

またこの土地に来る機会があればいいなぁと思う。その時には争い事は終わっていて、みんなが平和に暮らしていることを祈る。もっと自由に人が行き来できて、賑やかな街になっていてほしいと思う。

明日は、最後のお別れメールをみんなに書いて、事務所に顔を出しお別れを言おう。
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2011年11月08日

家族で集うお休み

数日前から、イド・アル・アドハーとうイスラム教の祝日になっている。この始まりがいつで、終わりがいつなのか今一つ明確ではないが、私の仕事も休みで政府機関も休んでいる。一説には10日間といわれているが、それほどの長期間皆が休んでいるわけではない。この休みは犠牲祭とも呼ばれており、モスクにお祈りに出かけ、その後みんなで羊を食べるのである。去年の今頃はブログに書いたように、あるスタッフの家に呼ばれ、共に羊をご馳走になったが、今年はお呼びがかからなかったため、ゲストハウスでのんびりとした数日を過ごしている。

日本のお正月、西欧諸国のクリスマス的要素があって、皆家族でこの休みを過ごす。休みに入る前の数日間は、空港は驚くほどの込み具合で、人類の大移動が行われる。それぞれが家族へのお土産を手にし、なんとか自分の座席を確保して、ハルツームへと流れていくのである。地元スーダン人にとっても、ダルフールへは仕事で来ている人も多い。そんな人たちがたくさんいるから、飛行機も満席状態が数日続いた。UNHASに限らず、民間機もかなりの混乱模様だった。

予約忘れの人や、満席のため席を確保できなかった人から、なんとかならないかとひっきりなしに電話が鳴る。面倒だなぁと思いながら、どこかで羨ましいなぁと感じるところがあった。休日は、人をワクワクさせる。楽しみにしている行事があって、会いたい人がそこにいればなおさらワクワクする。

交通機関の仕事は、人や物をA地点からB地点へただ運ぶという極めて単純な仕事であるけど、これがいろんな物事を成すうえでの基礎なる部分だ。どんな高尚な仕事であっても、必要なものや人が必要な時にそこに存在しなければならない。それを支援している航空運航を含めた交通・物流の仕事は慣れれば当たり前になってくるけど、その重要性は今後もなんら変わることはない。

自分でいうのもなんだが、結構面白い仕事をしているなぁと思う。航空系の仕事はやや特殊だけど、基本的には常識の範疇でやっている仕事だ。科学者のような頭脳は必要とせず、合理的思考を持ち合わせていれば、誰でもやれる仕事。それを、こんなアフリカの砂漠地帯、紛争地であるダルフールでやれているというのは、我ながら貴重な体験だと思う。

飛行機に乗る前の皆の顔は、とても幸せそうだった。仕事から解放され、家族とともにイベントを楽しむ。地元スタッフの中には、仕事の都合上、どうしても家族のもとに行けない者もいるのだが、友人なんかに呼ばれてそれなりに楽しんでいることだろう。私の休日は、映画鑑賞、読書、料理という地味なものだが、みんなが楽しそうにしている平和な時間は、見ているだけでも嬉しくなる。
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2011年11月04日

イタリア事情

さて、ニアラの滞在も残り10日。ローマへの転勤が決まってから、いろんな準備を進めてきた。仕事上の人事手続を含む総務系の準備から、私個人の渡航準備、かなり多岐にわたる調査と調整がある。というのも、国連機関における転勤は、国境を跨ぎ国や地域が変わることが一般的であり、国内の移動とは比較にならないほど考えることが多いためだ。

以前の職場では、勤務期間7年間のうち5回転勤をしたが、その準備は1週間もあれば終えてしまい、宅配便をうまく利用することで、カバン一つの身軽さで次の勤務地に移動したものだ。パスポート、滞在許可書、査証手続、税関、などは全く考える必要がなく、今思えば楽だったなぁと感じる。

転勤とは、そういう面倒な身支度を乗り越えなければいけないが、基本的には好きである。なんだか、新しい生活が始まるというワクワク感と、行ったこともない土地に行くという行為が自分の冒険心をくすぐってくれる。それは、国内の移動でも同じだ。幹線道路がそこら中に張り巡らされ、大型ショッピングモールやフランチャイズ店が同じように並んでいる地方都市であっても、そこに住む人が違うのだ。そして、その人がその地域を作り、同じようでも同じにはならないのが、国内の転勤の面白いところだった。

話を少し戻して、現在はローマ行きの準備。これがなかなかイタリアというお国柄が分かってきて、時間が迫ってくるにつれ心配になってきている。どうも人の噂によると、イタリアはヨーロッパではなく、北アフリカに属するらしい。ヨーロッパだと思っていると、その政府機関の非効率さ、人々の不合理さに、心底幻滅するそうだ。ん〜、こう言われるとあんまりワクワクしないぞ!

日本人のようにEU加盟国でない国籍の者が、イタリアで働くとなると、それ用のビザが必要で、その事務手続きにはいったいどれほどの時間がかかるのか、参考程度に教えてもらっているものの、全くうまくいっていない。というか、うまくいっていないということが昨日遅くに判明した。

査証申請には、この様な流れがある。ローマのWFP本部から査証申請書類を、ローマにあるイタリア外務省に送ってもらう。そこから今度は、スーダンの首都ハルツームにあるイタリア大使館に連絡をしてもらう。申請者は写真やパスポートを含めた申請一式を最寄り(私の場合はハルツーム)の大使館に送る。そこから1週間ほどでビザが下りるという一連の流れだ。

さて私の場合は、1週間も前に、全ての書類をそろえて、大使館に送ったというのに、今日になってまだイタリアから連絡が来てないから、全く手続きが進んでいないというメールが送られてきた。見た時には目を疑った。

取り急ぎローマにサポートを頼んだが、全く連絡が来ない。ローマの今日って休日だったのだろうか。日本では文化の日だが、ローマも同じであるわけがないのだが…

国連職員が取得することになるビザ(D-mission Visaと呼ばれるもの)は、イタリア国内では取得することができない。そのため取得してからスーダンを出国しなければならない。本当ならば、11月9日が最初の出国予定であった。但し、このビザ取得に時間が予想以上にかかるかもしれないと考え、わざわざ1週間も余裕を見たのである。それが、どうやらそれでも雲行きが怪しくなってきた。

そしてさらに郵便物。日本の家族から、冬用衣類を郵便局のEMSで1箱12キロぐらいのものをローマの事務所に送ってもらった。その受け取りを頼まれてくれた職場の同僚は、郵便局からこのままでは配達できないという通達を受け取ったらしい。私物の衣類に関税がかかるのか、箱が重すぎるのか、まぁなんだかいろんな理由が考えられるらしいが、同僚に郵便局に行ってもらわなくてはいけない。

そしてもう一つ。私が活用している国際的な銀行がイタリアでは取引をやっていないという。世界で一番か二番目に大きい銀行だというのに、EU加盟国であり、先進国であろうイタリアでは営業をやっていないというのである。これは、非常に不便だ。スーダンでは我慢してきたが、次こそはもう少し自由に資産を動かせるようになるものだと勝手に期待していたのに、またいろんな新しい手続きが必要だ。おそらく、イタリアで銀行を開設することになるであろうが、そのためのIDだの余計な事務手続きが必要なのだろうなぁ。

あぁ面倒くさい。

イタリア、とても楽しみにしているが、腹の立つことも頻繁にあるのだろうと予想する。とあれば、別に15日に急いで出国しなくとも、ダラダラこのスーダンに残っていようか…
posted by atsushi at 05:15| Comment(0) | イタリア生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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