2011年10月31日

持続可能な業務

現在滞在中のゲストハウス、22人まで収容可能のなかなか巨大な建物だ。それぞれの部屋はそれなりに広いし、一番上の事務所長の部屋なんて、独自のキッチンやバルコニーまでついている。ここの周りには、大きな建物なんてほとんどないから、とても目立つ。保安上あまり目立つのはよろしくないのに、どうしてこの建物にしたのだろうかと、常々思っている。どうでもいいことだが、私はこの建物を密かに「バビルの塔」と呼んでいる。

さて、そんな巨大な建物内に現在5人しかいない。明日はさらに2人抜けるので総勢3人となる。1人抜け2人抜け、休暇や出張等、理由はそれぞれあるけど普段の20%程度の職員しかいない。こんなに一度にいなくなるのは、クリスマスやラマダーンの時はあるけど、中途半端な10月下旬としては珍しい。

職員がいなくなれば、当然その間の事務所は、序列順に頭がすげ替わる。事務所長代行は、そこにいる国際職員の上から順番におりてくる。国際職員全員がいなくなることはないので、地元の職員が事務所長を代行することはない。ただ、課レベルになるとそうは言っていられない。私のUNHASにおいては、常に国際職員がいるようにしている稀な課だから、長の役割は地元職員にまわることはない。

話は少しそれるが、本当は、長の役割を地元職員にやらせたいと思っている。国際職員抜きでUNHASを回せないだろうかと考えているが、今のところ職員の能力不足、自覚不足で実現には至っていない。

組織上、国際職員は、Fixed Term、Short Term、Consultant、UNV等に分かれる(実はもう少し種類があるがここでは割愛)。そして、その下には地元職員のピラミッドが形成されている。地位的に低いことが、能力の明確な上下を表すものではないことは、組織で働く者にとっては明白の事実。できる部下、とんでもない上司が存在するのはどこでも同じだと思う。もちろん、地位が生む責任感やいわゆる「地位が人を作る」的要素は否定しないが、良い意味でも悪い意味でも驚く人材が存在する。

さて、今日は何を言いたいかというと、そうは言っても・・・なのである。

これは、なにから来るものだろうか。イスラム的発想からなのだろうか。アラビア全般に言えることなのか。それとも人間として皆が共有する思考構造なのだろうか。

どうやら、ここでは権力を握ると、その権力者は突然業務のやり方を変えたがる。前年度続行的な反省を踏まえず前任者をなぞるだけの仕事のやり方は、地位ある人としては失格であるが、ここではものの見事に変えようとしてくる。しかも、ビックリするぐらい突然に。

え、なんでそうなるの、という具合に。

自分の担当課の運転手であった者が、何の連絡もなしに、出張に飛ばされたり、違う業務に持っていかれたりする。事前に相談があって、その代りの人員を提供してくれるならいいが、突然人が回されなくなる。様々な業務は、人に仕事を割り振り、権限を分担しながらやっていくものだ。完全におんぶに抱っこはないけど、それなりに責任を共有しているのだ。それが、突然ゼロになる。怒りよりも驚きが先行する。そして、「またかぁ」となる。

人のやり繰りの問題は、この2年間突然やってくる驚きの連続だが、ある程度慣れてしまったし、それへの対応も一応考えている。

しかし、一つどうしてもフォローしようがないことがある。それは、計画を立て、締め切りを決めて、物事を完成させるという長期的工程作業だ。これは、その立案者がそこにいないと、絶対に終わらせられない。断定するのはとても胸が痛むが、地元職員にはできないと言わざるを得ない。

今のように、国際職員の80%がいない状況では、課長クラスはそれぞれの部下にいろんな業務を任してきていると思う。しかし、彼ら地元職員は、日々の仕事を回すのが精いっぱいで、新たな企画や業務に対する実行力と責任感は希薄である。というか、端からないのかもしれない。休暇や出張から戻ってくると、全く何も手が付けられていないことに愕然とする。常に誰かが監督していないと、その手の業務は成し遂げられないのだ。

そして、最近こう考えるようになった。私がやろうとしていることは、持続可能ではないのではないか、と。私がいないと回らないことを求めていては、私がずっとここにいないといけないではないか、と。だから、求めすぎているのか、もっとレベルを落とす(合わせる)べきなのか、と。大きなエンジンが、常に各部に血液を流し続けるのならいい、しかし、2年間という期間がここニアラでの我々国際職員の一般的滞在期間である。自分がいなくなった時点で、滞ってしまう業務であれば、管理職としては考えを改めざるを得ない。

昔自衛隊で「2割の法則」というものを聞いたことがある。100人いたら、20人が実際にその集団を引っ張っている。前20人が抜けたら、また自然と残り80人の中の20%がその集団を引っ張っていくようになる、と。

う〜ん、どうだろう・・・現実はなかなか厳しい
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2011年10月24日

ドル漂流

読書紹介第2弾。榊原英資(さかきばらえいすけ)氏の「ドル漂流」

ドル漂流 [単行本] / 榊原 英資 (著); 朝日新聞出版 (刊)

