2011年09月18日

友達付き合いから思う自分の軸

今日(夜更かししているので、厳密に言えば昨日ですが)、高校時分の友人が2家族自宅を訪れてくれました。僕のように、一か所に腰を落ち着けて仕事をせず、海外を転々としている者にとっては、地元の友達は非常に貴重な存在です。年を重ねるにつれ、どんどん友人は仕事関係の人に偏り、学生時代の友達は、疎遠になっていきます。

友達にも子供がいて、僕たち夫婦にも子供ができました。そんなことで、また、いろんな共通の話題があり、悩みなどを気兼ねなく相談できるので、とても有難い存在です。もちろん子供の話なんてしなくても、昔からお互いを知っている友達に会うというのは、それだけで楽しいものです。

一緒にいて落ち着く友達がいることで、人生はとても豊かになります。歩んでいる人生がそれぞれ異なるため、興味や関心ごとが変化していき、状況報告会みたいになることはあるけど、利害関係なく、話ができるのは古き友達ゆえのことです。時々しか連絡が取れなくても、会えるように時間を割いてくれ、新生児を抱えなかなか出ていくことの出来ない僕や妻、そして新しく生まれた子に会いに来てくれる友人に感謝です。

まだ30代半ば。これから、あと40年くらいは人生が続きます。そんな長くもあり、短い道のりですが、付き合っていける友人がいるというのは、恵まれていると感じるのと同時に幸せなことです。

社会人になり、そして海外暮らしをしていると、どんどん新しい友人ができ、そして時と共に去っていきます。それはそれで、一期一会であり、必然であると思いますが、自分の軸となる土地(僕にとっては大阪)に帰る所があり、会いたい人がいるのは、海外で頑張れる励みになります。

帰れる場所があってこその、人生の旅なのでしょう。

帰る所のない旅ほど苦しいものはない。そのように思います。
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2011年09月07日

子育てから思うところ

ここ数日の思うところを当てもなく記してみたいと思います。子における親の責任、義務とはどういったものなのでしょうか。子育て、とはいったい何を指すのでしょうか。そして、それはいつまで続き、何をもって達成と言えるのでしょう。

それが単なる概念ではなく、事象であるならば、それには始まりがあり、終わりがあると思います。始まりを説明するのは簡単です。それは、子が生まれた時だと思うからです。新しい生を受け、この世に現れてきたときが、親としての子育ての始まりだと思います。

問題は、その終わりです。何を目標に親は子を育てていくのでしょうか。単なる年齢の積み重ねなのでしょうか。20歳、法的に成人と認められるまで育てていくのが子育ての目指すべきところなのでしょうか。僕は、時間ではなく、もっと深いものがあるように思います。

親は、子より一般的にみて先にこの世を去ります。子の将来の先の先まで心配し、それを導いていくことは、統計的にみて不可能です。愛情があるため、心配し、いろいろ助けてあげたい、出来ることなら困難は身代わりとなってあげたいと思うのが親心というものだと思います。しかし、それには時間的限度が、今言った原因を元に存在します。

だから、子育てとは、子供のためを思って、害や悪を取り除き、無事に時間を送らせてあげることではないと思います。それよりも、子が自分の力で考え、自分の力で立ち、自分の力で物事を解決していく能力を身に付けるべく支援をすることだという考えに至ります。

小さく若いうちは、弱く危うく、未熟故の失敗を重ねることでしょう。しかし、目指すべきは自立する心の養成だと思います。親として、子の人生の最後まで、道を照らしてあげることはできない。でも、道を切り開いていく力をつける手助けはできるかもしれない。

子は、親の所有物ではない。一つの独立した生命体であって、誰かの所有ではないと思います。現代社会は、核家族化が進んできており、非常に密で少ない人数で子を養育しているように思います。こうなると、意識として、所有しているという錯覚に陥る恐れがあると思います。

