2011年07月06日

被災地への政府対応のまずさ

先日、復興担当大臣に就任した民主党の松本龍氏、わずか9日間という短期間で、辞任に追い込まれた。

僕は、今大阪に戻ってきている。被災地での活動、東京事務所での事務処理を終え、スーダンへと戻る前の数日間の休暇を、ここ地元の大阪で過ごしている。仕事から離れたといえ、すぐに頭の中を空っぽに、休暇を満喫できるわけではない。

いろいろなことのあった3か月間を振り返ったり、今後の仕事のことを考えたり、頭の中は常に仕事で埋め尽くされている。そんな中、このニュースがテレビや新聞で、注目を浴びている。

松本氏が辞任する直前の被災地訪問の様子をテレビで見たが、あの態度と考え方に驚き、そして怒りを覚え、非常に残念な気分になった。

僕は、自治体の職員ではないので、どのように各市町村が国と日々やり取りしていたのかは知る由もない。ただ、すくなくとも、彼らは彼らなりに精一杯活動していた。松本氏の発言が暗に示したように、国が提供者で、市町村民が口を開けて待っているという100%受け身の体制であったことはない。

岩手県の被災地で、様々な人と活動を共にしてきて、それだけは断言できる。彼らの持てる知恵と行動力を結集して、多くの人を支援していたと理解している。そんな自治体一人一人の活動を見て、誇らしく思い、そして日本人の素晴らしさを実感していた。

政府民主党は、あまりに浮世離れしている。松本氏は、もしかするとものすごく優秀な方かも知れない。しかし、人がともに協力して働いている「組織」という仕組みでは、他人に対する尊敬の念と、謙虚な気持ちが必要である。あれでは、反発は免れず、うまくいくものもうまくいかない。

日本の政治家が皆、あれほどの空気読めない感を持っているとは思いたくないが、あまりに残念な人だった。そして、そんなことが公共の電波に流れ、またもや政治への不信感を募らせてしまう。

政治のしていることは、そんなに難しいことなのだろうか。一般人の知識では、とても解けないことに立ち向かっているのであろうか。

今回は、スーダンに戻る前に、新聞社が提供するデジタル新聞への登録をしておいた。日本を離れても、常に日本の情報を獲得できるような状態にしておこうと思ったからだ。今は、ネットで大抵の情報は獲得できるが、新聞を読むことにより、上辺だけの情報でなく、よりよく今後の日本の動向を見ていきたいと思う。

震災をきっかけに始まった日本での活動。自称「国際人」として、アフリカの土地で活動していても、母国とは切っても切れない関係である。今後とも、母国音痴に陥ることなく、しっかりとした情報に触れ、常に考えをもっていかなくてはならない。

ありゃ、少し硬くなってしまったが、本当、民主党さん、もう少し頑張ってくださいよ。まぁ、もう先は長くないのかもしれませんが。

スーダン出発まで、残り4日。
posted by atsushi at 17:04| Comment(2) | ひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月23日

被災地への復興支援活動終焉

今日をもって、ここ岩手県遠野市を離れます。今は、朝8時30分。今朝の久しぶりに大きな地震によって、目覚ましよりかなり早く起きてしまいました。今日で、ここともお別れだというのに。

テレビの無いこの家では、タイムリーな情報を取得するのはとても難しい。仮住まいのこの場所では、日用必需品ではないテレビを買うわけにはいかず、新聞に頼っています。そのため、1日遅れで情報がやってくるので、突然の出来事には対応できません。

ここ被災地での最初の課題でしたが、テレビがなければ、常にラジオは持っておく必要があります。電波での情報伝達は、間違いなく紙面よりも早いからです。新聞の持つ意義は、情報の迅速性とは別な場所にあり、詳細な説明と解説、そして、考える場を提供してくれるという素晴らしい側面はありますが、改めて、両方必要であるということがわかります。

特にこのような緊急支援をしている場所では、情報の迅速な伝達はいつになっても大きな課題です。ただ、今回は、町への全体放送が流れていて、各地区の長が災害対策本部に状況を知らせて欲しいという放送が流れていたので、3月11日の震災を境に、人々の警戒心と対策が向上したことは確かだとおもいます。

こういうことで、人は安心するのだと思います。何かやっているという人が、明確に見えるということ、そして、心配してくれる人がいるということに。

今日で、ここを離れるというのに、地震がまたやってくるなんて、私たちの動きを誰かが見ているようです。そして、「まだまだだぞ、これで終わったと思うなよ。」と言っているようです。