朝日新聞出版から2010年5月に出されたハードカバーの本。この本は、2011年の「日本の論点」でどなたかが紹介していて(もしかすると本人かも知れない)、面白いのではと思ってアマゾンで購入しておいた本だ。育児休暇の際、時間があって本を読むだろうと思い、帰国に合わせて20冊ほど気になる本を買っておいたそのうちの一冊であった。子供が生まれてからは予想に反して時間はなく、赤ちゃんにつきっきりの生活は、読書の時間もまともにとれず結局はスーダンに持ってきてしまっていた。

さて、僕の最近の興味は経済だ。大学では経済を学んだことはなかったが、個人的には常に興味があり、時々その手の本に目を通していた。特に今までは、資産を増やすハウツー本、会社を経営するための知識本等を好んで読んできたが、最近自分自身でその趣向に変化が表れてきているのを感じる。それは、政治への興味が大きくなってきて、マクロ経済学や国家・国際上の経済の動きに関心がいくようになってきたからだ。当然そのミクロ・マクロ的考えは関連しているものであるけど、マクロ経済学は自分自身とても敷居が高いと思っていたのと、なんだかとても難しそうという思いから敬遠してきたというのが本音なのだ。

ちょっと遠回りしてしまったが、榊原英資氏は、知っている方も多いのだろうけど、東大卒の元旧大蔵官僚で米ミシガン大で博士号を取り、IMFにも勤めたことがあり、財務官まで登りつめた経済界の偉い方なのだ。当時「ミスター円」と呼ばれており、退官後はいくつかの大学で教鞭をとっておられ、現在は青山学院大学の教授をされている。そんな人の本だから、興味はあって購入したものの、難しいことばかり書いてあるのだろうなぁ、チンプンカンプンの公式が並んでいるのだろうなぁ、読み終わるまでに数か月もしくは終わらないかもしれないなぁと恐怖心を抱きながら読み始めた。

しかし実際は2日で読み終わった。これには読んだ本人が一番驚いた。結構な厚みの本だし、休日というわけでなく平日読んでいたのだが、あっという間に読み終えた。難しい箇所もあったが、リズムが良く、まるで少年が漫画に見入るように睡眠時間を削ってまでも読み通してしまった。とても面白かったのだ。

内容は、国際基軸通貨米ドルの動きを話の中心に据えて進んでいくのだが、その周りにある歴史観、日本をはじめとするアジアに関する洞察がとても面白い。昨年までGDP世界第2位であった日本の通貨円が、どうして国際通貨になれないのか、いま現に危機が起こっているヨーロッパEuroの脆弱性を紐解きながら榊原氏の普段から思っていること、感じていることが書かれている。バリバリの経済本(私の中では数字と公式の拷問)ではなく、人類が生きていく中に起こる現象として、様々な出来事と結び付けて考えられており、経済はその歴史背景や社会的動きに先行したり、反応したりして動くいきものであるということが分かりやすく説明されている。

昔から思っていることだが、難しいことを分かりやすく説明できる人は、本当に頭のいい人なのだろうなぁと思う。思わず、読みながら何度もうなり、文章に蛍光ペンで線を引いていた。

内向き志向、ガラパゴス化現象、海外を敬遠する若者、これらは国内市場を重要視する国内企業の戦略とデフレに絡んだものであるということだが、リスクを取らなくなってきている日本のなれの果てをとても憂いているように感じられた。この人の目は世界を向いており、日本の国際社会での立ち位置をどうとるのか、どのような国になっていくべきなのかが示されている。そして、伸びゆく中国の若者、インドの若者を対比で扱いながら、今や国際言語となった英語を翻訳という視点から学ぶのではなく、言語を操る点に重点を置いて、学ぶべきだと警告している。

私が思う国際人にまた一人お会いした気がした。もう一回読み直そうと思う。そして、そのあとマクロ経済学を勉強しようと思う。
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2011年10月20日

隣町Gereidaへの訪問

先日に引き続いて、今までのダルフール生活をしっかりと自己の体験として記憶するため、駆け足でWFPを含めた国際人道支援全般の業務を見学している。今回は、隣町Gereidaにヘリコプターでやってきて、食糧配給の現場を見に来た。


Gereida
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これまでここGereidaには幾度となく足を運んできたが、そのすべては飛行場への訪問に限られ、街中に入っていったことはない。航空機や飛行場使用に関わる地元政府や軍さらには国連平和維持軍との調整だけであり、そもそもいつ何時緊急事態が発生するかもわからないなかで、自分の持ち場であるニアラを離れるわけにはいかない。しかし、新しい人の赴任とテクノロジー(衛星携帯電話)のおかげで、業務は遠隔監視することとし、合計6時間に及ぶこの町への訪問を実行した。