我が子はかわいい、それはわかります。

でも、可愛さ故に、時に過酷な現代社会を、自分の力で切り開いていける力を身に付けさせなければ、と思います。考え方は、いろいろあると思いますが、僕が考える子育ての終着地点は、子の「自主自立」であると思います。

子を僕自身の所有としないためにも、たくさんの人を巻き込んでの子育てをしたいと思っています。親以外の家族であったり、友達であったり、地域などの共同体であったり、多くの助けを得ることが、子育てをする親のためでもあり、結果的に子のためになると思います。

ここまで考えてみると、この考え方はいろんなことに応用できると思います。組織を育てるとき、国を作るとき、そして僕の仕事である人道支援も、やはり目指すべきは「自主自立」の道筋を作ることなのです。
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2011年08月27日

新しい生命の誕生

昨日8月26日夕刻、わが一家に子供ができました。陣痛開始から概ね16時間にも及ぶ長きに亘る苦しみを乗り越え、妻が息子を産みました。産道を通るときに、子が通常とは逆方向へ回転してしまうという難産の一種であり、通常分娩よりはるかに強い痛みを伴うものだったらしく、もう少しのところで帝王切開に切り替わるところでした。

妻の頑張りと、助産師さんたちの懸命の努力で、陣痛促進剤の投与だけで、お腹を切ることなく出産してくれました。生命に替わるものはないため、無理となれば、すぐにでも手術に切り替える用意をしながらのお産でした。夜中2時ごろからの16時間は、痛みを我慢するにはとても長く、周りに就く助産師さんも、そして立ち会う僕自身も、かなりの疲れがありましたが、プロの仕事を垣間見、生命の強さを感じる貴重な時間でした。

赤ちゃんも、大変でした。長期にわたるお産のため、出てくる時にはかなり心拍数が弱っていて、危なかったと医師が後ほど言っておられました。でも、小さな弱々しい声をあげて、泣き始めました。妻も子供も両方元気です。

出産とは、こんなにも大変なものだとは知りませんでした。しかし、この機会を逃すことなく、立ち会うことができたのはとても良かった。あんな瞬間に、この世の全ての男性が立ち会うことができたのなら、この世の中は今よりもっと優しい人達でいっぱいになると思いました。

息子の名は、丈太郎(じょうたろう)。「丈夫で太き男たれ」という願いを込めて。そして、日本以外の土地では、Joeという覚えてもらいやすい愛称を持つことになるでしょう。

僕の仕事は、海外を動き回る仕事、彼が今後どのように生きていくのかは、我が家の今後の楽しみとなることでしょう。まぁ、とにかく二人が無事でよかった。

出てきた瞬間
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ちょっと落ち着きました(3時間後)。このあとすぐ寝ちゃいました。疲れたんだろうね。
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ラベル:出産 誕生 陣痛 難産
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2011年08月17日

帰国して パソコンに向かいて 思うままに

ダルフールのニアラから、3本の飛行機をあまり待ち時間なく、乗り継いで帰国してきました。飛行機に乗っていた時間は、3+3.5+11だから、合計17.5時間の移動時間です。もちろん、少しは待ち時間もあったため、やっぱり総行程で、丸一日24時間くらいになっていると思います。

大阪は暑い。この暑さは、湿度からくるものですね。気温は、ダルフールのほうが10度ほど高いのに、不快度はこちら日本のほうが高い。変に時差ボケがあるものだから、今朝は5時から目がパッチリ。数日のうちには日本時間に身体が追い付いてくるのですが、こういう時を利用して、朝からいろいろ精力的に動かなくてはいけません。

ということで、まずは、ブログの更新。まぁ、あまり目新しいニュースはないのですが。

仕事は、以前一緒に仕事をしていた南アフリカ人に任せてきました。彼は、前も言った通りコンサルタント契約の職員で、現在の拠点は、南スーダンのマラカルというところで勤務しています。しかし、ニアラで僕がいなくなるということで、ハルツームから指令を受けてわざわざ来てくれました。こういうことも、コンサルタント故の事象だと思います。