僕の岩手県を拠点とした、テントとプレハブ事務所の設営活動は、今日で終了です。しかし、長い目でここ被災地を支援し、応援していかなくてはなりません。僕は、来週月曜から、東京事務所に移動し、事務処理をして7月中旬にはダルフールのニアラに戻ります。

今回岩手県で活動できたことは、自分の人生における宝となります。考えるところ、学べるところが山のようにありました。また一つ、世の中のことがわかった気がします。そして、改めて、この国の素晴らしさに気づき、国連機関で働くことが、間接的にでも、自分の母国である日本のためになればいいなと思いました。

今回の活動で関わった人たちには、とにかく、感謝の気持ちでいっぱいです。また、この地へ戻って来れる日が来れば、と思います。
posted by atsushi at 09:17| Comment(0) | 東日本大震災への緊急支援 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月15日

岩手県を離れる準備

復興支援のため、ここ岩手県に入って早いもので2カ月半が経過しました。最初のころは、毎日忙しく被災地を走り回っていましたが、最近では、この業務の終焉に向けて、最後の手直しや書類仕事をしているのみとなりました。

まだまだ、被災地には多くの人材と支援が必要ですが、僕の岩手県での活動は6月23日(1週間後)をもって、撤収となります。ここに来てから、数多くのWFPテントとプレハブ事務所を建ててきました。ただの設置作業だけではなく、今回の被災地のような役場機能が破壊されたところでの作業は、様々な個所で問題に直面しました。

建設するための土地の確保、業者との契約、人員の確保、ボランティアの手配、役場担当者との協議等々、現場で突然出てくる問題にその都度決断して、実行していかなくてはならないことが出てきました。そのため、人間関係の構築はとても大切で、支援しているのか支援されているのか、時々わからなくなるような状況に陥りながら、仕事を進めていました。

とにかく、非常に勉強になる時間を過ごすことができました。もっともっといろんな支えや、理解がこの被災地には必要です。しかし、僕のWFP職員としての務めはほぼ終了しました。あと1週間で、ここでの業務を清算できるように、後始末をして、東京に戻りたいと思います。

ここ岩手県には、短い春が来て、そして、少しずつ夏になろうとしています。山の緑は美しくなり、良い季節になってきました。
posted by atsushi at 11:52| Comment(0) | 東日本大震災への緊急支援 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月06日

震災復興への第一歩 山田町仮設商店街オープン!!

6月4日岩手県山田町に震災後初めて商店街がオープンしました。その商店街は、「なかよし公園」という町役場に近い公園で、WFPのテントを利用して作られたものです。僕は、テントを提供したWFPの代表として、その日に行われたオープニング記念式典に呼ばれました。

東京からは、今回の復興支援活動で指揮を執っていた上司も来ましたが、僕がここで活動したのだから、どうぞ来賓として立って下さいと言われ、ひな壇に座り、そして、人生初のテープカットまでさせていただきました。

WFPのテントは、もともと食料や物資を貯蓄しておくための保管倉庫として、被災地での設営をしてきましたが、山田町が唯一、店舗を中に入れて、商店街として使用するというアイデアを持ち出してきました。テント自体は、自治体に寄贈するという形をとっているため、結果的には山田町のものであり、どのように使おうが自由なのですが、このように活用されることに関して、ずっと迷いがありました。

上司や本部ローマは、どのような反応をするのだろうか。このような目的では提供できないといわないだろうか。WFPの活動を、僕自身が職権乱用していないだろうか、などなどの悩みを持っていました。

提供すると言っているほうが、使い方を指定するなんて、ナンセンスだから、受け取る方たちが喜んでくれるなら、これでいい。そう自分で決めて、あまり上司に報告せず、ことを進めてしまったのです。しかし、とある新聞でテントを使っての商店街の復活が報道され、結局東京には早い段階で情報が伝わりました。

山田町をはじめ被災地の自治体の人たちを見ていれば、とてもそんなお願いを断れる気にはなりません。現場で物事を解決できるなら、これでいいと、割り切って、事業を進めていました。でも、東京事務所そしてアジアの局長は、これを歓迎してくれて、何も言ってきませんでした。

そんな自分の中の葛藤とともに、山田町への支援をしてきたわけですが、こんなこともあって、商店街がオープンした時には、非常に感動し、記念式典の最中に不覚にも泣いてしまいました。支援するほう支援されるほう、その境界はどんどん無くなってくるように感じるのは不思議なものです。WFPの活動が、そして、ちょっとした僕の仕事が、このように人のお役にたてるなんて、嬉しい限りです。

記念式典と商店街内部の写真をお見せします。山田町の方々には、今後とも頑張ってもらいたいと思います。遠くから、応援しています。

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人生初のテープカット!