ヘリコプターがGereida飛行場に到着
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車で来るとなると5~6時間はかかる場所だが、ヘリコプターだと25分で来ることができる。もうほとんど終わりだが、それでも雨季のため完全な砂漠ではなく、所々緑が存在している。特に町の中は、人々が木を大切にし、農業をしているのでより緑が存在している。なかなか美しい。ただ、IDPとしてほとんど排水設備もないテントを張っただけのようないわゆるキャンプをしている人々にとっては、そんな自然の雨は生活に不便に違いないのでは、と思う。

この訪問の本当の目的は、アメリカ大使館からの特別代表がダルフールで活動しているPKOと人道支援NGOの訪問見学をするため、WFPが間接的にそれをサポートすることだ。なぜなら、PKOにしろNGOにしろWFPはその活動に絡んでいるし、ちゃんとプレゼンスをアピールしなければならないからだ。そして何よりも訪問者はアメリカだからだ。アメリカの力は巨大だ。ここでの業務のほとんどの最大資金提供者はアメリカで、彼らの方針次第では、仕事があっという間に消えたり、そもそもの活動自体がなくなったりする。

だからもうみんな必死だ。

普段は、だらけた仕事をしているような連中も、時間を守り、きっちりとプレゼンをしていた。車を何台も走らせ、セキュリティをこれ見よがしに増して、小さなGereidaの街を縦横無尽に走り回る。


多くの国連車両が縦列をなす
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そういうドーナーの力が強いという現実は、この業界にいる者にとっては当然の常識。綺麗ごとばかりの夢想家では生き残れないことはわかっているが、実際に見ると、「世のため、人のため、困った人がそこにいるからぁ~」的甘えた思想は当然砕かれる。そうだよね、彼らがお金をくれるんだからね、ってなところだ。

しかし、私にとってはこの機会のおかげで、この町に来ることができている。街中にある施設に行き、食糧配給の現場の見学。これ見よがしに、アメリカと書かれた食糧がきれいに並べられている。わかりやすい!!アメリカが来るというのに、EUと書かれた食糧の袋を並べるわけにはいかないよね。


きれいに並べられグループごとに分けられた食糧
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アメリカさんたちは、食糧配給所の後、医療施設を訪問し、足早に違う訪問地に飛んでいった。私たちは、そこまで付き合う必要はなかったので、この町にある事務所でお昼ご飯を食べ、IDPキャンプを少し散策した。ちゃんとした食事が食べられるのに驚いたのと、とにかく子供たちの多さにはびっくりした。


かわいい子供たち
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ある男性には11人もの子供がいたし、25歳くらいの若い男性にも3人くらいの子供がいた。まだまだ作ると言っているし、子供が多いことが彼らの男としての自慢のようだ。子供はかわいく彼らに何の罪もないが、この状況はあまりよろしくないのではないだろうか。教育、食糧、医療そして雇用はどうなるのだろう、そんな後先考えて子づくりしていない。支援するから生命を維持できているが、これにより、さらに支援の必要とする人たちを発生させている。
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2011年10月16日

IDPキャンプ立ち寄り

日曜日のフライトは少ない。だから、勤務時間は昼前後で終了となる。今日は、そんな余裕のある日だったので、時間を工面しニアラの町中にあるIDPキャンプに立ち寄った。IDP(国内避難民)とは、政治的な迫害、武力紛争、さらには自然災害などによって、自分の元々いた住処を追われて非難した人たちを指す。

今、このIDPの人たちが、本当にIDPであるのかということを確かめる作業をしている。自分は、IDPだ、社会的弱者だ、と偽って私たちの組織から食糧をくすね取っている輩がいるのを排除するためだ。今のところ、ある程度の割合でこういった偽と判断とされる家族や人たちが出てきている。今後の食糧配給活動は、この判断を基礎として行われる予定であるが、これにより効率的に困っている人に焦点を当てることができる。

私の仕事は、航空業務の管理であるため、こんな風にキャンプに来ることはない。事務所、空港、政府機関の役所あたりが行動範囲だが、いつもこのようなWFPの本来業務に顔を出したいと願っていた。時間はとてもかかってしまったが、何とかこの町を去るまでに見るというだけでも経験することができた。国家警察や軍事諜報局の人たちがパトロールしているので、観光客のようにパシャパシャと写真を撮れないが、数枚撮ってきた写真をお見せする。