将棋の駒のように、どんどん動かされます。断る権利はあると思うのですが、なかなか強く出られないのでしょう。もちろん正規職員でも、いろいろ動いている人もいます。しかし、ことUNHASに限っては、正規職員はもっと腰を一か所に落ち着けて、人とモノを動かしているという印象です。そして、その動かされるほうに、コンサルタント職員が含まれている印象です。

そして、彼はこれからの6週間をニアラで過ごし、一旦雇用契約が切れます。BIS (Break in Service)というやつです。これは約1か月あり、無職の状態に陥ります。それから、また新しい雇用契約へと切り替わります。彼の場合、次は、ジェニーナという西ダルフールに転勤となるそうです。なんと落ち着かない、不安定な生き方だろうと思います。

20代前半ならそれでもいい。しかし、40代に入ってきたら、それはもう過酷です。僕のいる組織は、コンサルタントから正規職員になっていくという流れはとても一般的な流れです。もしかすると、JPOより多いのかもしれない。

しかし、このコンサルタントから、正規職員へのルートを日本人が同じように挑戦できるかというと、首をひねってしまう。こんな辺境の地、紛争中の土地で、不確実性の高いこの仕事に我慢が続くのか。特に、男性の場合、もっと確実なものへ移動しようと思うに違いないと思うのです。そんな国連機関ゆえの就職事情が、日本人職員増加の足かせになっていることは、まぎれもない事実です。発展途上国出身の職員のように、泥臭く、しがみつくほどの根性で、挑戦してくれば、正規の道につながると思うのですが、それは日本人にはできないのではないかとつくづく思います。もちろん発展途上国の人は、そんなコンサルタントの仕事でも、母国で働くより、給料が何倍もいいから、これは必然といえるでしょう。

もう一つの理由に学歴と職歴があります。日本人の場合、コンサルタントから、正規に残れるような経歴を持っていそうな人は、日本でしっかりと仕事をして収入をすでに得ている人です。それをなげうって、挑戦するというのは、相当な心構えが必要です。わざわざ、そんなことをしなくても、十分な収入と、家族や友人に囲まれた落ち着いた生活が手に入るのです。

さらに、それが男性であれば、実家の両親のことも気になります。もし、体を壊したら、どうやって駆けつけることができるのか。西洋のように、個人主義が台頭してきたといえど、やはりそこには東洋の伝統が流れています。団体主義、家族主義の和の精神です。先祖を思い、盆には墓参りをするような文化を持つ、私たちのような人種が、遠く離れた帰属意識も愛着もないアフリカのような土地で暮らしていくことへの難しさ。

当然人類全体への奉仕といえば、格好良く映るかもしれませんが、現実は、もっと地味にいろんな問題が存在するものです。

僕は、それでも国際機関に日本人が増えてほしいと思っています。国際社会における日本人のプレゼンスを高め、そこから母国に知的財産や、さらなる発展への機会を誘導できると考えているからです。まぁ、だからと言って、JPOという制度に、反省を加えることなく予算を重ねるのは、愚策というものですが。

僕の国連職員としてのゴールはどこにあるのか、考える日々が続きます。なんだか、見えそうで、見えない。とりあえず、あと1週間ほどで、我が家にも第1子が誕生します。人の親として、また学ぶことも多々あることでしょう。

そうそう、国連職員の人には、独身が多い。これも、問題だと思います。離婚率が高いのです。これもいただけないなぁ。人生仕事がすべてじゃない。しっかりと公私両立できての、豊かな人生だと思う今日この頃です。

さて、帰国しての恒例行儀、散髪に出かけましょう。
posted by atsushi at 11:10| Comment(2) | 国連職員としての日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月10日