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商店街内部
posted by atsushi at 11:16| Comment(2) | 東日本大震災への緊急支援 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月29日

東日本大震災への復興支援 第3弾

前回投稿してから、早や1ヶ月以上も過ぎてしまいました。時々このブログを覗いてくださった方々、情報が更新できず申し訳ありませんでした。

僕は、まだ岩手県で活動を続けています。4月の下旬と比べて、随分と気温は上昇し、過ごしやすくなりました。滞在先も、幸運なことに、遠野市という被災地支援には絶好の土地で、1軒屋を確保しています。以前の状況からは考えられないほど、生活の質は向上し、仕事のしやすい環境となりました。

物資用の倉庫とプレハブ事務所の設営は、ほぼ終わりを迎えています。雪の降る中、自衛隊と共に設営したのは、遠い記憶となっています。今では、設営の仕方を知っている建設業者が、各地を回り、WFPに代わって設営をできる体制を取ることができています。

僕の担当下では、陸前高田市に倉庫2棟の建設をもってすべて終了となります。それは、市役所の仮庁舎の建設が終了しないことには、WFPの倉庫を建てることができないため、当分は作業を開始できない状況にあり、少しの中休みという感じです。

よって、今まで貯めてきたレポートの作成や、市町村への受け渡し書類の作成、個人的にやっているMBAの再開をしていきたいと思います。ここ岩手県から撤収するのも、6月23日と決めたため、その終わりの日に向けて、活動計画を立てています。

6月中は、被災地の各地でイベントが開催されています。直近では、山田町でWFPの設営した倉庫を活用し、仮設商店街が作られ、そのオープニング記念式典が、6月4日に開かれます。僕と一緒に、東京事務所からも数人のWFP職員が参列し、被災地復興を願ってこのイベントに参加します。

先日、会議に参加するために東京へ行きました。会議自体は、1日で終わりましたが、その他の用事があったため、3泊もしました。その滞在期間を活用して、とある大学の学生さんの前で、お話をする機会に恵まれました。

大震災への復興支援について、スーダンでの勤務、国連職員へのなり方、この3本だてで話をしましたが、学生さん方の反応が結構良くて、僕自身驚きました。寝てる学生さんもいましたが、こういう人はどんな人のどんな話でも、寝てしまうんだろうなぁと感じました。

学生さんのコメントを後で教えてくれるそうです。少し、不安ですが、楽しみです。

新しいことには、積極的に挑戦していきたいと思います。
posted by atsushi at 18:46| Comment(4) | 東日本大震災への緊急支援 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月21日

東日本大震災への復興支援 第2弾

現在は、岩手県の県庁所在地、盛岡市にやってきています。岩手県では、これまで陸前高田市、大槌町を回り、倉庫を2棟建ててきました。東北のこの地域は、未だ季節は冬で、夜になると氷点下を下回り、雪も降っています。先日、どうしても峠を超えなければならない時があり、スタッドレスタイヤを履いていない車をけん引しながら、山を越えました。

事務的なサポートは東京の事務所が請け負っており、僕たちは、フィールドで体力と気合でこの復興支援に貢献しています。Logistics Officerという肩書で、仕事をしていますが、やっていることは、建設業者の取りまとめ役的なものです。東京事務所にいれば、業務の全体像を見まわしながら、いろんな方面との調整ですが、こちらは、もっと体力仕事です。

どちらがいいのか、何とも言えませんが、少なくとも動きのあるのは、現場でモノを動かしているほうです。実際に地域の人と交流し、物事に直接触れることができるのは面白いものです。

雪の降る中、自衛隊員と協力して倉庫を建てるなんて、普通では体験できないことです。彼らの力強さ、そして明るさにはとても感銘を受けました。朝早くから、夕方遅くまで、倉庫設置を手伝ってもらっても、笑顔が見えていました。ものすごい体力です。気持ちの良い人達と一緒に働くことができて、こちらもうれしくなりました。

大槌町での写真を掲載します。

雪の中の作業
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集合写真
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終わったあとに寄せ書き
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posted by atsushi at 18:23| Comment(0) | 東日本大震災への緊急支援 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月15日

復興支援 第1弾

現在、僕は、宮城県気仙沼市の焼却場に滞在しています。僕の他には、東京事務所からの支援で、アシスタントが1名、イタリアから建設職人が2名同行しています。

今回のWFPの活動は、物流、調達などのサポートです。被災した宮城県、福島県、岩手県の市町村、人道的活動をしているNGO等への倉庫とプレハブ事務所の提供です。多くの支援物資や、機材が被災地へ入ってきますが、それを保管しておく所がそういった場所には無いのです。