まずは、この確認作業をする現場の写真。これは、東日本大震災の時に岩手県で設営したタイプの移動式簡易倉庫だ。これも変化球的使用法であって、本来は食料保管庫であるが、この様にIDPを集めて確認作業をする場としても活用される。隣には、簡易トイレを持ってきたり、水道水を確保したり、アンテナを立てモバイル式でネットにつなげる環境を整えていたりする。もちろん外には、発電機が設置され、蒸し暑くなる内部には扇風機などが置いてあり、なかなか快適なものである。さすがWFPだと誇らしく思う。
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スタッフは、IDPと識別するため専用のTシャツを着ている。といっても、このTシャツを着ている人すべてが職員というわけではなく、このためだけに働いている人もいる。採用は、IDPの人たちの中からも行われたらしく、なかなか管理が大変だろうなぁと思う。しかし、みんななかなかよく働いている印象を持った。
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識別を受けているとある家族。さて、彼らはIDPと認識されるのであろうか。適当に他の家族から借りてきた自称家族はいないか、質問を投げかける。怪しい答えが返ってくると、IDPとして登録されず、これにより食糧は配給されない。自分の生活が懸かっているのだから、ドキドキだろうなぁ。
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テントの外には、お茶屋さんも呼ばれている。ここでは、コーヒーやお茶がふるまわれる。他の職員がいたので、私も呼ばれ中に座ると、頼みもしないのに、トルコ式コーヒーが出てきた。残念ながらあまりおいしいものではなかったが、振る舞ってくれた女性の笑顔は素敵だった。ただ、カメラを向けると、彼らスーダン人は基本的に全く笑ってくれない。なぜか硬直する。おかしなほど真面目なのだ。
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2011年10月15日

スタッフの教育

さて、ここニアラの私が働く部署には新しい国際職員が来ている。彼はフィリピン出身で、元空軍のパイロットであり大佐まで務めた人物だ。スーダンにやってくる前は、フィリピンのWFP事務所で安全担当官をしていたという経歴の持ち主。これだけ聞くと、出来る人物に違いないと思うかもしれないが、これがさっぱりだ。立派なラベルがついている割には、とても平凡な日本酒ってな感じだ。ちょっと悪口だな、これでは、失敬。

彼はコンサルタントであり、私の後任というわけではないので、航空部署の部長になるわけではない。ただ、私の後任者の赴任が遅くなり私の方が先にローマに出発してしまう場合は、必然的に彼が一時的な部長になる。しかし、彼は今のところ非常に穴のある人物であるという評価を私は下している。人柄は悪くはなく、軍人らしく地位を重んじてくれ、とても私に従順だ。10歳も年下の私に怒られまいと随分頑張っている様子はくみ取れる。ただ、この業務の規則や手続きを知らないわりには、それを学ぼうと自発的な行動が見られない。そして、それ故に間違いが多く、物事の根拠となる事柄を分かっていない。そして、間違えた時、声が少し高くなりそして興奮し、他のスタッフに少し強く当たるのだ。私の求めているところは、とても高い所なのだろうか。。。

ここでの仕事、適当にやっているわけではないのである。紛争地帯いわゆるフィールドと呼ばれる場所に、お客さんを乗っけた飛行機を搭乗員と一緒に飛ばしているのである。操縦するのは、契約している会社のパイロットに任せるとして、私たちの仕事は、それらのフライトを安全に地元と国際的な決まりの両方を守りながら、様々な調整業務をやることである。地元のお役人ともめることなく(まぁ、時にはもめるけど)、うまくサポートを得ることである。

私は、人にものを教えるというのは、つまるところ本人の自発を促すというところに本来の教育の目標があると思っている。先生となる人物が、いくら一生懸命教えても、聞く側にその準備がなければ右から左だからだ。知識は、人に教えられることによって身につくのではなく、自分でその内容を消化できた時であり、それには自主的な心が欠かせない。当然、良き先生と呼ばれるような人は、そんな生徒の心に火をつける人物であるが、どうもそもそもの姿勢が違うような気がして仕方がない。

現在のフィリピン人の彼を含め、私がこの地で業務を教えてきたのは、国際職員に限って言えば3人である。(本当は4人かな、私より前からいた南アフリカ人の同僚にも、最終的にはあとから来た私がいろいろと教えていた)イギリス人、アフガニスタン人、フィリピン人がその内訳。それぞれ、人は悪くない。むしろいい。しかし、どうもこのコンサルタントという不安定な地位がそれを邪魔しているような気がする。いつ、雇用が切れるか分からない。自分のとりあえずの契約は、この先2か月だけ、この状態でさらに業務に踏み込んで、どんどん責任を取っていこうとするのだろうか。

普通の人間なら、適当に時間を過ごし、その間にもっと安定していて給料のいい仕事を探すのではないだろうか。

危機感をあおって、いろいろ覚えさせるように働きかけてはいるが、今一つ自覚が足りない気がする。とりあえずの対策として、明日から1週間、彼が業務の全責任をもって、仕事にあたってもらうように各部と調整しておいた。これで考え方を少し変えてくれればいいが。

日本的終身雇用の弊害はいろいろあると思う。しかし、雇用が安定しているからこそのメリットもやはりある。職員が腰を落ち着けて、今やっていることに神経を注ぐことの出来る環境を整えることができるということだ。一人一人の出来不出来は、個人の持っている能力もさることながら、こんな環境も影響を及ぼすのだろうなぁと感じる今日この頃である。
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2011年10月11日

ゲーム理論

ちょっと趣向を変えて、読んだ書籍についての所感を書いてみたいと思う。読書後の感想をこの場で共有することによって、いくつかの利点がある。本をダラダラと読まなくなり、しっかりと人に伝達できるように自分の中で要約する能力が身につくこと。ブログの読者と、その本の内容について議論する場ができること(このブログはそれ程人気があるわけではないので、ただの独り言になる可能性が大だが)。他にもっと面白い本と出会うきっかけになるかもしれないということ。そして今回は、このテーマ第1弾。

日常生活に潜むゲーム理論 [単行本] / レン・フィッシャー (著); 松浦俊輔 (翻訳); ...