スタッフの昇進

現地職員。僕の所属するWFPには、多くの現地職員が働いています。ここは、スーダンなので、当然彼らはスーダン人です。現地職員と、国際職員の割合はどれくらいでしょうか。ここ、ニアラ事務所を見てみると、20対1くらいの割合でしょうか。

彼らにも、彼らの中で階級が存在します。国連といっても、それは官僚組織であることに変わりなく、同じ日本の公務員制度と同様、階級と役職がそこには存在するのです。階級が上がれば、それに見合った役職があり、ある役職には、それに対応した階級の職員が就くことになっています。

僕には、アシスタントが4人います。その内訳は、男性2名、女性2名です。彼らの階級は、G-5とよばれる階級で、業務の中核を担っています。その下には、現在のところ、G-1という階級で物を運ぶ職員、掃除をする職員、ドライバー等が存在します。僕は、そんな彼らの上司ということになり、指示を出し、業務を委任しながら、日々の航空業務を取り仕切っています。

そうそう、忘れてはいけないのが、航空業務を実際に行うパイロット達です。彼ら航空会社の人達は、およそ10人、僕の指揮の下、活動しています。まぁ、彼らは直接WFPに雇われている職員ではないため、人事上の権限はありません。

さて、このような状況ですが、現在のアシスタントの中で、G-6に昇進させようという話が挙がっています。当然、階級が上がるのですから、役職名もより上級の名前に変わります。今までの名前の前に、シニアと付き、Senior Air Movement Assistant となります。ちょっと、エラそうですよね。

先日、筆記試験を実施しました。公募は、国連上の公平さを図るための決まりであるため、僕のアシスタント以外からの応募も受け付け、合計10名が、その筆記試験を受けました。筆記試験の内容は、実にニッチな所を突くため、この業界に働いていないと分からないことばかりを問う問題です。当然、結果は火を見るよりも明らかな結果が表れます。

その次は、面接です。面接では、さらに的を絞ったニアラで勤務していないと分からないことを尋ねました。こういうと、公平さの欠片もないじゃないか、と。まぁ、本当に外部から人が入ってしまうと、現在の職員の誰かをクビにしないといけないので、必然と言えるのではないでしょうか。

おっと、あんまりこういうことを書くと、最近、いろんな方にこのブログが読まれていて、あんまり書かないでとご指摘を受けそうで、ちょっと気を使うのですよね。でも、オブラートに包みながら書くと、とても面白味のないものに変わってしまって、自分のモチベーションも下がってしまいます。こんな情報も、国連等の国際社会を夢見ている人には、貴重なものだと僕は思います。昔の僕がそうでしたから。

話は戻って、その面接。僕のスタッフは、普段僕と話すときはずっと冗談を言って笑っているのに、とても緊張していました。普段は、ベラベラ話す女の子も、自分をよく見せようと空回りしているのか、とても上がっていてちぐはぐなことを言っていました。偉そうに生意気な男の子も、恐縮して、うまく話せていませんでした。

世の中、古今東西、いろんな人がこの世界には住んでいますが、同じようなものです。上司には、よく見られたいし、認められたい。褒められたいし、チャンスが欲しい。でも、緊張するし、空回りするし、みんな同じです。

そんな彼らの頑張りを見ていると、みんな昇進させてあげたいと思います。

部下は、可愛いものです。中には、僕より年上の職員もいますが、こと仕事に限っては、きっちりとした上下関係があり、それが、上司としての部下を思う気持ちになり、可愛く思い、大切に感じるものです。そして、そんな思いは、部下にもしっかり伝わっていて、向こうも慕ってくれます。

テストをして、面接をして、2段階のふるいに掛けたとしても、上司である僕の評価が大きな影響を与えるものです。世の中そんなものですよね。

上司にとって、欲しい部下とは、チームを作り上げられる協調性のある人です。まぁ、これは僕の意見ですが、どれほど能力が高くとも、人との関係をうまく作り上げられないのであれば、その存在がマイナスになり、他の職員にも悪影響を与えてしまいます。