津波に飲み込まれた地域は、跡形もない無残な姿となり、何もない状態です。しかし、それは誰かの個人所有の土地であり、むやみに建築物を設置するわけにはいきません。ましてや、第2弾の地震、津波が起こらないとも限らず、同じような被害を受けそうな場所へは、そういった後方活動するための施設を建てることができません。そして、既にある施設は、避難所として使われ、空き地は、自衛隊の展開場所、仮設住宅の設置予定地となっています。

震災発生から人命救助に力を入れ、それが今、後方と調達にシフトしてきていると感じます。避難所の方々は、まだまだ大変な暮らしを強いられ、ところによっては、水道、電気もいまだ復旧していないところもあります。

そんな調達のお手伝いをするため、WFPが倉庫を設置しているのです。ここ、気仙沼市の焼却場内に、2棟の倉庫を設置しています。本日4月15日の午後には、それら2つが完成する予定です。完成後は、市にその所有権を移譲し、次の街、陸前高田に移動する計画です。

多くの人が休みを足らず、必死に働いています。地元の人も頑張っています。みんな疲れていますが、あのような光景を見れば、何もしないでいるということはできません。栄養ドリンクを飲み、花粉症の薬を飲み、自衛隊、警察、政府機関と一緒になり、働いています。

国連に勤務し、この活動の一片でも担うことができたことに、嬉しさを感じます。あと1か月は日本に残り、WFPとして支援を続けます。昨日撮影した、自衛隊との写真を載せます。後ろは、僕たちが建てている倉庫です。

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posted by atsushi at 13:43| Comment(2) | 東日本大震災への緊急支援 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月29日

NIPPON

宮城県沖で発生した地震は、東日本大震災と命名され、その発生から今日まで約2週間が経過しました。死者は、1万人を超え、不明者はまだ2万人以上も存在します。数字だけを見ても、この災害の規模が今までにないほどの大規模であったことがわかります。さらに、福島県の原子力発電所では、懸命の放水活動を自衛隊、消防、警察が実施し、冷却に努めていますが、放射能漏れはじわじわと厳しさを増しています。

僕は、いま日本へ向かう途中です。

カタール空港の中継地点、カタールのドーハで乗継便である関空行の飛行機を待っています。突然の日本帰国であったため、夕方の便は完全に抑えられていたため、ハルツームから昼の便に乗り込み、ここでこれから7時間ほどの待ち時間を過ごします。

その電話は、休日である金曜日の朝にかかってきました。ハルツームの上司からでした。「悪いがすぐに日本へ行ってくれ。」そういう内容でした。

そう聞いて、僕はやや混乱しました。なぜなら、日本行きはすでに合意のもとで、給料の支払われない1か月の休暇を取って、日本へ帰国し、地震災害復興支援のため、ボランティア活動にでも従事するように調整していたからです。その上司も当然知っていましたし、1週間後に当たる4月5日に飛行機をおさえていたのです。

話の内容は、それとは異なる形で日本へ送ることになったというものでした。WFPが日本政府から物資、食糧支援を要請されたのです、そして、その緊急メンバーの中に僕が選ばれたのです。WFPの職員として、日本へ行ってくれということです。

それからは、もうバタバタでした。航空券の突然の変更、仕事の受け渡し、書類申請のやり直し、考えられる2,3か月ほどの出張の準備、部屋が引っ越してもいいように自室の全ての荷物の荷造り、などなど、大変な2日間を乗り越え、頭が切り替わらないうちにドーハまでやってきました。

仕事のメールには、今までにメール交換をしたことのない人から続々とメールが送られてきます。WFPは、タイのバンコクにアジアの拠点を置いています。バンコク在住の多くの調達後方官が、日本へ送られているようです。数人の日本人職員の名前も見られます。東京から、業務を取りまとめ、出先仮事務所として、宮城県、岩手県に支援所を作り、後方支援をするようです。

僕は、今のところ仙台近郊に派遣されるようですが、とりあえずは、東京に行ってブリーフィングを受けます。まだ、自分の中でしっかりと反応できていない感じがしますが、この任務に参加できることが、とても嬉しく、頑張ろうという気持ちでいっぱいです。ダルフールにいて、ニュースだけを見ているのは苦痛でした。何かできることはないのか、そんなことばかりを思っていたので、とても幸せな思いです。

たくさんの人がこの寒さの中、大変な生活を強いられています。微力ながら、そんな人たちのために役に立てるなんて、こんな素晴らしい仕事はありません。忙しくなるでしょう。ストレスも抱えると思います。