どういった経緯でこの言葉を知ることになったか今では思い出せないが、ゲーム理論という言葉は、今まで読んできた雑誌や書籍なんかで時々目にしてきた単語だった。なんとなく面白そうという気まぐれで購入した本だったが、これが社会生活の中で、人の行動原理や心理現象なんかを表し、さらにはもっと大きな政治的動き、経済学なんかも紐解けるものだというのは、目からウロコだった。

ゲーム理論の理解としては基本的に数学の理論であって、戦略を練るときに使える考え方だ。しかもこの理論の研究者5人はこれでノーベル賞を取っている。ノーベル賞については、日本人が受賞したものに対しては関心を持つけど、他の国の人が受賞したものにまで関心が及ばない。話が少し脱線するが、世の中に起こっていることを、本当に理解するのは難しいと思うのと同時に、いったいどうすれば理解できるような環境を作れるのだろう。そんなことをふと思う。

ゲーム理論への理解のため、代表的な話「共有地の悲劇」という話しを紹介する。

ある放牧民の集団があり、その中の一人が群れの家畜を一頭増やそうとする。増やせば相当の利益が上がるし、一頭だけ増えるくらいなら土地全体の草の回復力を減らすのもわずかなもの。よって、彼にとっては理にかなっている。しかし、他の者も同じように考えると、そこに悲劇が生まれる。みんなが自分のわずかな利益を上げようと考えると、草が食べられる量が多くなりすぎて、回復に間に合わず、その土地は牧草地として適さなくなってしまう。結果的に、そこでの放牧はできなくなってしまい、業務が成り立たなくなり、最悪の場合は餌が消滅し、全ての家畜は死んでしまう。それぞれの合理的行動は、最終的に、非合理な結果をもたらしてしまうというジレンマだ。

さらに、似たような例として、事務所のスプーンの話も挙げられていた。これについては、全く同じ現象を私自身が経験しているので、面白かった。内容としては、共有のスプーンを置いておくと、いつの間にかそのスプーン全てがなくなってしまう話だ。事務所の構成員一人一人が、自分の利便性を上げるため、スプーンを一つ持って行ってしまう。たくさんあるからいいだろうと思い、こういう行動に出る。しかし、これを多くの人が同じように考えると、スプーンはなくなってしまうのだ。そして、今まで私は、スタッフ用と来客用に20本ほどのスプーンを購入したが、半年も経たないうちに残り1本となり、今ではその1本を4人のスタッフでシェアしている。笑ってしまう現実だが、この本を読んで謎解きができ、少しすっきりした。なるほど、スプーンは消える運命にあったのだ。

ただこの現象を地球規模の資源(「石油」「森林」「魚」など)に当てはめてみると、恐ろしく思う。全体の中で、自己の利益を図ろうとすると、どういうわけか最終的に自己の利益を全く図れない状況に陥ってしまう。資源をめぐる紛争は、こんな感じで始まるのだろう。もちろんここダルフールの元々の紛争原因である遊牧民たちの牧草地の獲得合戦は、これで説明がつく。資源をめぐっての紛争は、今後も絶えることはないだろうし、紛争自体も自分たちが勝った後にやめようと、その参加者各々が考えていれば永久に破壊行為は継続される。

この本の目的は、ゲーム理論の紹介だけではなく、これを使うことによってどうやってこの手の問題に直面した時、お互いの利益が守れるのかということを掘り下げている。ただ、正直なところ、数学者の書いている書籍であるため、条件付けがやや複雑なのと、まどろっこしい説明で実は未だ頭の中で消化できていない。

しかし筆者は、自己の利益を追求するという合理的取組は、自己の利益がゼロになるという道程の途中にあるような否定的な面だけでとらえるべきではないと言っている。その参加者が協調することによって、各個人の利益は伸びなくとも、全体の利益を守ることができ、結果的に自分に戻ってくることは可能だ、と言っている。そこで私は、芥川龍之介の作品のひとつ「蜘蛛の糸」を思い出す。考えてみれば、あの話はゲーム理論なのかもしれない。釈迦が垂らした極楽につながる糸を、みんなで協調して登れば、自分もそしてその他の人も同時にその恩恵を受けることができたのかもしれない。「掴まるな、上ってくるな」と言わなければ、糸は自分の直ぐ上で切れなかったかもしれない。

それから、「なるほど」と思った解決法について一つ紹介する。

あるものを2人もしくわ2グループで分けるときの争いを未然に防ぐ分け方。

「こちらが分けるからそちらが選べ」戦略だ。Aさんが、分配の主導権を握って、配分を決めたとしても、Bさんのほうが先に選べるということにすれば、Aさんは必然的に公平に分けようとする。そうしないと、自分が損をするからだ。自分に子供が2人できて、お菓子の分配や、お手伝いの配分を決めるときに喧嘩していたら、この方法を使おうと考えた。これなら喧嘩は回避できるし、お互いハッピーになれるのではないかな。