ということで、悩んだ結果、ある一人の職員に決めました。人事として反映されるまで、1か月はかかると思われます。その職員を思うと、嬉しく思う半面、選ばれなかった職員の落胆も想像できます。みんな、頑張っていたからなぁ。さて、どうやって励まそうか、考えとかなくては。
posted by atsushi at 04:17| Comment(0) | 国連職員としての日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月02日

方向転換

つい2日前にブログで更新した、僕の今後の転勤先についてですが、いろんな人と話した結果スーダンのハルツームに行くことはやめにしました。

当初は、別にハルツームでも構わないし、誰かが既にしている根回しを壊しては、敵を作ってしまって、後々面倒だと思っていました。しかし、自分の気持ちの中で、どうもスッキリとしないところがあって、今ここニアラにいる上司に相談しました。すると、「ローマのトップがお前を推しているのなら、その中間層を無視してポストを獲得しにいかないとダメだ、今すぐローマに電話しろ」と、お叱りを受けました。

彼曰く、本部ローマは人と出会う場である。そこで人脈を築けば、後は、どこにでも移っていける。将来的に違う部署に行きたくても、人脈がそれを支援してくれる、と。

ということで、たった1日2日で、気分はすっかりローマとなりました。そして既に、それ相応の場所に鈴はつけておきました。ある説得要素を考えだしたので、それを材料に交渉しています。なんか、こういうこと好きなのですよねぇ、将棋を打っているみたいで。自分の人生を人生ゲームのボードに見立てて、俯瞰しているのでしょうか。

しかし、改めて、僕も人の良い日本人なのだなぁと感心しました。なんか、簡単に返事しちゃいましたから。

こういう組織です、政治的圧力や不公平はあるでしょう、でも、だから面白いというところもあります。この組織の政治的ダイナミックな部分を思う存分に楽しまなければいけませんね。空気をこちら側に持ってきて、自分がリードするくらいでないと。

さて、ここで大昔に学んだ「孫子の兵法」から、リーダーシップに関する言葉を二つばかり、自分への活を込めて記してみたいと思います。

「将 敵を料(はか)ること能(あた)わず」

敵について知ることができない将軍は無能である。

「彼を知りて己れを知れば百戦して殆(あや)うからず」

敵と自分についてよく知れば、百戦しても負けない。

うむむ、やる気が湧いてきました。
posted by atsushi at 05:27| Comment(2) | 方針 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月30日

転勤の決まり方

今日は金曜日で休日です。だから、事務所に行く必要はなく、ゲストハウスでのんびりとできる環境にありました。だから、今朝ローマにいる航空局の局長と直接電話で話をして、僕の今後についてどうなるのか聞こうと思っていました。

彼ら上層部のスケジュールは、メールで伝達されます。そのため、局長があと数日で夏休暇に入ることは知っていました。僕も、8月中旬から、夏休暇と育児休暇を併せて、1カ月半ほどの休暇を取ります。そのため、今日くらいしか話せる機会はないだろうと考え、朝、話がしたいとメールを打ちました。

すぐに返事が来て、「今ならいいよ」と返信があり、すぐに電話を掛けました。定年間際の60前後の方で、紳士で優しいと評判のおじさんです。僕も一度だけ会ったことのある人ですが、親身になって考えてくれる人です。そして、今の専らの関心ごとであるニアラの後の勤務地について聞いてみました。

すると、ローマに近日中に空くポストがひとつあるのだけど、君に来てもらおうと考えていると言われました。「おぉ、ローマ・ライフかぁ」と嬉しく思ったのと同時に、これはどのポストのことを言っているのだろうと思いました。なぜなら、ハルツームの同僚もローマに転勤するということが決まっていると知っていたし、同時に2人もスーダンから行くことになるのかぁと思ったからです。