この2日間で、いろんなことを考えました。そして、ここ国連機関での仕事をする上での重要なこと2つを実感しました。それは、1つ目にやりたいこと、欲しいものは言わないとだめだということです。自分の要求をしっかりと上司の訴えることです。2つ目は、そんな願いを聞いてもらうために、日ごろの仕事でしっかりと信頼を獲得しておくことです。僕のこの緊急チームへの参加は、偶然空から降ってきたわけではありません。

僕を押してくれるたくさんの人がいたことを知りました。

ニアラの事務所長、次長、ハルツームの航空局の部長、スーダンの国代表などなど、なかなか偉い人たちが、僕を押してくれたみたいでした。こんなことがあるのですね。そういうことを知ると、とても不思議な気持ちになりますが、日ごろの仕事ぶりが評価されていたということなのでしょう。

ものごとは、動くときは一気に動くものなのです。

ニアラの皆には、お別れを言ってきました。いつ戻ることができるのか、そして戻った時には、もう何人かは転勤していないかもしれないからです。

これからは、忙しくなります。慣れないこともたくさんやることになるでしょう。でも、これは僕の将来にも大きな影響を与えることです。ここで、自分の能力を向上できることでしょう。それに、日本の多くの人たちに支援をすることができるのです。嬉しい思いです。
posted by atsushi at 00:08| Comment(0) | 東日本大震災への緊急支援 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月12日

地震

宮城県沖で、日本時間の午後2時ごろ地震が発生したのを知りました。BBCニュースではひっきりなしに、同じような映像が流れています。

昔の同僚である、自衛隊の皆、今頃大変だろうけど、頑張っていると思います。

僕は、ここダルフールにいて、祈ることくらいしかできなく、憤りを感じますが、できるだけ多くの人命を救ってほしいと思います。様々なメディアで、地震発生からずっと映像が流れていますが、どれも恐ろしい状況を映し出しています。

天災は、本当に怖い。特に地震と、その後に続く津波は、どれだけ準備していても、防ぐことはできないし、対応への限界が存在します。

救助される側も、救助する側も、なんとか頑張ってほしいと思います。
posted by atsushi at 21:29| Comment(0) | 国際ニュースへのコメント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月11日

転勤前の動き

現在、おそらく国連組織のどこでも同じだと思うのですが、職員の転勤先を決める話し合いが各本部で行われています。翌年の空席ポストを年末12月に発表し、それを全職員が閲覧できるようになっています。もちろん、組織内のウェブサイトなので、外部の方には見ることができません。それを、転勤の時期に当てはまる職員が、選んで応募するのです。上限はなかったかと思いますが、3つのポストまでは、優先順位を決められたかと思います。

応募できる期間は、1か月間ほどだったと思いますが、それが集計されて、誰をどこへ配置するかの話し合いが行われています。これは、結構面白い仕組みだと思います。日本では、転勤などの配置の話は公になるようなことはありません。しかも、その配置ごとに、一定の勤務期間が決められているなんて、あまりないと思います。そういう点では、オープンな組織風土なんだなぁと思います。

去年の12月の時点で、僕はここでの勤務1年を過ぎていたのですが、応募しませんでした。2年は、ここに勤務しようと決めていたからです。もともと、契約書も2年と書いてありましたし、その気でいました。フィールド勤務は、通常2年間の勤務が奨励されています。何かの都合により、1年で去ることはできますが、まぁ2年のほうがいいのでしょう。

転勤、配置、役職、昇進、これらは組織で勤務する者にとっては、常に頭の中にもやもやと存在するものです。自分一人の進む道だけでなく、周りの歩んでいる道をも見回して、自分はどうなるかと考えるのです。

こういう時期は、どこか事務所内の雰囲気がそわそわしていて、仕事が手についていない感じです。もちろん、長期的なプロジェクトに関わっている人は、少しずつ手を抜き始めます。当然ですね、自分がいる間に結果が出せないものに、時間を費やすなら、終わらせられるところに神経を集中させたほうが生産的です。

しかし、その周りで働いている‘残る職員’は、結構大変です。責任の量が増えてくるからです。そして、去っていく人がどんどん無責任になっていきます。人として、理解できるし当然の振る舞いなのでしょうが、面倒なものです。無責任な発言も増えてきます。

あと1年頑張れるのでしょうか。夏には、妻の出産で帰国する予定なので、実質働いている期間は、それほど長くはないにしても、最近のストレスはちょっと度を越しています。ストレスの解消法を考えるというよりも、どのような立ち位置で仕事をするべきかをもう一度考え直さないといけないのかもしれません。
posted by atsushi at 15:45| Comment(0) | 国連職員としての日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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