ゲーム理論、興味持った方はちょっと勉強してみてください。人生で迷ったときなんかに使えるかもしれないですよ。ちなみに、ノーベル賞を受賞した5人の研究者は、いずれもアメリカ国防省ペンタゴンでの勤務歴があるようです。戦略家になれるということだろうか。

日常生活に潜むゲーム理論 [単行本] / レン・フィッシャー (著); 松浦俊輔 (翻訳); 日経BP社 (刊)
posted by atsushi at 23:36| Comment(0) | 読んだ本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月09日

閉じこもりきりの生活

ここ南ダルフール州のニアラに赴任して2年経とうとしている。近頃はもっぱら次の赴任先であるローマの下調べをして時間を過ごしているが、それ以外は特にすることがなく、本を読んだり、ネット閲覧したりのインドア生活だ。ダルフールは未だ紛争地の扱いで、ここへ渡航してくることは、治安の問題から、国連職員やNGO職員でもない限り困難な場所だ(そもそもこんな所にそれ以外の目的で来る意味がない)。そのため、徒歩での外出は一切禁止で事務所まではわずか500メートルほどの距離なのに、シャトルバスでの移動。しかも、門限は夕方5時と決められているので、監獄にいるような閉じ込められた暮らしぶりだと言える。

日々の生活は、宿泊先のゲストハウスと事務所の往復、幸いなことに、私の仕事では空港へ行くこともあるから、まだ辛うじてマシな方だと思う。昼ご飯を買いに、近くのレストランに行くこともあるが、なるべくなら自分で行きたくない。それよりもドライバーに買いに行かせることのほうが多い。仕事が忙しくて時間が取れないわけでもなく、治安状況が心配だからでもなく、その他の理由で行かないのだ。

スーダン人には、列に並んで待つなんてお行儀のいい習慣はない。たかがサンドイッチを買うだけでも、割り込んでくる人をブロックしながら、注文を受ける人の眼前に紙幣を掲げ、かなり強引な態度で注文しないとほかの人たちに先を越される。これにはやたらと疲れる。それに、正直なところ、料理を作っているところをあまり見たくない。見ると、とても不衛生に思えてしまい、食欲が一気に減退する。発展途上国での生活は、このスーダンが初めてではなく、自分自身では慣れている身と思っているが、こういうのは、長期滞在するとボディーブローのように効いてきて、かなり疲弊する。

教育をきちんと受けていないし、そういう習慣ではないのだから、「郷に入れば郷に従え」的感覚で、生きていくしかない。それに人々も悪気があってそのような行動をとっているのではない。まだ来たばかりの人は、これくらいなら大丈夫、という。私もそうだった、1年ほど前までは。でも、半年を過ぎ、1年を過ぎてくると、これは本当に精神衛生上よくない。なるべく、自分から地雷原には近寄らないようにしている。「はぁ」と溜息がでて、嫌な気分になるからだ。人々の習慣は、そんな簡単に変えることはできないし、みんながそうであるから、自分もそう行動するのだ。

治安が良くて、もう少し自由があって、休日なんかには市場などをブラブラできたら、どれほどここでの生活は楽になるだろうと思う。おそらく、アジア人の私は、街を徘徊していても、危険はないものと思うけど、国連職員であるため、UNDSSという治安を扱う機関の出す規則にはやはり従わなければならない。この安全規則を破ってまで、散歩するほどの魅力は残念ながらないし、少しでもリスクがあるなら安全パイを取るべきだ。しかし、こうインドアだと活力がそもそもわかないし、はっきり言って、このニアラという町を知る機会が皆無なのだ。

これまでの人生で、異国の土地に長期滞在しておきながら、これほど知らない街はない。そういう点においては、とても貴重な体験だがこんなことは繰り返すべきことでもないし、ましてや人には勧められない。この想いは、ここに実際に長期滞在した人でないと共有できない。家族に話したところで、大変ねぇ、可愛そうに、大丈夫、くらいの返答しかないから、近頃は話さなくなってきている。

ダルフールについてのネタが乏しいのは、この地でブログを続けている私自身、ツライところだ。しかし、これほど活動が制限されていては、致し方ない。人生山あり、谷あり。昔、部活の顧問が言っていた言葉を思い出す。「止まない雨はない」、「終わりのない坂はない」。これが雨であり、間もなく晴れるだろうことはわかっているが、その晴れを万感の思いで、共有できる人はおそらく家族にもいない。

ここは、出稼ぎ労働者の集う土地なのだ。そして、働く場は、マグロ漁船のような広い場でありながらも閉じ込められた空間なのだ。そんな比喩表現がぴったりだと思う。まもなく、私のお勤めは終焉となり、ようやく娑婆に解放されるが、この残日数のカウントダウンがとてもじれったい。
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2011年10月06日