そして、そのポストの具体的なことを聞いているうちに、それは、ハルツームの同僚がとるはずになっていたポストではないか、と感じてきました。なんでしょう、この不思議な感覚は。まぁ、とりあえず、ローマになれば嬉しいよ、と言って電話を切りました。

その1時間後、今度はハルツームの上司から電話がありました。転勤の話です。ハルツームに来ないか、という話です。ローマの局長が、彼に電話を掛けたのでしょう。少し慌てていた感じでした。ここでなんとなく、合点がいきました。ローマのそのポストは、まだ根回しが完全にできていない状況で、局長の耳にはまだ届いていなかったのでは、そして、ローマの今後空くポストは、僕ではなく、彼のためのポストではないか、と思いました。

こういう時は、慎重に動かないといけません。無闇に組織内に敵を作ってしまう可能性があります。こういう時は、動物的勘を働かせる必要があるし、僕にはそういう能力があります。

結論から言って、僕としては、ローマでもハルツームでも、家族と一緒に暮らせる環境があれば、どちらでもいいのです。それに、ハルツームのほうが今までの人脈も活かしたまま、さらに広げていけるだろうし、ニアラ以外のスーダンでの業務、全体を把握するうえで、まだまだ学ぶべきことが多くあります。他の国に転勤する前にしておかなくてはいけないことがある気がしていました。

結果的に、今日という一日で、これから1年先くらいの僕と僕の家族の道のりが決まったような気がしました。スーダンの生活はまだ続くことになるでしょう。そして、ここニアラにもまだ関係を持つことになりそうです。せっかくなら、もっとスーダンのことを知ってから、次に移ってもいいでしょう。

国連機関は、大きな仕事をしているようで、組織そのものは狭く、人間関係も閉鎖的なものです。内輪での根回しや、関係作りが重要であることは、言うまでもありません。

ハルツームはまともな都市です。砂漠で、暑く、過ごし易い所ではありませんが、外は普通に歩くことができるし、レストランやカフェなどもあります。ニアラよりかは、確実に生活の質は向上することでしょう。妻と赤ちゃんの海外デビューが、スーダンからなんて、なかなか面白いのではないでしょうか。
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2011年07月27日

これまでの生活の反省

時間は限りあるもの。こんな砂漠の真ん中のような辺境の地で、治安の悪さによって宿泊先に閉じ込められており、時間だけはたっぷりあると感じています。ここにいる人の嘆きは、することがなくて、時間ばかりがあって、退屈でしんどい、というものです。

でも、振り返ってみれば、僕がこの地に赴任してきてから、早いもので1年と8ヶ月が経とうとしています。これだけの時間を、ただただ早く過ぎて欲しいと願いながら、日々を過ごすというのはとても不幸で、もったいなく思います。日本の震災復興支援で、実際は4か月ほどこの地を空けていたので、それを除いても1年4か月ですが、さて、僕はこの間何を成し遂げたのでありましょうか。

アラビア語は上達したのでしょうか。

スーダン特にダルフールの歴史、政治的背景、国の状況は理解しているのでしょうか。

その他の勉強はどうでしょうか。

仕事はいいのです。仕事はもう十分理解をしています。ここでやれることは、もうないように思います。あとは、次の勤務地で新しいことを学ぶよりほかないと思っています。

ここに2年近くいて、人に何か語れるものがあるのでしょうか。アラビア語はあきらめたし、勉強もちょっと停滞中です。そうなのです、なんだかんだと言って、思ったように赴任前に考えていた目標が達成できていないのです。そのため、これはいかんと思って、今さらながらスーダンのことを学ぼうと、いろんな本を読んでいます。

スーダンの旅行ガイドブックを他の職員の部屋で見つけたので、まずは概要から始め、ダルフールの人種について調べたり、戦争の起きた背景や真の原因を探したり、コーランの再読をしたりしています。知っているつもりになっていただけで、実は知らないことがいっぱいありました。

転勤は、おそらく今年度中にあると思います。それまでに、スーダンのこと、人に聞かれても、それなりに過去と現状の説明ができ、自分の考えを持てるようになっておきたいと思います。砂漠があります、戦争がありました、人道危機です、南は独立しました、だけでは恥ずかしい。
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2011年07月20日

なでしこジャパン おめでとう!