尊敬する方の死

なでしこJAPANのワールド・カップ優勝時と同様、一般的に流れているニュースについてコメントするのは、安易にネタを拝借しているようで恐縮であるが、本日のニュースで、アップルの創始者スティーブ・ジョブス氏がこの世を去ったことを知った。帰宅後にテレビをつけ、BBCニュースを見るのが日課になっているが、この訃報を知り、衝撃を受け、テレビに見入ってしまった。

過去から現在に至るまで、多くの偉大な人物が存在し、私自身も崇拝している人物は幾人か存在する。そしてスティーブ・ジョブス氏は、私の尊敬する人物リストの中に入っている一人である。彼についての伝記や、書籍に関して目を通したことはない、ただ、何らかの偶然で、彼のスタンフォード大学でのスピーチをYouTubeで拝見して以来、尊敬する人物の一人となった。もちろん、その後は彼の人となりをインターネットで調べてみたりもしたが、YouTubeを通して拝聴したスピーチは、私にとって非常に衝撃的で、それが彼を知りたいと思ったきっかけである。

それ以前は、アップルの創始者であること以外、特段興味もなく、あまりよく知らなかったというのが正直なところだ。彼のアップルが作り上げた商品は、私も日常的に活用させてもらっているものであったが、それ以上でもそれ以下でもなかった。しかし、偶然に巡り合った、あのYouTubeの画像によって、一瞬にして魅了された。僕にとって、そういうことは頻繁に起こることではないし、それ以後もあの衝撃を上回る映像を見たことはない。彼の常に挑戦者である姿勢と、もの作りにおける情熱、そして人を引き付けるあの口調、いったいどこからきているのだろうか。

私は、今まで何度あの映像をYouTubeで見ているだろうか。当然お気に入りの映像として保存しているが、何度聞いても、活力が内からみなぎってくるのを自覚する。

天才とはあのような人のことを指すのではないだろうか。そして、優れたリーダーとは、彼のような人を指すのではないだろうか。前人未到、彼はそんな境地にたどり着きながらも、安楽することなく常に挑戦者であり続けた。万人に真似できるものでは到底なく、あっぱれ、というほかない。彼のような人生をなぞることはできないが、彼のような気持ちをもって、生きていきたいと常に思っている。

Stay Hungry Stay Foolish

このブログを読んでくれている方なら、見たこともあるだろうが、一応、その有名なスピーチのYouTube画像を紹介する。英語の映像であるが、英語が苦手であれば、おそらくこのスピーチ全文の訳文をネット上で探すことができると思う。彼は、間違いなく我々の世界観を変えた人物である。56歳という若さでこの世を去ったのは、残念で仕方がない。どうぞ、安らかにお眠り下さい。
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2011年10月05日

第2言語

国連公用語は、英語、フランス語、スペイン語、ロシア語、中国語、アラビア語の6つである。以前書いたかもしれないが、言語をたくさん操れるだけで国連機関に入ってくることはできず、自分の専門性が必要で、言語よりも何ができるかが優先される機関だ、と。それは、仕事をする上で当然の話で、自分自身それほど気にもしていなかった。スーダンに来てから、アラビア語を学ぼうとしたが、挫折し、仕事の合間をぬってフランス語の勉強を再開しようとしたが、時間がなかなか工面できず、さらに挫折していた。それでも、まぁいつか、どこかで再開しようと思う程度にのんきに構えていた。

しかし、そういうわけにはいかなくなった。英語以外の言語を持つことは、国連職員としての当然の資格要件となってしまったようだ。2年間をここスーダンの土地で過ごし、契約更新が控えていた。ちなみに、契約更新というと、とても不安定な気がするが、国連の正規職員のほとんどが、1年単位の契約を更新して仕事をこなしているのが現実。今回その更新にあたって、本部から、言語の資格検査を合格した証明書を送ってくれないと、次の更新はしないという、ビックリするようなメールが突然送り付けられた。

家族を持つ身としては、当然焦り、いろんな人に連絡した。僕が思っていたように、ほとんどの人の反応は、第2言語を持っていない人はたくさんいるから、上司に言えば絶対、契約更新してくれるから大丈夫というものであった。結果、更新はされて、先日ブログにも載せたように、本部ローマに行くことが決まったのだが、第2言語のことで人事上の手続きが止まっていたのは確かだ。ローマの担当課の上司に連絡をすると、人事部とすぐに話をしてくれたようで、事なきを得たが、非常に心臓に悪い日を過ごした。

他の同僚に、「そんなことがあって困ったよ。」程度に話を打ち明けると、その彼も同じ境遇に立たされていた。僕が、その状況を説明して、上司に直接話すことを勧めたが、どうやら、この第2言語の習得というのは、建前のみでなく、雇用を維持するうえでも必要条件となってしまったようだ。人事規則にも正式に掲示されたようなので、強制力によって、僕自身も言語の習得に励まなければならなくなった。

さて、どの言語にしようか。国連公用語を母国語としていないものにとっては、結果として3ヶ国語話さなければならないということだ。自分でいうのもなんだが、それなりに言語習得のセンスはあると思っているので、学生時代にした中国語に磨きをかけるか、そこはやはり国連で生きていくためのフランス語に力を入れるか、現在考え中。しかも、次の行先はイタリアで、イタリア語もそれなりに習得しなければならない。

言語習得にばかり、時間をかけると肝心の「思考する」という機会が相対的に小さくなる。これは、帰国子女に陥りがちな思考の浅い人間を作ってしまうことになる。つい先日、インドネシアから独立した西ティモールの教育状況を取り上げた記事を読んだ。そこでの公用語は、2つ。ティトゥン語とポルトガル語。そして、国が掲げる教育方針では、お隣のインドネシア語と、国際的に発展してほしいため、英語を推奨している。子供たちは、4つの言語を学ばなければいけない環境にある。

東ティモールの将来がとても心配になったのは言うまでもない。そして、僕の子供たちがそんな運命を辿らないようにしなくては、と改めて考えさせられた。やっても3カ国語までかな。それ以上は、頭が混乱してしまう。

さしあたっては、自分自身の第2言語(日本語ができるのだから、本心は第3言語と叫びたい)だが、イタリアでのイタリア語以外の言語習得は、効率が悪いだろうなぁと思う。まぁ、よりよく世界を渡り歩くためには、言語は無くてはならないものだ。ここダルフールにいる間は、全くやる気が起きないが、イタリアに着いたらやり始めよう。
posted by atsushi at 03:09| Comment(2) | 国連職員としての日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月02日

Wrap up

ブログの更新は久しぶりすぎて、何から書けばいいのか考えてしまいます。こういうものは、自分のモチベーションを維持するうえでも、文章力や状況分析能力を維持するうえでも、あまり間隔を空けることなく続けるのがいいのでしょう。

さて、僕は1か月以上もの日本での休暇を終え、ここダルフールに戻ってきています。休暇はあっという間に過ぎてしまいました。赤ちゃんとの生活は、彼が中心で、思うように自分のことができませんが、とっても楽しい時間でした。自分でも驚くほど。そして、一人こうして地球の反対側に来て、スカイプでの映像しか見られないのはとても寂しい思いです。

しかし、こんな状況ももう終わりに近づいています。およそ2年間のダルフールでの勤務、途中、震災支援で4か月ほどこの地を空けましたが、残すところ1か月と少しです。

人事部からの書類にサインするまでは、何が起こるか分からない、というのが国連機関の恐ろしいところではありますが、送り出す側、受け入れ側の上司が納得しているし、組織内のイントラネットでの発表もされているのでほぼ間違いないのでしょう。僕の転勤先は、本部のあるローマに決まっています。11月中旬あたりに移動なので、もう日本に帰ることの出来る休暇は取れませんが、ここ砂漠の真ん中でネットにつなげながら、ローマ生活の情報収集に勤しんでいます。

どの職場でもそうでしょうが、本部に行ってこそ、人脈や組織内の知識が形成されるものだと思います。そして、本部だからこそ、対外的な行動もとれるのだと思います。何をしたいかというアイデアは、山のようにありますが、まずは、家族で暮らすことの出来る住居を探し、街に慣れ、言語を覚え、土地勘を身に付けてからの話だと思っています。

転勤先を獲得するにあたって、紆余曲折がありましたが、なによりも言えることは、欲しいもの、したいことは、はっきりと主張することが重要だということです。そして、真の状況を見極める動物的勘を持つことです。それにやっぱり、日ごろから何でも相談できる友人を組織内に作っておくことだと思います。様々な人の、ねたみ、嫉妬、駆け引きが横行するのが、この組織です。敵を作ることはいただけませんが、時には強く出る必要もあるのです。

WFPには、過酷な勤務地も多いことから、職員にはローテーションがあります。ここ南ダルフールのニアラは、2年間で交代することが前提とされています。状況によっては、1年で去る人、3年以上居続ける人、それぞれありますが、僕の場合はきっちりと2年で撤収できそうです。

地元スタッフととても仲良くなりました。勤務時間、休日、そんなものは関係なく、いろんなサポートをしてくれます。そして、王様のように扱ってくれます。時々思います。ここでの生活は、ある意味日本より楽なのではないか、と。でも、ずっとは暮らせない。ただ、去るにあたって、やっぱりそれはそれで寂しい。

残りの日数、僕ができるのは、在籍するスタッフの昇進や雇用をどれだけ守れるかということです。守れないのであれば、他の職場や企業へ推薦状を作成し、彼らの生活を支える手伝いをしたいということです。国連機関には、その根本の設立目的はあるにしても、フィールドでのプレゼンスにおいて、雇用を作り出すことによって、地域社会の安定を勝ち取るという側面があるのです。それは、出ていくまでにきっちりとやっておきたいと思います。
posted by atsushi at 05:38| Comment(0) | スーダン生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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