なでしこジャパン おめでとう!

先日、女子ワールドカップのサッカー決勝が行われ、日本のなでしこジャパンがランキング1位の米国を下し、優勝を果たしました。僕は、実際をテレビで見ながら応援することはできませんでしたが、家族に教えてもらうことで結果を知り、そして、翌日のネットニュースやYutubeでじっくりと観戦しました。

結果が分かりながら見るのは、臨場感に欠けるものの、その時の興奮、そして歓声を小さなパソコン画面からバリバリ感じました。先制されたものに追いつき、さらに勝ち越され、また追いつく。ギリギリの試合展開で、同点のままのPK戦、そして、粘り勝ちの勝利。

現実は、ドラマ以上にドラマチックでした。何度も何度も映像を見て、感動に浸っていました。

最近は、あんまりいいニュースを聞きません。政治は低迷し、経済は停滞、日本の社会は自信をどんどん無くしつつある傾向にありました。そんな中、この明るいニュース。

体格差、経験値、選手人口の層、バックアップ体制、全てにおいて米国に劣っていたなでしこジャパンが掴み取った勝利。やればできるんだ、ということを暗かった日本に、なでしこのチームが教えてくれました。

アフリカの辺境の地にいる僕も、この勝利を誇りに思い、職場の仲間に自慢しています。どうだ、日本はすごいだろって。とても気分がいい。これを、Yutubeのお気に入りに入れておいて、気分の沈んだ時に繰り返し見れるようにしよう。そうしたら、元気が出てくるはずだから。

なでしこジャパンのみなさま、おめでとうございます。

そして、ありがとうございます。
posted by atsushi at 01:01| Comment(0) | ひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月15日

世界の果てから 第1報

2日前、良くも悪くも、南ダルフールの州都ニアラに戻ってきました。相変わらずの砂だらけの街、そして、ロバがヒヒーンと鳴き、壊れかけの車がガタガタと走っている風景が広がっています。心なしか、新しい建物が増えた気がしますが、基本的には以前と変わりありません。

ここに戻ってきて2日間、現状を知り愕然としています。何も変わってなさすぎる。3月末に離れた時に問題になっていたことを、未だ話し合っているのです。そして、事務処理も滞ったままです。

僕の後釜となった同僚は書類仕事が苦手なことぐらいわかっていましたが、ここまで出来ていないとは想像していませんでした。搭乗員たちは、未だ壊れかけ寸前の住居で暮らしているし、4月に完成予定だった新しい宿舎は、未だ工事が続いています。あと2週間と言われましたが、その言葉、僕が出ていく3月末にも聞いた言葉なんですよね。

ここの人たちの時間感覚は無いに等しい。

改めて、日本の復興の速さと納期を守ろうとする固い意志と努力に敬意を感じずにはいられません。日本の職人さんが、あの宿舎建ててくれないかなぁ。。。

面倒な後始末がたくさん残っています。しかし、僕自身もそろそろ転勤の時期なので、正直言って、そんなに意欲に燃えているわけではありません。これが、こういう組織の性ですね。離れていく人は、今のことよりも次のことを考え始めるものです。

今日は金曜日。こちらの休日なので、洗濯をしました。夏に日本にいたのは久しぶりだったので、今流行のクールビズ、半袖シャツを購入してきました。ここダルフールでもなかなか調子のいい服です。さすがに、湿度が低いため、あっという間に乾きます。

久しぶりのダルフール写真。現在の住まいの屋上から。
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posted by atsushi at 21:36| Comment(0) | スーダン生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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